連載:「視野を広げる新書」【第17回】『報道弾圧』
2023年10月1日より、「note光文社新書」で連載を開始した。その目的は、次のようなものである。
現在、毎月100冊以上の「新書」が発行されているが、玉石混交の「新刊」の中から、何を選べばよいのか? どれがおもしろいのか? どの新書を読めば、しっかりと自分の頭で考えて自力で判断するだけの教養が身に付くのか? 厳選に厳選を重ねて紹介していくつもりである。乞うご期待!
命を賭けて弾圧と闘うジャーナリスト
現在、日本には約800の「記者クラブ」がある。国会や省庁、政党や業界団体、警察や裁判所など、全国各地の団体内部に設置されている。これらの記者クラブの大多数は、専用の「詰つめ所しょ」を取材対象側から無償で割り当てられ、当局からプレスリリースのような情報を独占的に貰っている。主要メディアが同時期に同じニュースを流すのは、記者クラブで当局から同じ情報を得ているためである。記者クラブに所属しない海外記者やフリージャーナリストは、当局からは何も情報を与えられず、記者会見への出席や取材そのものも制限されている。
かつてイギリスの圧政と植民地支配下にあったアメリカは、8年間に及ぶ独立戦争を経て、ようやく1783年に独立できた。その影響から、アメリカ合衆国の国民は、政府や権力者に対して根強い不信感を持ち続けているといわれる。したがって、アメリカのジャーナリズムには権力に対する「watch dog(番犬)」という共通の役割認識があり、常に取材対象に立ち向かう姿勢があるという。
一方、日本に記者クラブが誕生したのは、合衆国独立から100年以上を経た1890年である。明治政府は「富国強兵」の大号令をかけ、記者クラブは政府と一体になって帝国議会のエリートが何を考えているのかを易しく国民に説明する役割を担った。現在のテレビにも政府の代弁者のようなコメンテーターが登場し、ジャーナリストが取材対象の政治家や官僚や社長と仲良く会食するという、先進諸国では考えられない痴態を目にする。残念ながら「権力の犬」として国民に説明することが、明治以来の伝統的な日本のジャーナリズムの姿なのである。
日本の記者クラブ制度を厳しく批判しているのが、1985年にパリで設立された「国境なき記者団(RWB: Reporters Without Borders)」である。RWBは、2002年以降「世界報道自由度ランキング」を公表している。日本は2010年に民主党政権が「記者会見オープン化」を行ったことが評価されて11位のピークを迎えた。しかし、2013年に自民党政権が「特定秘密保護法」を成立させてからは順位が下降を続け、2023年は「68位」である。G7で最下位であり、アジア圏では台湾(35位)や韓国(47位)より低い。紛争の絶えないコソボ(56位)やボスニア・ヘルツェゴビナ(64位)にも劣るほどの順位である。
本書に登場するのは、さらに下位に位置するロシア(164位)や中国(179位)のような権威主義国家、ミャンマー(173位)のような軍事政権国家、イエメン(168位)やシリア(175位)のように内戦の続く中東諸国で、文字通り「命を賭けて」報道するジャーナリストである。これらの国々では、政権に不利な報道を行うメディアは「発行停止」や「放送停止」処分となり、ジャーナリストの逮捕や拘束も珍しくなく、場合によっては拷問や死刑判決も起こりうる。
本書で最も驚かされたのは、先進民主主義国のオーストラリア(27位)でさえ、2019年に連邦警察が公共放送ABCを「連邦犯罪法」違反の疑いで家宅捜索した事件である。ABCは、オーストラリア軍特殊部隊がアフガンの非武装地帯で子どもを含む住民を殺害したというニュースを2017年に「アフガン・ファイルズ」で放送した。ABCは極秘入手した機密文書に基づいて番組を制作したが、これを2019年に成立したスコット・モリソン政権が問題視したのである。
当時のモリソン首相は難民受け入れや同性婚に反対する保守主義者として知られ、差別主義者と呼ばれることもあった。「報道の自由」を弾圧する政治家は世界中に存在する。日本のジャーナリストには、目を覚まして奮起してほしい!
本書のハイライト
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