ぽん

今まであったこと、面白かったことを書いていきたいと思います。

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最近の記事

父親の話 1

大学生の時、実績を離れて一人暮らしをしていた。父親は単身赴任しており基本的にはお盆、正月しか帰省しない。たまに長期で休みを取り1か月近く帰省するときもあった。 父親が実家に帰省したらやること ・ランニング3キロ→縄跳び1000回→サウナ  ・朝からどっかで社交ダンス ・温泉入りに出かける 大体この3つを繰り返している。帰省してもほとんど出かけている。 そんな父がお気に入りの場所で社交ダンスするために一人暮らししている自分の家に泊まりに来た。 ロフト付きの1ルームの家で一人

    • 社会人2年目 厄年の話

      社会人2年目になる時、厄年があらと思う。その厄年に何があったか書いていきたいと思う。 社会人1年目 大学を卒業、就職し初任地は秋田県だった。本当に友達もいなく、全く知らない土地。期待と不安を胸に秋田に飛び込んだ。色々とびっくりすることがあった。テレビはTBSは映らない、方言がなかなか多く理解できない言葉がある等々。社会人になるとお盆休み、正月休みが本当に嬉しく感じる。中高大と野球部に所属していた為、休みはほとんどなかった為、余計に嬉しく感じた。帰省できる時は全力で地元の友達

      • 高校時代野球部の話 2

        高校1年 野球部夏合宿の話 高校野球部は中学生の時と違って合宿や遠征が増えると思う。高校生になると大会や遠征で宿泊する機会が非常に増えた。1年生ながらベンチ入りメンバーだったこともあり、大会、遠征すべて行った。雑用しに行ったようなもんでしたが笑 1年生夏 3年生は最後の試合、予想外のチームに負けしまい、少し早く3年生が引退、2,1年のチームに切り替わった。早めに負けたこともあり、監督は次の夏は合宿は相当気合が入っていたと思う。 8月に入りついに夏合宿の日。5泊6日で合宿

        • 高校時代野球部の話 キャプテン編

          高校時代、強豪校で野球をやっていた。当時の野球の練習は寿命が縮まるように追い込みもあった。 その中で地味につらかった練習がある。 それはベースランニングだ。 ベースランニング 距離にすると108Mほど。それを円を描いて走るため115mくらいにはなると思う。それをひたすら走る。足が遅い人がいると余計走る。 全力疾走、ちょっと休憩を繰り返すと段々吐き気もしてくる。 そんな時、のちにキャプテンになるS君は「エネルゲン」というドリンクを大量に飲んでベースランニングに挑んでいた。

          高校時代野球部監督の話

          高校時代、特待生で野球部に所属していた。強豪校ということもあり非常に厳しい練習、怖い先輩が多かった。 入部して早々に教えられたことは、監督のことは神様だと思え。先輩の言うことは、「はい」か「YES」そんな感じ。当時は水も満足に飲めず、水分は弁当にフルーツを入れてもらい、それでなんとか凌ぐ。今思えば、なかなかひどかった。ほんとにいろんな思い出があるが、監督が言っていて印象に残っているのは、3年が2年、2年が1年を厳しくすることでその学年は団結力が生まれる。確かに今でも毎年同期の

          高校時代野球部監督の話

          高校時代 卒業間近の話

          高校3年生冬 大学進学組、就職組に大体わかれると思う。自分は大学進学、仲良い友達は地元就職なった。その時の話になります。 高校3年12月頃になると就職組は車の免許を取得し、親の車を借りて夜ドライブをしたりしていました。 いつものメンバー3人と夜通しドライブ。基本的にはドライブ楽しむ+同じくドライブしている女子にナンパ。もちろんナンパしたところで誰もついてくるわけもなく、奇跡で女子が引っかかればいいやと思いながら、助手席で缶〇ューハイを飲んでいた。もちろんトイレに行きたくなる

          高校時代 卒業間近の話

          中学時代野球部監督の話 3

          中学時代の監督は関西人で怒ると怖い人だった。 ある日練習試合で不甲斐ないプレーで負けてしまった時のこと。 監督はベンチに座り、部員はグランドに体育座りしミーティングを行った。もちろん関西弁で追い込んでくる。しかし、少し関西弁に慣れてきている部員もいた。そいつは監督が視界入らない時に後輩を笑わそうとしている。変顔したり、舌を出したり。 途中監督が急に振り返り、変顔していたのがバレた。そいつは自分の横にいたこともあり、犯人と共犯者として自分にも小石を投げてきた。緊張とビビりて体

          中学時代野球部監督の話 3

          中学時代野球部監督の話 2

          中学時代の監督は関西人で野球に関してはかなり熱くなりやすく怖い監督だった。 他校と練習試合をした際、不甲斐ない試合(エラー、チャンス打てない等々)で負けてしまった。案の定監督はブチギレ。自分たちは立って、監督を半円で囲み、監督はベンチに座り関西弁で怒鳴り散らして追い込んでくる。 そんな時に神の悪戯があった。 野球のユニフォームはベンチに座ると股間部分がやや盛り上がる。 ここになんとトンボが止まったのだ。監督は全く気付く様子もなくひたすら怒鳴り散らしている。絶対に笑って

          中学時代野球部監督の話 2

          中学時代野球監督の話

          中学生の時、野球部に所属していた。そこそこ強いチームで練習とか比較的厳しいチームだった。その時の監督が大阪出身で転勤で北海道に来た人。その為、怒ると関西弁が思いっきり出てきて、慣れてないこともありすごく怖かった。 冬、雪が積もってる外でバッティング練習をした。関西人の監督が氷点下の中、見ていると寒いからか俺も軽く打つ!といいバット持ち構え出した。体格も大きくかなり飛ばし屋の監督がバッターボックスに立つと部員は警戒して普段守っている位置からだいぶ後ろに下がり準備を始める。

          中学時代野球監督の話