森見登美彦「山月記」を読んで
あれから何年経っただろうか。
高校の3年間を棒に振る愚行とも言える芸大受験を盛大に失敗し、この世の全てを呪いながらアスファルトを噛んで過ごした福岡での1年間は、芸大への再受験のストレスと落伍者のレッテルとの間で、自分が何をしたかったのかという目的を見失ったまま、日々の営みは悪臭を放ちながら鼠色に凝り固まり、まるで将棋の終盤戦における桂馬のように深く私の精神に楔を打ち込んでその動きを完全に封じた。
我が子の自立と成長を願って一人暮らしを快諾してくれた両親に対する私の解答は、mixiに積み重ねられた怨嗟の日記と違法ダウンロードされた涼宮ハルヒの憂鬱の動画データ、そして使い古しのティッシュの山のみであった。
1ミリの生産性も持たない生活からの脱却は、「いつか夢見た創作家としての人生」と「ティッシュの空き箱にも似た空っぽなプライド」の二つを捨てることによって、意外にもアッサリと遂げられた。そして私に残ったものはデッサン用に芯を尖らせまくった5B鉛筆と、ブラックラグーンの単行本くらいのものだっただろうか。
奮起して挑んだ2度目のセンター試験には、1年間の想いを込めてあの5Bの鉛筆で挑んだ。
2ちゃんねるの『センター試験に出没した変人奇人あげてけ』スレに『死ぬほど鉛筆尖らせた奴がいて面白過ぎて集中できなかったwwww書き辛いだろjk』と書き込まれた。
ともあれこうして、大局での人生の軌道修正は成され、その後入学した大学で、後に殺人風車と名乗る男や、それに連なる面々との会遇を果たすわけだが、そこに至るまでの道程にはこのような、言い様のない、モラトリアムなどという言葉では決して片付けたくない、ひたすらに鬱屈とした日々が存在していたのだ。
斎藤秀太郎は私である。
斎藤秀太郎はあの時の私であり、そうはならなかった時系列のもう一人の私であり、そして今後そうなるかもしれない未来の私である。
彼は他者との交流を断ち、内なる自分の精神世界にこそ真の現実世界なのだと信じて、一心不乱に執筆に打ち込む。夢や恋に邁進する友人達を愚かな『凡人』と蔑み、崇高な創作活動のみが彼の全てだったのだ。
やがて彼は、創作活動そのものに目的を見出し、何を作り出したのかは二の次になっていた。
それが全て破綻した時に彼が何を思ったのか、それは私が誰よりも知っている。
作中では、己の自尊心に囚われ傲慢の中で成れ果てた姿を『天狗になった』と表現していたが、私はこれによく似た話を聞いたか読んだかしたことがある。
「野槌」や「土転び」と呼ばれるこの妖怪は、目も耳もなく手足もない、口だけが大きな姿の怪物で、泥中をのたうち回っては坂の上から転がり落ちてきたという。
斎藤秀太郎は自分以外の他者の本質を見ることをせず、また他者の言葉に耳を貸すことも拒んで、自らを大人物であると心酔したまま中身のない大言壮語を吐き続けて、やがて、目指す創作の頂への道からも転落してしまう。
人間の傲慢さとは七つの大罪にも数えられる、人が人生をかけて向き合っていくべきテーマの一つでもある。
自らを大人物だと信じたい気持ちは誰の心の中にも存在するし、他者にそれを認められて気分を害する者はいない。
だがそれはあくまでも副産物としての側面に過ぎず、傲慢というツールの本質は、自己肯定と自己満足を往復運動させることにあると私は考えている。これら二つを行き来することで、他者とは違う自分というものを確立させるために人間に備わった機能の一つなのだ。
この動きは自己肯定から自己満足、または自己満足から自己肯定に至る道筋が複雑であればあるほど、多くの苦悩を生み、同時に自分と世界との調和をもたらす。
自己肯定と自己満足は、往復を繰り返しながらも決して一直線であってはならないのだ。
そしてその直線運動に「ゆらぎ」を与え多くの寄り道を生み出すためにこそ自らの中に、他者の本質を見抜く目と、他者の言葉を受け入れる耳、そして泥中を手探りで進み立ち上がるための手段としての手足を手放さずにいなければならない。
「ロコ」という私のこの名前は、口ばかり大きく他者を拒絶してきた自分への戒めとして『口から生まれた口子さん』という歌詞からつけたものだ。
私はこれからもこの名前を傲慢に名乗り続けるだろう。
自ら目耳を塞ぐことのないように。
天狗や野槌や土転び、あるいは虎と呼ばれる怪物に身を落とすことのないように。
世界と関わりを持ちながら、私が私でいられるように。
あれから何年経っただろうか。
私の影に怪物の気配は消えることはない。
書いた人:ロコ