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#14 銀河の犬と水玉~曼珠沙華の伝言~


地元の鍼灸院

 ネットで検索すると病名を載せてる鍼灸院があった。
 鍼灸なので、東京の病院と似たような治療だろうか?
 とりあえず電話で確認した。
 病名は知っているし治療法もわかっているとの事だった。
 予約が必要だと言われて数日後の予約を取った。
 運転も出来るはずもなく、バスはそこまで通ってなかった。
 仕方なくタクシーを呼び、行先の住所と院名をメモして渡し、座位が保てない私は後ろの座席で横になって寝たまま向かった。
 電話でも散々症状は伝えたが、東京の病院で鍼は使わない方が良いと言われたのでお灸でお願いしたいとも伝えたが、
 「ウチのは大丈夫だから。
 こんな短くて痛みのない鍼だから、鍼がダメな人でもこれは皆大丈夫だから」と。
 いや、普通の人と一緒にされても……と不安がよぎり、鍼は以前交通事故で受けた時にも気分が悪くなったのでやはり使いたくないのですが……と伝えるも、
 お灸の先に短い鍼が付いてるタイプで一緒になってるのでやるしかないと言われる。
 そこまで言うのなら大丈夫なのだろう、と
 気分が悪くなったらすぐに言ってね。と言われて、うつ伏せになり背中に一周鍼のついたお灸をセッティングされる。
 痛みは感じず、むしろ息苦しさと身体の辛さで全く何も感じなかった。
 火をつけて行くからね。と手早く一気に火がつけられた。
 しばらくすると気持ち良いどころか、気持ち悪さが込み上げてきた。
 目眩のようなグルングルンすると言い出してから間もなく、手脚が痺れてきた。
 電気が走るようにビリビリ言っているかのような痺れの後、痺れは激痛に変わった。
 そして範囲が手脚の先だけでなく全体に広がった。
 脚はキン肉マンに引きちぎられるとしか思えない激痛。
 もぎ取られるような肉の痛み。
 大声を出す体力のない私はそれでも精一杯に泣き叫んでいた。
 痛みで涙が止まらず目も開けられない。
 なんとか症状を伝えようとしても、あまりの痛さに「痛い」しか出てこない。

 あ——————!!!!
 う————!!!!
 痛い!痛い!痛い!!!

 過呼吸になり、痛みはMAXとなり、手脚は硬直して動かせなくなった。
 腕はロボットダンスのように直角に曲げたまま、硬直して周りの人が腕を下ろしてくれようとしても全く動かない。
 御家族の方も降りてこられて手を握ってくれたり脚をさすってくれたりしながら声をかけてくれた。
 救急車を呼ぶ?と聞かれてうなづいて答えた。
 救急車を呼んだからね、すぐ来るからね。もう大丈夫だからね。
 奥様とおばあちゃんだろうか。
 優しくずっと手を握りながらそばにいて声をかけ続けてくれていた。

救急搬送

 そして搬入先はK病院。
 ここも大きな病院の内に入るが、点滴をして落ち着いてきた頃、若い女医さんから説明があった。
 それは耳を疑う言葉だった。
 慢性疲労症候群ですか?そんな小さな町医者の診断で決めつけないで。
 検査結果では肝臓の数値も異常がありました。
 大きな病院できちんと検査した方が良いでしょう。
 他の検査もすればちゃんとした病名もわかると思いますから。
 小さな町医者と言い放ったけれど、後に東大からのハーバード出身の医師である事がわかったわけだが、それを外したとしても経験値で大きな差があったであろう若い女医さんが何故そこまで偏見で物を言うのか?
 この病院がそういう資質なのか?
 単に先生の性格の悪さなのか?
 そして地元最後の大きな病院への紹介状を渡された。
 次の病院も認めてくれないなら、本格的に地元は全病院NGとなる。
 どうかまともな先生がいますように。
 祈りながら翌日にS病院を訪れた。

県内病院アウトー

 もう自力で歩く事は不可能だった。
 車椅子に真っ直ぐ座ることさえ困難だった。
 単独行動は出来るはずもなく、母親に介助されS病院を訪れた。
 タクシーを降りて直ぐに入口の車椅子を拝借し、慣れない母親の車椅子さばきにより、しんどさが増すばかりとなった。
 義務教育の中に車椅子や白杖を体験する時間を作って欲しいものだと切実に願う。
 車椅子と言うのは色々なタイプがあるが、初めて触る人には乗ってる人の感覚が分からなすぎて、とにかく押すのが早い。
 点字ブロックや凹凸のある床の上を渡る時には振動が痛い。
 そして押す人が思っているよりも足は前まで出ているので、前に人がいると何度もぶつかる。
 座ってる人にはハンドルやブレーキが無いので、
 ぶつかる!危ない!と押してる人に聞こえるように後ろを振り向いて大声で怒鳴らないと聞こえない。
 でも、その頃にはもう遅くて大抵ぶつかっているので、相手に謝るのが先なのだ。
 そしてその振動すらわからない押す人はぶつかってる事にも気づかず更に押す。
 痛い!と振り返った人に対して更にぶつけ続けている事に気づかない。
 なので「思ってる以上に車椅子の足元は前に出てるから人にぶつからないように幅をあけて」とお願いしても
「わかってる!知ってる!ちゃんとやってる!」
 と怒るばかりで人の話を聞かないのが高齢者だ。
  いや、全ての高齢者を当てはめるのは申し訳ない。うちの母だ。
 そしてこの日も何度も何人もぶつかりまくった。

 これを機に車椅子を押す人と乗る人の両方を是非体験してみて欲しい。
 言葉より体験すれば一度で全部わかるから。

 S病院ではあらゆる検査を回る中で悲劇は起こった。
 エコー検査でガンガンに冷房が効いている為鳥肌がたち悪寒が止まらない部屋で上半身裸で横たわり、機械を当てられながらいつまでも終わらない。
 果てしなく遅い。
 こんなに時間がかかり過ぎるのは初めてなのだが…
 どうやら研修医なのか、やたらと丁寧にひたすら遅い。
 その内震えが止まらなくなり体がガクガクと大きく揺れ始めた。
 ヘラヘラ笑ったその医師は
 「寒いですかぁ?(笑)動くと撮れないので頑張ってください~(笑)」と何故か「(笑)」がついた話し方でまたいつまでも同じ所を見ている。
 いつまでかかるの?まだ終わらないの?寒くて凍えそう。気持ち悪い。頭痛い。
 20分はとっくに過ぎた時点で終わったかと思ったら上司を呼んだ。
「確認してもらっていいですか?」
 はあ?
 だから、そーゆー研修医の「じっくり時間をかけてやるやつ」はこんなにヤバそうな紹介状で来てる患者じゃなくて、ある程度元気な人でやってくれないのかなぁ?
 ベテランらしき上司が登場し、私の状態を見て驚いた。
「大丈夫ですか?タオル持ってきて!」
 ヘラヘラ笑った医師がタオルを取りに行ってる間に
 「喋れますか?大丈夫ですか?」と身体をさすりながら必死に声をかけてくれている。
 既に朦朧としている私はなんとか助けて欲しくて
 「寒くて…頭も痛くて…話せません……寒い…」 とだけ告げて意識は遠のいた。
 集中治療室のような部屋へ運ばれ、ベッドに寝かせてもらい布団と毛布をかけて貰ったが凍えるように寒くて震えが止まらない。
 母親が呼ばれて、来た途端に
 「いつまでも終わらないから何やってるのかと思った!なんでエコー検査で30分以上もかかるの?」と怒っていた。
 やはり検査の時間が異様に長すぎたらしかった。
 私の体はすっかり冷えて、体温計を測ると受付の時は36度だったのに37度後半まで上がっていた。
 ベテランらしき上司の看護師さんが「こんなに冷えて。寒かったわよね。ごめんなさいね。」と何度も謝ってくれた。
 そこで悲劇は終わらなかった。
 内科のS先生の順番待ちで、時間が来たと看護師さんが教えに来てくれた。
「こんな状態なのに…車椅子に座れますか?先生もコッチへ来てくれたらいいのに!」
 大体、看護師さんは優しくて良心的な人が多い。
 いつもトンチンカンなのは医者だ。
 稀に激しく嫌味で意地悪な看護師もいるが……
 長い待ち時間の間、寝かせて貰っていたので何とか車椅子に座り、S先生の部屋へと移動した。
 またしても、若くて少しチャラい男性医師が座っていた。
 城田優に似ていた。
 言うまでもなく、私はこの日から城田優を見る度に嫌な思いが沸き起こる体質となってしまった。
 城田優には何の罪もないのに。
「なんか~大変な病気との事ですが~(笑)ここでは何も出来ることが無いので、まあ、頑張って専門医に通ってください(笑)」
 この病院ではヘラヘラと(笑)のついた話し方でしか話せる医師はいないのか?
 私は怒る気力も失って、また車椅子からずり落ちていったままチャラい城田優の激しく嫌悪感を抱かせるその言葉を聞いていた。

 母親がついに怒り口調で言った。
「見てわかると思うんですが、このようにまともに座る事も出来ないし息は荒いし食べられないし立ち上がる事も出来なくてトイレも行けない状態なのに、注射とか点滴とか、何にもないんですか?入院出来ると思って連れて来たんですけど!!」
「検査結果に異常は無いので~(笑)ウチで出来ることは無いですね~(笑)」
 だから。
 なぜ、その(笑)がつくのか。
 笑う箇所はひとつも無いけど!!!
「せめて薬とか!何かないんですか?何にも出来ないわけないですよね?」
 食い下がる母に
「もういいよ。早く帰ろう。寝たい」
 私は一刻も早くこんな地獄のような病院から立ち去りたかった。
 東京との医療格差が酷すぎる現実にただただ絶望した。
 田舎ってだけで、こんなに生きづらいのか?
 田舎で病気になったら助からないのか?
 これが田舎という現実か。
 帰り道の車内から見える開けた空も、山の緑も、憎々しく映った。
 見る物全てに絶望を覚えた。
 そんな時ですら、唯一ジュビ子の体温は愛しくてあたたかかった。
 ふわふわな毛も、可愛い瞳も、ジュビ子だけは変わらない真実だった。
 悔しさも絶望も、ジュビ子はそっと受け止めてくれていた。

点滴と注射の日々

 大きな病院は全滅なので、近所の何年も前からお世話になっている内科へ駆け込んだ。
 「この状態で入院じゃないんですか?」医師は驚いて聞いてきた。
 「私も母も入院出来ると思ったんですけど、検査に異常がないからできる事は何も無いと帰されました」と告げると、「うちには入院設備が無いから出来ないんだけど、これはしばらく毎日点滴と注射が必要です。通えますか?」と言ってくださった。
 そこから毎日、点滴と注射へ通い、2週間ほど経ち、やっとヨロヨロと歩ける程度にまで回復した。
 それから暫く通院を続けた。
 強い痛みが発作的に出る事が増え、後に線維筋痛症も併発していると診断されたが、この病院では痛み止めの注射もしてくれていたので、短時間で治まる事が出来ていた。
 やっと受診を出来る病院が出来て安心していたものの、症状は加速していき、線維筋痛症の地獄のような痛みの発作が頻繁に出るようになっていった。

12月の緊急入院

 季節は冬に入り12月の事。
 いつもの様に点滴と注射を受けるも病院で発作が起こり、痛み止めで一時は良くなるものの帰宅しても気分が悪いまま、ずっと横になっていたが夕方5時にはまた手足の痺れが始まり、激痛へと変わり、7時には両手脚が硬直して動かせなくなり、様子を見ていても悪化するばかりなので救急車を呼んだ。
 ジュビ子は心配そうに近寄って覗いていた。
 救急車に乗せられて運ばれる私を何度も吠えていたと後から聞いた。
 慢性疲労症候群という病名の為に受け入れ先がなく、暫くそのまま救急車で寝かされ、やっと決まった搬送先は、あの国立病院だった。
 その日は入院となり、何度も代わる代わる看護師さんが来て言葉を話すのも本当はしんどいから話したくないけど、大切な事だから病名と情報を伝えた。
 喉がカラカラで脱水のまま何度も伝えた。
 でも、話させるだけ話させておいて、信じては貰えなかった。
 まともに聞いてるとも思えなかった。
 当然、点滴のみで、いつも発作が起きたら痛み止めを注射してもらって数時間で治ると伝えても「痛み止めは必要ない」としてただの食塩水を点滴されたまま、検査は異常がない病気だからと伝えても検査をし、前回が誤診であった事も認めず、「そんな病気が本当にあるのか知らないですけどぉ~。」と、また若い女医に鼻で笑われ、「ただの過換気症候群なので、いちいち救急車を呼ばないで。できる事は何も無いので。とにかく精神科へ行った方が良い。」と、付き添いの家族にも説明された。

 完全に精神疾患の患者と決めつけられた。

 そして激しい脱水なので水を飲ませて欲しいと言っても、医師の許可が無いとダメだと言われ、両手脚が動かせない私は自分で飲むことも出来ない。
 冬服で何枚も重ねて着ている衣服が全て汗でびしょ濡れになってる。
 それ程までに異常な発汗をしたので、脱水で頭痛も酷い。
 せめて頭痛薬を飲ませて貰えませんか?と聞いてもそれも医師の許可が無いとダメだと言われ何時間も放置される。
 1時間毎に見回りにくるはずの看護師に話しかけたくてもカーテンの隙間から一瞬覗いて逃げるように去っていくので話せない。
 手が動かないのでナースボタンも押せない。
 1人の看護師が「私の友達も慢性疲労症候群なんですけどね、なんか、急に寝ちゃうんでしょう?」と言ってきた。
 私の必死の説明を何一つ聞いてなかったんだなと愕然とした。
 そして、そんな友達本当はいないんだろうし、本当に友達なら「急に寝ちゃう」という発言を看護師でありながらする筈はないと思った。
 そして医師は何時間も許可を出さずに私は水も薬も貰えないまま痛くて苦しくて顔を歪ませていた。

 夜中に交代の看護師さんが来て、初めてちゃんとカーテンの中まで入って顔を見に来てくれる人だった。
 若くて可愛らしい女性だった。
 頭痛が酷くて頭痛薬をお願いしてから何時間も経つんですけど、許可はまだ降りないでしょうか?
 と縋るように聞くと
 「え!直ぐに確認しますね」と連絡を入れてくれたが、薬が貰えたのはそのまた数時間後だった。
 何度も確認してくれた看護師に医師が返事をしなかったからだった。それでも看護師さんが謝ってくれた。

 この土地の医師は鬼なのか?
 近所の内科が閉まっている時間に何かが起きたら我慢するしかないんだな。
 例えそのまま死んでしまう事になっても。
 むしろ死ねばこの病気を認めてもらえるのかな。いや、認めずに「心不全」にしそうだな。
 そう確信した夜だった。
 朝方になり、やっと手が動くようになり、続いて足も動かせるようになった。
 ずっと我慢していたトイレにも行く事が出来た。
 そして鼻で笑いながら「そんな病気が本当にあるのか知らないですけど」と言い放った若い女医は早朝に説明に来たが、やはり精神科へ行ってください。との事だった。
 じゃあ紹介してくださいと言っても、自分で探してくださいと切り捨てられた。
 家族は完全に、田舎あるあるの「大きな病院の先生は間違いない」という洗脳に侵されている為に、私を見る目が完全に変わった。

精神科を受診

 そこで私は精神科を受診する事にした。
 もし、あの時、へっぽこな精神科へ行っていたなら私の人生は終わっていただろう。
 精神病と名付けられ、抗うつ薬を飲まされ、副作用と離脱症状で一生寝たきりの薬漬けで内蔵がボロボロになっていただろう。
 しかし私は追い詰められた肝心な時には必ず拾う神が現れる「持ってる女」だ。
 驚くべき事に、その精神科医は慢性疲労症候群を知っていた。
 しかも患者会のニュースの内容まで知っていた。
「国立病院なのに、1人も知ってる先生居なかったの?」
「はなから信じてくれなくて、他の医師に相談すらしてなかったです。過呼吸って最初から決めつけてたから」と言うと
 「40年も前から研究されてる病気なんだよ?WHOが認めてるのに、そんな病気が本当にあるのかなんて言う医者がいるの?国立病院なのに?」と何度も驚かれていた。
 「うちで診てあげたいけれども、まだ治療法が無いのは知ってるかな?何が効くのかわからないんだよ。だから、色んな検査をして薬を試していく事しか出来ないんだけれど、それで良ければ内科で受付出来るけど、どうする?だってこの病気は精神病じゃないからね。でも、完治は望めない病気だから、寛解を目指しましょう。まずは血液検査からかな。」と言っていただけて、本当に嬉しかった。安心した。
 しかし、処方薬と点滴と注射なら、近所の内科で診てもらえてるので、大丈夫です。と告げた。
「この病気はね、40年も前から研究されてるのに、まだ原因不明でわからない病気なんです。ということはね、貴方が初めての症状を起こす事もあるかもしれないということ。何が起こるかわからない病気で、まだ解明されてない病気なんだから、ただの過換気だなんて我慢して救急車も呼ばないでいたら大変な事になるかもしれないですから。何かあったら救急車は呼んでいいんですよ」
 そう言われて涙が溢れた。
 と共に、国立病院への怒りが湧き上がった。

田舎の絶対権力

 家族に結果を伝えたが、それでも半信半疑のようだった。
 家族間での疑いの目ほど、苦痛なものは無い。
 それを引き起こした若い女医の鼻で笑った顔が頭から離れなかった。
 私は2度と同じ事をして欲しくないので、病気について、そして精神科の医師は精神病じゃないと言った事も手紙にして、資料を添えて国立病院へ持って行った。
 もちろん謝罪の言葉もなく、受付では免許証をコピーさせろとか診察券を提示させられたりした。
 この件について患者会と繋がりのある自民党の議員にメールを何度も送ったが返事は無かった。
 市長と県庁の障害福祉課にもメールをしたが、相手にされず、SNSで知り合った社会福祉士の方が間に入ってくださった途端に連絡が来たが、結局は国立病院がその女医を辞めさせ「本人がいないので何も話せることは無い」として謝罪の一言も、これからもこのような対応をするのか?という問に対しての返事も無かった。
 市役所の役員が直接訪れても「本当に市役所の人間か。」「個人情報だから患者の許可なしに話せない」などと理由をこじつけて追い払ってもいた。
 世の中で力を持つものは何をしても許されて野放しにされるのだと、現実を理解した。


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