食思考マラソン(13)季節の変わり目について(初夏)│太田充胤
本日のメニュー
トマト・茄子・豆腐の味噌汁
ゴーヤのおひたし
胡瓜とわかめの酢の物
鮭ハラス
毎年のことなのですが、季節の変わり目のご飯はだいたいうまく作れません。その季節の食思考のリズムを完全に忘れているからです。
去年の今頃なにを食べていたっけ、というところまでは写真を見ればわかりますが、写真にはレシピも思考の流れも残りません。ああそうだ、こんなおかずがあったっけ、と思い出して9ヶ月ぶりに作ってみても、味が全然決まらなかったりします。献立の組立もいまひとつ調和がとれず、まとまりのないご飯になったりします。
このあたり、一口に季節の変わり目といっても季節ごとにだいぶ事情は異なり、春は比較的簡単です。
あらためて、以前取り上げた春食材を見返していただくと、いずれも食べ方のバリエーションが多くないことがおわかりいただけるかと思います。こうした食材においては、食材を手にとってから、それがおかずに収束するまでの食思考のプロセスが短く、分岐が少ない。言葉を変えれば、食思考への負荷が小さい食材ということになります。感覚的にはほとんど「食材即おかず」という感じです。
加えて、春食材にはいずれも主役感があります。主菜を張れるとはかぎりませんが、手間のかかり方や時期限定の特別感が主役感を演出します。こういう食材/おかずがひとつあると、献立は必ずこれを中心にまとまっていきます。
この「主役」という感覚、ちょっとわかりにくいでしょうか。我々は「主菜」の概念とは別に、献立の軸となる「主役」の概念を持っていてもいいのではないかと常々思っています。主役とはファッションでいえば「今日は靴を魅せるコーデ」における「靴」のことであります。献立において「靴」の位置づけを占めるのが必ずしも主菜ではないことは、論を待たないように思います。
話を戻すと、この点、夏は春と違ってけっこうたいへんです。
ここから先は
¥ 300
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?