
退職する時になって気づく、上司の愛情の深さ
私は定期的に一枚の画像を見返す。
そして、そこに書かれている言葉に元気をもらう。
iPhoneがまだ今以上に普及していなかった二〇一三年、携帯電話のメールを別の携帯電話で撮影した画像。
今から十二年も前の画像。
この時から干支も一回りし、私は転職だけでなく苗字も変わり、新たな家族も増えた。
もちろん携帯電話もガラケーと呼ばれる二つ折りの携帯電話から、iPhoneも三台目になった。
それでもなお、この一枚の画像は保存し続けている。
「小山です。
今日のミーティングで発表されたよ。
Fさんに話できてよかったね。
正直、ここまで頑張った珍獣が辞めてしまうのは残念で寂しいけど、やりたい事があるならその道を応援するよ。
都合の良いときに連絡ください。
Yさんと一緒にガス抜きしよう。」
メールの文章の送り主が私の上司、小山さん。
文中に出てくるFさんは、小山さんの更に上のお偉い方。
Yさんは、小山さんと同じような立ち位置の先輩。
三人とも私と親子ほど歳の離れている。
そして大変お世話になった方々だ。
人事や噂話は広まるのが早い。
だからこそ、私はこの会社を辞めるという決断を、大好きな上司に自分の言葉で伝えたかった。
毎月定例でリーダーミーティングがあるため、その前にはなんとか自分で話す手段を得なければならない。
頭をフル回転させてあの手この手を使ったが、なかなか小山さんとの二人で話す時間はなかった。
最終的に電話で話をして、無事に一番最初に退職する報告ができた。
このメールを貰う少し前、私は新入社員として六年三ヶ月働いていた会社を退職すると決めた。
心も身体もすり減った中、私は十九歳の春に受かるはずもないと記念受験して、最終選考まで残った後にお祈りメールを貰った職種に最後のチャレンジをした。
思い起こせば新入社員だった、六年三ヶ月前。
こんなに仕事に対して自分が向き合って働けるなど思ってもいなかった。
「人と接するのが好き。」
「人のために役に立ちたい。」
そんな誰でも考えつくような薄っぺらい仕事を探す動機で、新卒求人でピンときた会社を片っ端から受けた。
筆記テストでさえ落ちなければ、スイスイと選考は面白いくらいに次のステージへと駒を進めていった。
しかし、現実は甘くなかった。
どうしても内定の二文字がどれだけ頑張ってももぎ取れないのだ。
最終選考まで行きお祈りメールを貰い続けていた時に、就職支援センターの先生から勧められた会社がこの会社だった。
仕事の内容としては、メーカーの技術職だ。
The文系で学生時代を過ごした私。
何故バリバリ理系な仕事に就いてしまったのか自分でもよくわからない。
入社してから仕事を知るたびに、場違いなところに来てしまったと痛感した。
とにかく数字を出したい。
認められたい。
社会人としての自分の居場所を築きたい。
そして大好きな上司の評価を上げたい。
ただその思いだけでここまで頑張ってこれた。
小山さんは物腰柔らかいが、とにかく仕事の鬼だった。
危機管理能力に優れていて、私が失敗をした時や、助けてと叫びたくなるような状況に陥ってしまいそうな時に、絶妙な登場の仕方をして助けてくれた。
職場は女性比率が少ないこともあり、社内でも社外でも甘やかしてくれる人もいた。
しかし小山さんにはそんなことは一切ない。
女性だからを言い訳にせず、自分の能力の一.五倍くらいの成果を上げろとよく尻を叩かれていた。
まだ若かった私は、いくら成果を出しても手放しでよしよしと褒めてくれなかった小山さんに、苛立ちを感じたこともあった。
そしてYさんにどうしたら小山さんに認めてもらえるようになるかと話を聞いてもらっていた。
しかし、今ならわかる。
私を育てようとしていたからこその接し方だと。
小山さんの名誉のために言うが、もちろん厳しさの中に優しさもある。
一年に二回くらいは優しい言葉を掛けてくれる。
でも、基本は仕事の鬼モードだ。
退職するにあたりさまざまな人に挨拶をした。
ありがたいことに、みんな私の退職に驚き寂しがってはくれたが、とても清々しく希望に満ち溢れていた。
しかし、小山さんに話した時だけは泣いてしまった。
若かった私は、転職することは楽しみだが、小山さんの部下として働けないことに気付き、寂しさが込み上げたのだと思う。
もし今小山さんに伝えられるならこう伝えたい。
「珍獣です。
おつかれさまです。
あの時は背中を押してくれてありがとうございました。
最近、小山さんみたいに叱咤激励してくれる人がいません。
またYさんと私の話を笑って聞いて、叱咤激励して欲しいです。
場所はいつもの小林屋がいいです(^^)」