小説家のエッセイ 想像もしていなかった未来

私の人生を激変させた、震度7ぐらいの激震が走った出来事と言えば、
やはりあれしかない。
 
2023年の秋に、私のお腹に宿っている事が判明し、その後、いくつもの血液検査や切迫早産と診断され絶対安静生活、からの予定日を過ぎても生まれない、等々を経て、陣痛促進剤投与で産む事が決まっていたのに、入院前日にいきなり産まれてしまった(しかも、分娩室に入ってから26分で産まれたスピード出産)、私の娘である。

私と夫の間に産まれた長女。(猫が長女なので、感覚的には次女なのだが)
よく、子供が産まれると人生が変わるとか言うが、もう「変わる」どころではない。

それまで自分の為に好き放題使っていた時間は娘のためにある程度割かなければいけなくなるし、自分の化粧水より娘のミルクの方が重要になってしまう。買うのは自分の洋服ではなく娘のベビー服。

我が家は私の希望で一人っ子政策を実施しているので、今後子供が増える事は無い。娘が大きくなれば今より育児がぐっと楽になるし、もう地獄の新生児育児をしなくていい。子供が二人や三人のご家庭よりは楽だろう。それなのにどうしてこんなに疲れるんだ、と思ってしまうぐらいにはそこそこ大変である。

「自分ファースト」だった生活が「娘ファースト」になるという事は、自分勝手に生きてきた私にとって激震どころではない人生大激変である。

そもそも結婚した時点で十分人生激変なのだが、大人だけの暮らしと、小さな赤ちゃんがそこに加わるのはまた違う大変さがある。
もちろん、娘は本当に可愛いし、産んで良かったと思っている。娘を産む前の生活は考えられないし、子供と共に自分も成長していけるし。第一、もう産んでしまっているのだから、今更どうにもできない。

娘の居る生活はなかなか大忙しだ。

つい五年ほど前まで、私は結婚願望も出産願望も無い人間だった。
私はわがままで、自分勝手で、好きなように暴れまわる、若くてきれいで情熱的な女だった。見た目だけで言えば今よりもいい女だったかもしれない。子供も嫌いで、いい女で居続ける事にこだわっていた。

二十五歳の私は、若くてきれいで、そして自由だった。その代わり心の奥底には深い孤独を抱えていたのだ。人から見ればうらやましいような、若さと美しさと自由を持っていたかもしれないが、いつも寂しさを感じていた。誰も自分を理解してくれないと感じ、誰と付き合っても満たされなかった。自分を好きになってくれる人と付き合うも、自分が心から好きになれるような人とは出会えなかった。

それが、ひょんな事から今の夫と出会って付き合い、すぐに結婚した。娘を妊娠して、今年の夏に産まれて、今は人生激変どころではない。あの頃全く想像もしていなかった人生を送っている。

二十五歳の私は若くてきれいで孤独だった。あの頃、自分がきれいでいる事より重要な事は無いような気がしていた。
今の私はあの時とは違うきれいさを持っているかもしれない。それでも、夫と娘に囲まれ、孤独とは違う、忙しい人生を送っている。あの頃は想像もしていなかった、人生を。

そしてこれはこれで、悪くないのである。

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