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連載:「視野を広げる新書」【第38回】『袴田事件』

2023年10月1日より、「note光文社新書」で連載を開始した。その目的は、次のようなものである。

■膨大な情報に流されて自己を見失っていませんか?
■デマやフェイクニュースに騙されていませんか?
■自分の頭で論理的・科学的に考えていますか?

★現代の日本社会では、あらゆる分野の専門家がコンパクトに仕上げた「新書」こそが、最も厳選されたコンテンツといえます。
★「新書」の最大の魅力は、読者の視野を多種多彩な世界に広げることにあります。
★本連載では、哲学者・高橋昌一郎が、「知的刺激」に満ちた必読の新刊「新書」を選び抜いて紹介します。

現在、毎月100冊以上の「新書」が発行されているが、玉石混交の「新刊」の中から、何を選べばよいのか? どれがおもしろいのか? どの新書を読めば、しっかりと自分の頭で考えて自力で判断するだけの教養が身に付くのか? 厳選に厳選を重ねて紹介していくつもりである。乞うご期待!

「冤罪」を生み出す「認知バイアス」

終戦直後の日本では荒廃した社会を反映した犯罪が増加し、刑法犯の認知件数は1948(昭和23)年にピークの160万件に達した。司法では戦前の「自白第一主義」の傾向が続き、被告人の自白調書を根拠に重罪が課されることもあった。

当時の静岡県警察にいたのが、後に「冤罪王」として知られるようになる刑事・紅くれ林ばやし麻あさ雄おである。彼は難事件を次々と解決する「名刑事」としてその名を日本中に轟かせた。警察上層部から351回も表彰されているというから、呆れる。

実際には、紅林は、彼の心証を基盤に特定の容疑者を犯人と決めつけ、その被疑者に拷問を加えて自白を強要することによって「手柄」を挙げ続けていた。そのため彼は、仲間や部下からは「拷問王」と呼ばれていた。狡こう猾かつな紅林は、自分では直接手を下さず、さまざまな拷問を部下に指示して実行させていた。

紅林が「解決」したという1948年の強盗殺人事件「幸さち浦うら事件」では、1950年に静岡地方裁判所が被告人に死刑判決を下し、1951年に東京高等裁判所も控訴を棄却した。ところが、1957年に最高裁判所が「重大な事実誤認」の可能性を指摘して差し戻し、1959年に東京高裁が無罪判決を下した。1963年に最高裁は検察の上告を棄却して、無罪が確定した。紅林は、警察が発見した遺体遺棄現場を被告人に焼火箸を押し付けるなどの拷問で自白したように見せかけていた。

紅林の関わった冤罪事件には、1950年の「二俣事件」(1950年死刑判決、1957年無罪確定)、同年の「小お島じま事件」(1950年死刑判決、1959年無罪確定)、1954年の「島田事件」(1958年死刑判決、1989年無罪確定)などがある。どれも客観的な物証に乏しく、自白調書を主要な根拠として極刑が下された冤罪だった。

さて、1966年6月30日午前2時頃、清水市の味噌製造会社の専務宅から出火し、焼け跡から専務一家4人の焼け焦げた遺体が発見された。どの遺体にも鋭利な刃物による刺し傷が数カ所あり、遺体付近にガソリン混合油を巻いて火を放った痕跡があった。亡くなったのは専務の男性(41歳)・妻(38歳)・次女(17歳)・長男(14歳)の4人で、祖父母宅にいた長女(19歳)は無事だった。

メッタ刺しにされた遺体の状態から動機は強い怨えん恨こんとみなされた。殺害された専務が柔道の有段者で大柄な男だったことから、会社で働いていた元プロボクサーの袴はかま田た巌いわお(30歳)が即座に捜査線に上がった。静岡県警は8月18日に袴田を逮捕し、19日間にわたって毎日平均12時間以上の取り調べを行った。紅林の部下だった刑事たちは、猛暑の中、袴田に水を与えず、トイレに行くことも許さず、取調室に便器を持ち込むなどの拷問を行って、自白させた。刑事も検察も犯人は袴田だと妄信して疑わない認知バイアスに陥っていたように映る。

袴田は、それから47年7カ月に渡って刑務所に拘束された。本書は、袴田の姿を丹念に追い、司法の欠陥を追及する。1968年に静岡地裁が死刑判決、1976年に東京高裁が控訴を棄却、1980年に最高裁が上告を棄却して死刑確定。何度かの再審請求を経て、2014年に静岡地裁が再審開始と拘置の執行停止を決定。その後も長い煩瑣な手続きを経て、2024年9月26日、ついに静岡地裁が検察による自白調書と証拠品(衣類)の「捏ねつ造ぞう」を認定し、袴田に無罪判決を下した。

本書で最も驚かされたのは、一審の裁判官・熊本典のり道みちが、袴田は無罪との心証を抱いていたと後に告白している点である。しかし裁判官3人の合議では2対1で有罪となったため、彼は「有罪判決」を書いた。良心の呵か責しゃくを抱き続け病気に倒れた熊本は、釈放された袴田に泣きながら「悪かった」と謝ったという。

本書のハイライト

袴田の拘禁症が解けたら、事件のこと、獄中のこと、死刑のことなどを聞いてみたいと浜松に通い詰めた。勢いあまって浜松に部屋を借り、二年間暮らして毎日袴田家へ顔を出した。しかし、拘禁症は解けることはなく、日によっては悪化しているのではないかと思えることもあった。体は娑婆にあったものの、心ここにあらずという状況が続いている。裁判所の認定も含めて、司法はなんという野蛮な行為をしたのか。(pp. 275-276)

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高橋昌一郎
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