桐壺登場 その三十 桐壺外伝「前坊」、そんなの無いが語る
その三十 桐壺外伝「前坊」、そんなの無いが語る
禁断の桐壺外伝を語るには、先ず、この男を語らねばなりません。あなたたちの知る呼び方で言うなら、彼は六条御息所。幼名、桃太郎。大臣の子息として生まれ、童殿上して春宮様に出会いました。そして彼は気づきました。
恋。
「ああ、私は女であったか。常々、違和感を感じてはおったが、成程、そうであったか。これで合点がいった」
このように体と心を取り違えて生まれてきたというのは決して物語の中だけの絵空事ではございません。リアルの平安時代にもあるのでございます。そして歴史は常に今なのです。
彼は、彼と同じに髪を結い、彼と同じに脇の開いた服を着て、彼と一緒に走り回りました。手を繋ぎました。つまらないことを競い合い、デタラメな歌を歌いました。体が女の子だったなら、この時代、とてもこうは参りません。そして桃太郎と春宮様は相思相愛なのでした。これはもう、奇跡というより、宇宙の意志です。なので彼はお父さんである大臣に進路相談をしました。
「父上、第一志望も第二志望も第三志望も皇太子妃です。私を皇太子妃にして下さい。宜しくお願いします」
「え?」
この大臣、当然、右でも左でもないわけですが、何大臣だと思いますか。太政ではないでしょう。ならば消去法的に令外の官でしょう。でもそれはさして重要ではないので別にいいです。
桃太郎の告白に大臣は驚きました。しかし大臣、考えます。女の子があったらいいなーと常々思っておりましたから。
うーん。
入内。
平安貴族、憧れの入内。
悪くない。
悪くないどころか、これは良い。
「桃太郎よ。お前のそういう感覚は俺には全く理解できないが、俺はお前を信用している。お前は何においても失敗しない男だから」
この大臣、さすが、平安の黒い動乱をかいくぐった男です。みみっちい世間体を軽く超えています。でも、夢は外戚政治なのね。
早速、裳着の式!
大臣に年頃の娘がいた?
世間は大騒ぎ!
そして入内!
春宮様も大喜び!
「ああ桃太郎、なんと美しい、天上界の美よ」
春宮様には既に他にも妃がありましたが、まだどなたにも御子がありませんでした。春宮様は仰いました。
「桃太郎、あなたのような素敵な姫が欲しいな」
そして養女を迎えることとなりました。春宮様の御養女探しという特命を受けたのは何と、我らの右大弁。右大弁、まさかの再登場です。ほら、キャラクターはスポットライトの当たらないところでもちゃんと存在しているのです。
さあ、右大弁、彼には大陸の西の彼方から亡命してきた王家の方々とお付き合いがございました。ササン朝ペルシャです。そうです。宇津保の敏蔭が行ったところです。(あ、亡命って?え、滅亡したの?)で、そ、そ、それで、そこのお姫様がお産みになった訳アリの御子を連れて参りました。(え、訳アリって何??)
青い瞳。黄金色の髪。これぞ、かぐや姫。
春宮様と桃太郎女御の可愛がり様ったら御座いません。春宮様は御息所となられた桃太郎に言います。
「私は女が駄目なんだ。恐くて恐くて駄目なんだ。だから私はこの姫をそういう女たちの上に君臨させたい。類なく美しいあなたのお手でどうぞ育ててやって欲しい」
春宮様のその思いに御息所は涙しました。その涙の理由は、諸説ある通りに御座います。
「ああ、あなた、愛しい愛しい、私のあなた。必ずやこの姫をすべての女たちの頂点に君臨させましょう。私たちは同志です。比翼の鳥。連理の枝」
白楽天、まだ流行ってるんですね。
でも春宮様は突然苦しみだして死んでしまいました。ああ、宇宙の意志は我々には図り知れません。
可愛そうな春宮様。可愛そうな春宮妃殿下。可愛そうな姫宮様。
それなのに世間はすっかり慣れっこで、相変わらずのご都合主義。そんな空気。空気。空気。それでいいんですか?
春宮様は多数決の論理では決して認められない特性をお持ちでした。それゆえ後宮は機能しませんでした。あの左大臣も例の姫君を入内させようともしませんでした。それっきりでした。何故なら、多数決の論理で認められない特性には名前などないからです。名前がない。つまり端っからいないのです。これは男社会から「お前は女だ」と言われているのと同じです。
だからこそ春宮様は養女を迎えたのです!
この曼荼羅の構造から脱するために!
養子ではなく、養女を!
この社会は家族という最小単位で成り立っていて、家族というのは血縁または婚姻によって成り立っています。男があって、女があって、家があって、社会はそれを要請しています。人は花とか恋とか月とか星とか愛とか稲穂とか、あらゆる犠牲をうっとりと弛緩させる刹那の感情で、一生の契約を迫られて、縛られて、繋がれたまま順繰りに死んでいきます。死んでいくのは個体であって、社会は死なない。そういう曼荼羅の構造。
にも関わらす、男があって、男があって、青い瞳の養女を迎えた、聖なる春宮一家。社会の要請を模倣した相似形です。
それじゃ駄目なの?
どうして駄目なの?
稲穂システム?
愛って何?
「このような境遇で私の人生は何もかもままならないと諦めていたのだが、あなたに会えてよかった。姫を頼むよ。愛しているよ」
春宮様の死因を暴露して今更何になりましょう。最初からいないのですから。
しかし、いや、だからこそ、ここに一人の女が浮上して参ります。彼女は六条御息所。源氏物語界屈指のスーパースターです。だって桃太郎、できる男ですから。
外伝、終わります。