連載:「新書こそが教養!」【第13回】『炎上CMでよみとくジェンダー論』
2020年10月1日より、「note光文社新書」で連載を開始した。その目的は、次のようなものである。
現在、毎月200冊以上の「新書」が発行されているが、玉石混交の「新刊」の中から、何を選べばよいのか? どれがおもしろいのか? どの新書を読めば、しっかりと自分の頭で考えて自力で判断するだけの「教養」が身に付くのか? 厳選に厳選を重ねて紹介していくつもりである。乞うご期待!
ジェンダーとCM
1975年8月、ハウス食品工業がインスタント・ラーメン「シャンメン」のコマーシャルをテレビで放送した。若い女性と少女が「作ってあげようシャンメン、フォー・ユー」と歌いながら踊り、自分たちを指差して「私作る人」と言い、男性が「僕食べる人」と言って、3人で並んでラーメンを食べる。
製作サイドからすれば、小学校4年生の少女が家でラーメンを家族に作ってあげるという調査回答からヒントを得たCMだということで、「かわいらしい」とか「ユーモラス」という好評価もあった。ところが、「国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会」が、この台詞は「男女の役割分担を固定化するもの」と強く抗議し、ハウスはテレビ放送を中止した。そこで『私作る人、僕食べる人』は、日本で最初に「ジェンダー」概念によって批判され、たった1カ月の放送で中止された元祖「炎上CM」となったわけである。
本書の著者・瀬地山角氏は、1963年生まれ。東京大学教養学部卒業後、同大学大学院総合文化研究科博士課程修了。北海道大学助手、ハーバード大学客員研究員などを経て、現在は、東京大学大学院比較文化研究科教授。専門は、社会学・ジェンダー論。著書に『東アジアの家父長制』(勁草書房)や『お笑いジェンダー論』(勁草書房)などがある。
小学校6年生の瀬地山氏は、『私作る人、僕食べる人』が放送中止になった理由を母親に聞かれて、「料理をするのは女性と決めつけてるから」と答えたそうだ。このCMが「出発点」となって、その利発な少年が立派な社会学者に成長したのだから、このCMは想定外の成果を挙げたのかもしれない(笑)。
さて、日本国憲法第14条は、「すべて国民は、法の下に平等であって、人権、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と述べている。ここで「差別」とは、一般に個人が変えることのできない「属性」によって不利益な扱いを受ける事態を指す。したがって、「女だから」とか「男だから」といった「社会的性役割」(ジェンダー)をCMで振り分けること自体、すでに「差別」的発想なのである。
2017年に「炎上」した牛乳石鹸のCMでは、息子の誕生日を迎えた会社員が、仕事の合間に妻から頼まれたケーキとプレゼントを購入するが、仕事で失敗した後輩を慰めるために居酒屋へ行く。帰宅が遅くなり、怒る妻を残して風呂場へ。牛乳石鹸で顔を洗い、風呂場から出て妻に「ごめんね」と謝罪し、息子と3人で食卓へ。画面に「さ、洗い流そ。」のキャッチ・コピーが流れる。
女性視聴者から「子どもの誕生日に飲んで帰って来て何を洗い流すの!?」とか「ただただ不快な気持ちになる」と批判が殺到した。牛乳石鹸は公式サイトに「がんばるお父さんたちを応援するムービーです」と説明して、火に油を注いだ。家庭よりも仕事を優先する「男性役割」に固執した結果である。
本書で最も驚かされたのは、多くのジェンダー論者が非難する「ミスコンテスト」を瀬地山氏が容認していることである。本書には、「外見が優れている」という評価は「歌がうまい」という評価と同程度に「肯定」してよいとある。その一方で、ミスコンの女性像が社会的圧力あるいは「差別」になってはならないとも指摘している。ここで重要な問題は、女性がミスコンに出場する「自由」と女性たちの「平等」のバランスをどう保つかではないか?
本書のハイライト
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