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#1 陰翳の青

 


 序

 人の自由な移動と行動が規制され、以前より”気を遣う”ことが求められるようになった。デマも流行したし、生活必需品の不足も問題となった。僕達の生きていた日常なるものの脆さが図らずも詳らかになってしまった。核兵器よりウイルスの方が、文明を亡ぼすのに優れているのではないかと思うくらいに。

 僕はというと、ほとんど何も変わっていない。もともと移動も頻繁にする方ではないし、人の多いところは好まないし、どちらかというと家で本を読んだりゲームをするのが大好きな人間だからだ。客観的に見て、こういうタイプの人間は、特にストレスもなく今回の、この社会全体を巻き込んだ籠城戦を制することができそうなものだと思っていた。実際はけっこうストレスだ。

 

文体のはなし

 さいきん、J.D.Salinger の The Catcher in the Rye(村上春樹訳)を読んだ。とても軽妙で読ませる文章だった。翻訳文学の読みにくさ、みたいなものが殆どなくて、いつもよりかなり速く読めてしまった。今は原文で読んでいるけれど、やはり惹きつける文章なのだ。たとえば一文目。

If you really want to know about it, the first thing you'll probably want to know is where I was born, an what my lousy childhood was like, and how my parents were occupied and all before they had me, and all that David Copperfield kind of crap, but I don't feel like going into it, if you want to know the truth.                     -The Catcher in the Rye by J.D.Salinger

 

 こうして話を始めるとなると、君はまず最初に、僕がどこで生まれたかとか、どんなみっともない子ども時代を送ったかとか、僕が生まれる前に両親が何をしていたとか、その手のデイヴィッド・カッパフィールド的なしょうもないあれこれを知りたがるかもしれない。でもはっきり言ってね、その手の話をする気になれないんだよ。  - 村上春樹訳 2006,白水社

 冒頭一文目は大体どの小説も面白く作ってある。ここで面白くなかったら正直終わりだと思う(小声) 読んでみると気が付くが、この文章は明らかに読者を想定している。You(君)という人称が読者に与えられて、そこから主人公が語り掛けるように物語がスタートする。けれどそれは手紙みたいなかっちりしたものじゃなくて、珈琲でもすすりながら、「まぁ聞いてってくれよ」みたいな感じ。スラングも多いし、汚い言葉も結構多い。この小説は出版当時十代に絶大な人気を誇り、それ以外からは軒並み文学という枠に入るのか、と疑問視されていたらしい。そういう点で。

 

 主人公のホールデン・コールフィールドは学業不振で学校を退学になる、いわゆる悪ガキで、著者の分身ともいえる存在。彼の内面は社会や周りの人々の機微を捉え、それらを厭いながら、愛しながら過ごす一週間ほどの日々を描いている。十代の頃に親や兄弟、友人や学校、社会に対して抱く苛立ちや好奇心、憧れや怒りといった膨大な感情のエナジーが溢れている。内容も訳もとても好きだった。題名と内容のシナジーが絶妙だとも思う。ホールデンの気持ちによく共感できたのは、きっと僕が彼と同じく天邪鬼だからだろう。

 

青春という符牒

 十代という季節。どういう時期だったのだろう。「悔いのないように」とか、「今を大切に」みたいな使い古された言葉が大人たちから降りて来て、”自分の意思で”間違ったことをする。言いたくないことを言って、したくないことを、”自分の意思で”重ねていく。そんなうらぶれた時期を、「青」という形容詞が飾っていく。彼にとっての青春は輝かしいものでも甘いものでもなかった。けれど不思議に、鮮やかに思えた。

 

 大岡信氏の詩を思い出す。

あてどない夢の過剰が、ひとつの愛から夢をうばった。おごる心の片隅に、少女の額の傷のような裂け目がある。突堤の下に投げ捨てられたまぐろの首から噴いている血煙のように、気遠くそしてなまなましく、悲しみがそこから噴きでる。            -「青春」大岡信より抜粋

 彼の描く青春も、アニメや大衆映画で描かれるような明るいイメージは存在しなかった。純真な青年のもつ陰影を比喩を用いて描き出す、どこかモノトーンな情景。

 

 つまり、物事は一面的ではないということ。青春といわれると、福士蒼汰の青春劇を思う人もいれば、灰色の突堤を思う人もいる。ステレオタイプを捨てること―これは文学の持つ大きな効用だと思う―は、きっとこれからもっと混迷してゆく社会への特効薬だ。常に情報を総合し、状況を考え、自分を正の方向へアップデートし続ける。本は、文学は、ただそこにあって、生き方を提示してくれていることを忘れてはいけないと思う。

 

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読んでいただき、ありがとうございます。

また、読んでくださいね。