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月のうたアラカルト

酒に酔い死んだ李白が見た月よ
クラウディウスが子と見た月よ

海月揺


すいません、調子に乗って短歌っぽいものを詠んでしまいました。

私は詩を読むのが好きなんですが詠む方はからっきしで、でも短歌を詠むことには以前から憧れがありまして。

最近何かと月を題材にした作品(詩に限らず)に触れることが多く、左右社から出ている『月のうた』という短歌アンソロジーを手に取ったが最後、月っていいよな……という気持ちがますます募ってつい真似事をしてしまいました。


で、冒頭のアレです。
李白は聞いたことあるけどクラウディウスって誰だよ、他の人に読ませる気あるのかといった声が聞こえてきそうです。(幻聴)
すいません今いちから説明するので…!ゆるして…!

というわけで、これは自分で書いたものを自分で解説するという世にも恥ずかしい趣旨の記事です。
解説というか、月にまつわる詩の話を並べているだけなんだけども。
冒頭のよく分からんやつのことは一旦忘れて、月を見ているいろんな人がいるなあと思って見てもらえたらと思います。




というわけで、上にも書いた左右社の『月のうた』。


ある日、私が眠れない夜のお供にこの本をパラパラめくっていると、一つの作品が目に留まった。

月光は今も満ちるかぼくたちが愛と憎悪を学んだ部屋に

59頁/松野志保


……さっそく話が詩から逸れるが、子どもの頃の私はドビュッシーの「月の光」を聴きながら空想の世界に耽るのが好きだった。

縁側に座って月を見上げる<わたし>は、いつしか月の光に誘われて夢の世界に遊ぶ。
ふと気がつくと<わたし>は縁側に横になった状態で目が覚めて、しんと静かな夜空に月は変わらず皓々と輝いているのであった。

……という内容の、空想


気を取り直して。
寝室と月という取り合わせで他に思い浮かぶお気に入りの詩として、十八世紀ドイツのマティアス・クラウディウスが書いた「夕べの歌」と呼ばれる民謡がある。

月がのぼり
金色の星たちも
明るく空に輝いている。
森は黒々と静まりかえり
牧場からは
白い霧が濛々と立ちのぼる。

なんという静かな世界
やさしく なごやかに
夕焼けに包まれている、
ちょうど 昼間の苦しみを
眠りで癒してくれる
静かな部屋のように。

(中略)

さあ 兄弟よ
神の御名のもと 床につこう、
夜風は冷たいから。
神よ われらを罰することなく
安らかな眠りをお与えください、
われらと われらの病める隣人に。

クラウディウスは牧師の家庭で育ち、本人は雑誌の編集者や作家として暮らしていた。
日本ではあまり知られていないが(日本語版Wikipediaにも記事がない)、シューベルトの歌曲「死と乙女」や「子守歌」の詩で有名な人だ。

12人の子がいた(そのうち3人を早くに亡くしている)というクラウディウスが、子どもたちと窓の向こうに見える月を見ながら眠りにつく前のひとときを過ごしている、やさしい光景が思い浮かぶ。




短歌に話を戻すと、月を連想させるお気に入りの作品がもう一つある。

酒に酔い死んでしまったのが李白 そうじゃないのが杜甫だったはず

せきしろ

「杜甫と李白ってよく知らないけどなんか授業で聞いたことあるな~」くらいの人が、古代中国の詩人として双璧をなす二人の違いを「酒に酔って死んじゃった方とそうでない方」と認識している様子が浮かぶのが、個人的にとても良い。

……おいおいちょっと待ってくれよ、これのどこに月があるんだと思われたかもしれない。
私がこの短歌に月を見るのは、「酒に酔い死んでしまったのが李白」という句が、李白の「捉月伝説」を下敷きにしているからだ。

舟の上でひとり酒を飲んでいた李白は酔っ払って、水面にうつる月を掴もうとして溺れ死んだ――。

伝説と呼ばれる通り後世の創作といわれているが、それにしても、こんな話が人々の間に大きく広まっていたという事実だけで李白という人物の人柄や作風が窺われてなかなか面白い。


そんな李白も、もちろん月をうたに詠んでいる。

寝台の前で月の光を見る
地面に降りた霜のようだ
顔を挙げて山の上の月をながめ
頭を垂れて故郷を思う

李白「静夜思」

実は漢詩を読むのは久しぶりなので、あったな~と思いながら懐かしく見ている。

李白といえば昔は「将進酒」や「友人会宿」といったもっぱらお酒のうたを好んで読んでいた。「白髪三千丈」は有名なフレーズだけれど、他にも「天地は即ち衾枕(掛け布団と枕)なり」とか「銀河の九天より落つる」とか、李白にしかないダイナミックな表現を見るのが楽しかった。

しかし、ここまで「寝床から見える月」を情景に含むうたを見てきた流れで「静夜思」を読み直すと、以前とは見え方が変わってくるのが分かる。
それまでに見てきたものによって感じる重みが増す現象を、私はよく「文脈バフ」と呼んでいる。

どこにいても、いつの時代も変わらず我々を見守るものとしての月に、人々が寄せる想いを見るのが私は好きだ。



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