屋上の少女。
飛び降りようとする少女。
物語の結末を読まず、主人公が不幸なままで本を閉じる姿に自分を重ねた。
物語を終わらせるごとに強くなる閉じ方。投げやり、怒り。
悲しみに囚われて怒りなんか忘れてたな。
ただただ自分の命が憎かった。自分を責め続けていた。
「いやその幸せに辿り着くまで長すぎるしもう終わらせたいんだ」と絶望していた。
でもそれでも、頭の片隅で「待てよ、たしかに…」と脳内再生できるほど繰り返し見た動画。
ふつう、とか
みんなと同じに、とか
周りがそうだから、とか
誰が決めたかわからないことに振り回されて
周囲の言葉に傷付いて
できない自分を蔑んでいる人へ。
いじめられている、とか
いじめの傍観者でいる、とか
人とうまく接することができない、とか
自分の状況や性格、人格を恨み
自身を責め続ける人へ。
明日も生きていたら、やっぱり辛いかもしれない。
明日がおわったら、やっぱり泣いているかもしれない。
明日を乗り越えても、泣き明かす夜が続いていくかもしれない。
「それでも生きていてほしい」と願ってごめん。
自分にだって難しいことを願ってごめんなさい。
だけどきみが本当に求めているのは、
明日を放り投げることじゃなく
明日からの恐怖と不安を抹消することなはず。
ピッ、て赤線引っ張ったら消えれば良いのにね。
"お話はこれからなのに !!"
屋上から飛び降りようとする少女に、物語の主人公たちが叫ぶ台詞。
10代20代なんて、寿命までのお話の1/4にも満たない。
今が辛いのに寿命なんて…と気が遠くなるとは思うけど、年を重ねるごとに心は必ず鈍くなっていく。
傷付きやすい心もケロイドが重なるように分厚くなったりするし、何より記憶が長いこと続かなくなる。
それが、悲しみや孤独に苦しむ人間に備わった制御装置なのだと思う。
苦しいことは永遠には続かない。
それだけは断言できる。
逆に、幸せも永遠には続かない。
でも本当はどちらも捉え方次第で、見る側面を変えたらどっちにも転がせたりするもので。
(年取るとちょっとずつできてくる、よ。たまにね)
だから苦しいことからは逃げていい。
生きることが苦しいんじゃなく、
今置かれている状況に苦しめられているのだと認識してほしい。
SOSを発していい真っ当な理由であることを。
そもそも「助けて」という言葉はまだ逃げではない。
ただの報告。相談。連絡。これ大事。
あらゆる手段で発信して、
そこから一緒に逃げ方を考えるんだよ。
それこそ"みんなそうしてる"ことなんだから乗っかっちゃいなよ。
生涯素晴らしい思い出もなしに、
一人きりで強く生きてる人間なんかいないもの。
今生きづらさを抱えるあなたは、
この先誰よりも生きてることに喜びを感じられる心を持っている。絶対に。
そんなお話、いつかここで聞かせてよ。
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