連載:「新書こそが教養!」【第83回】『忘れる脳力 』
2020年10月1日より、「note光文社新書」で連載を開始した。その目的は、次のようなものである。
現在、毎月200冊以上の「新書」が発行されているが、玉石混交の「新刊」の中から、何を選べばよいのか? どれがおもしろいのか? どの新書を読めば、しっかりと自分の頭で考えて自力で判断するだけの「教養」が身に付くのか? 厳選に厳選を重ねて紹介していくつもりである。乞うご期待!
「忘れる」ことによって「考える」ことができる!
一週間前の夕食は何だったか、覚えているだろうか? 最後に見た映画のストーリーは? 昨日会った友人の服装は思い出せるだろうか? これらは、脳が最も忘れやすい「出来事」の記憶で「①エピソード記憶」と呼ばれる。
エピソード記憶と比べて忘れ難いのが、「1+1=2」や「地球は自転している」や「日本の首都は東京である」といった「普遍的知識」の記憶で、これらは「②意味記憶」と呼ばれる。「①エピソード記憶」と「②意味記憶」は言語で明確に表現することができるので、まとめて「陳述記憶」と呼ばれる。
「陳述記憶」よりも忘れ難いのが、言語では明確に表現できない「非陳述記憶」である。これは「喜び・怒り・恐れ」など強い情動を抱いた際の「③情動記憶」と「箸の使い方・泳ぎ方・自転車の乗り方」のような「④手続き記憶」に分けられる。幼少期以来、何年も自転車に乗っていなかった人が、変わらず上手に自転車に乗れるように、身体に沁み込んだ記憶は最も忘れ難い。
さて、人間の「視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚」の五感を通して入ってきた情報は、脳の「海馬」と呼ばれる部位に記憶される。「エビングハウスの忘却曲線」によると、普通の人間は20分後にはその記憶の42%、1時間後に56%、1日後に74%、1週間後に77%、1カ月後に79%を失う。逆に言えば、1カ月前に読んだ本の内容は21%しか記憶に残っていないのが普通である。
したがって、何かを忘れたくなければ、できるだけ早い時間に反復することが重要になる。たとえば英単語を10個覚えたら、30分後に4個は忘れているはずだから、そこで再度確認して覚え直せば効果的だ。「嫌な出来事」を忘れられないのは、「ああしなければよかった」とか「こうすればよかった」のように何度も反芻するため、脳が「情動記憶」に保存してしまうからである。
本書の著者・岩立康男氏は1957年生まれ。千葉大学医学部卒業後、同大学大学院医学研究院神経統御学研究科修了。現在は、千葉大学医学部脳神経外科教授。専門は脳神経外科学・免疫学的遺伝子治療。多数の論文の他、主な著書に『脳の寿命を決めるグリア細胞』(青春新書)がある。
岩立氏によれば、そもそも「忘れることは悪いことだ」という発想が、実は幼少期から刷り込まれた暗記教育の弊害といえる。脳の記憶容量は限られている以上、新たな記憶を獲得するためには不要な記憶を削除しなければならない。よく知られているのは、「マイクログリア」と呼ばれる免疫細胞が脳内の死細胞や活動性の低い記憶の蓄えられたシナプスを除去することである。
本書で最も驚かされたのは、脳がより積極的に記憶を消すために、わざわざタンパク質を合成しているという最新の知見である。人間は、新しい情報に触れてワクワクすると脳内にドーパミンが豊富に分泌される。すると「海馬」に「Rca1」と呼ばれる「低分子量Gタンパク質」が出現する。この「Rac1」は、ニューロンの末端にあるシナプスを退縮させて記憶を消すのである!
要するに、エピソード記憶の大部分は不要だから「海馬」の段階で壊され、真に必要と判断された記憶のみが「大脳皮質」に蓄積される。その個別の判断が「記憶の多様性」を生み出し、人類の進化をもたらしたというのである!
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