舟と月と酒と ~庾信の詩から

※当記事は、2017年にはてなブログに投稿した「舟と月と酒と」https://lizishan.hatenablog.com/entry/2017/09/14/004129 の転載です。



ネット上で庾信の詩の話をしている方といえば、ということで小玄さんのブログにこっそりよくお邪魔するのですが、特にこの記事が好きです。


いったい,庾子山は,こんな夜更けに,たったひとりでどこへいこうとするのだ
というイメージは,さらに發展して,白く,皦(しろ)い,後世の詩歌にうたわれる庾郎, “庾蘭成” の亡靈だ。

「蘭成の亡霊」が好きすぎて何度でも読み返してしまうこのくだり。色んな妄想が掻き立てられる……という話はさておき。

月は酒と並んで好きなモチーフですが、加えて舟というのがまたいい。
月明りが照らす夜、ぽつんと浮かぶ小舟がゆっくりと遠くへ消えてゆく。李白の有名な「孤帆遠影碧空尽」((「黄鶴楼送孟浩然之広陵」)) のような景色が思い浮かびます。

ただあのうたと違うのは、三句目から月の白い光が辺りを照らすさまや月が浮かぶ夜空への描写を重ねた先に、「蓂莢」という伝説上のおめでたい植物を日がかわったことをいう表現に用いていて、何だかこの場所だけが別世界のように感じられるところ。典故を含めつつひたすら月の形容を並べる中盤を見ると、なるほど南朝で育った彼の詩だなあと思います。何となく。


  舟中望月   舟中に月を望む

舟子夜離家   舟子 夜に家を離れ
開舲望月華   舲を開きて月華を望む
山明疑有雪   山は明るくして 雪有るかと疑われ
岸白不関沙   岸は白くして 沙に関わらず
天漢看珠蚌   天漢に 珠蚌を見
星橋似桂花   星橋は 桂花に似たり
灰飛重暈欠   灰飛びて 重暈欠け
蓂落独輪斜   蓂落ちて 独輪斜めなり


  舟中に月を望む

舟子は夜に家を離れると
舟を出して月を眺めている
山は明るく 雪があるのかと疑われるほど
川岸は白く とても沙とは思えない
天の川に珠蚌のような月が見えて
星が煌めく橋には桂の花が咲いているよう
灰が飛んで 重なっていた光の輪は欠け始め
蓂莢の葉が落ち 月は斜めに傾いていく


『漢語大詞典』は「舲」の項目でこの詩を例に挙げて「舟窗」と説明しているんですが、そうするとますます舟子との繋がりが…。
私は舟子=船頭で、船頭に自身(語り手、或いは庾信自身)を仮託しているイメージでふんわり解釈しました。

「灰飛~」について。『淮南子』覧冥訓に「そもそも物が互いに変化し影響し合うさまは、奥深く神秘的であって、いかなる叡知をもってしても論じ難く、いかなる明察をもってしても解き得ないものである。(中略)蘆(あし)の灰を使って牖(まど)の下の月光の中で円を描き、その一区を切り取ると、それに従って月輪の一区が欠けたり、また大鯨が死ぬと彗星が出るというのも、物類が感応して動くためである」とあるようです。(新釈漢文大系の通釈より引用)



それから「舟中望月」のイメージで何故か連想するのが、「正旦蒙趙王賚酒」の「流星は椀に向いて落つ」という句。小さなお椀の内側に世界が広がっていて、そこに流星が落ちていくという浪漫がお気に入りです。


  正旦蒙趙王賚酒   正旦 趙王の賚酒を蒙る

正旦辟悪酒   正旦 悪を辟くる酒
新年長命杯   新年 長命の酒
柏葉随銘至   柏葉 銘に随いて至り
椒花逐頌来   椒花 頌に逐いて来る
流星向椀落   流星 椀に向かいて落ち
浮蟻対春開   浮蟻 春に対して開く
成都已救火   成都 已に火を救う
蜀使何時迴   蜀使 何れの時にか迴らん


最後の二句について。
正月元日の宴会に遅れてやって来た欒巴は、酒が出されると今度はそれを飲まずに口に含んでぷっと噴いたので、これを問い質すと、「先程までいた故郷の成都で見た火事を救ったのです」と答えた。確認したところ、実際に成都では元日の早くに火事があったが、やがて酒の匂いのする大雨が降って火は消えたという。
――という話が『神仙伝』に見えるようです。とっくに宴は始まっていて、成都の火も収まったのに、貴方(趙王)はいつになったら帰ってくるのかと。

やっぱり彼は酒に酔うと朗らかになるイメージがありますね。かわいい。

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