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川の水は…
授業開始とともに、次の発問・指示で子どもを動かしていく。
「全員起立。川の水はどこから来てどこへいくのですか。思いついた人から座ってノートに書きましょう」
次から次へと子ども達は着席し、黙ってノートに意見を書き込んでいく。
「子どもを動かす」という言い回しに拒否感がある人は、次のように置き換えてみてはどうだろうか。
「子どもの活動を促す」「子どもが活動するきっかけを示す」
子どもに学習を任せる風潮はますます広がっているが、果たして子ども任せで、先のような「発問・指示」が出てくるのであろうか。(「うちの学級はでてくる」というクラスがあれば是非とも参観させていただきたいと思う)
話を戻そう。
川の水はどこから来てどこへいくのか。この問いに対しては、さまざまな回答が寄せられるはずである。
例えば「山から来て、海へ行く」という意見は大多数の子どもに支持されれるに違いない。
関心の高い子は次のような意見も出してくる。
「海から水は蒸発し、雨となって山に降る。山から水は流れ、海に戻る。そして繰り返す」
この時点で「気づいたこと、考えたこと、わからないこと」をノートに書き出させると一気に授業に深みが出てくる。
それぞれにわからないことを調べさせると次々に新しい発見が出てくるのである。
例えば、川の水は河川水と呼ぶが、それ以外にも地下水が存在するとか、地下水が湧き水となって流れ出たところから川が始まったりする…などである。
授業の中にこうした流れを作ることができる教師は、腕がいい教師なのである。(ただし私がそうだとは言い切れないのも事実である)