読んだ本の記録(24年5月~7月)
ニーアオートマタ(ゲーム)に出てくるパスカルが好きだからという謎の理由で『パンセ』(塩川徹也訳、岩波文庫)を読み始めたのが三月
そこからなぜか実在した方のパスカルにのめり込み、『小品と手紙』『寝るまえ5分のパスカル』『パスカルと身体の生』などを経て、
あっちこっち脱線しながら文学と宗教と哲学(思想)の間のよく分からん部分を好きなように食べ散らかしています
(以下、名前の違うTwitterのアカウントが二つほど出てきますがどちらもこのnoteを書いている人のものです)
ゲツセマネの夜(田辺保)
・実はまだ最後まで読めていないが本当に好きな本 パスカルの「イエスの秘儀」がどうしようもなく好きな人間に刺さらないわけがない
・パスカルにハマり、他の思想家にも手を広げるかと思いきやキリスト教の方に興味が向かったのはだいたい「秘儀」のせいです
よくわかるキリスト教の礼拝(小栗献)
・教会のコンサートに足を運んでみることを(パスカル関係なく)たまたま思い立ち、コンサートが日曜だったのでついでにミサ(礼拝)にも出てみようかと思って予習のつもりで読んだ本
・礼拝に出る実績を解除するだけのつもりが、いろんなきっかけが重なって教会に通うようになったのはまた別のお話
小栗献『よくわかるキリスト教の礼拝』読みました 今いろんな本に手を出して収拾つかなくなってるから一冊読み終わらせたことにまずは安心した(…)
— 夢斗 (@xinbojing) May 14, 2024
このやわらかさで関連書籍の紹介だけじゃなく索引までついてるのめちゃ親切だなと
個人的には説教についての話が興味深かったです 面白かった
>説教者はどんな場合でも信仰的実存をかけて真剣に聖書の言葉を語ります。
— 夢斗 (@xinbojing) May 14, 2024
この一文が好き 一般向けに噛み砕いた文章の中でさらっと使われる「信仰的実存をかけて」という言葉の重みが
哲人たちの人生談義(國方栄二)
・パスカルが引き合いに出しているエピクテトスやストア派について何か読みたくて手に取った本
『要録』の、人間の判断、衝動、欲望、忌避が「我々の力の及ぶもの」として意のままになるものとされている←この前提が相容れない パスカルの理性不信の方がまだ理解できる
— 夢斗 (@xinbojing) June 4, 2024
>エピクテトスは、みずからの心に絶対的な自由の場を求めたという点では、伝統的なギリシアの思想史よりも、むしろキリスト教的な自由意志論に連結するような側面をもっていた、と言えるだろう。(『哲人たちの人生談義』115-116頁)
— ゆりいか (@yutaihaku) June 6, 2024
(人間の自由意志を軽視する)ジャンセニスムに傾倒したパスカルが読んでいたエピクテトスでこういう話になるの面白すぎるなと思った瞬間、次の段落でパスカルに傲慢と批判された件に思いっきり触れられてて笑顔になった 楽しいね……
— ゆりいか (@yutaihaku) June 6, 2024
というわけで國方栄二『哲人たちの人生談義』読み終わりました 面白かった
— 夢斗 (@xinbojing) June 6, 2024
二時間前の自分の呟きを伏線回収するかのような終章の締めに笑ってしまった 「かつて哲人たちが歩んだ道を歩んでいくのは、それに関する情報をあたえてくれる大学の哲学教師たちではない。」ということでね… https://t.co/wiy5K56m7F
狭き門(中条省平・中条志穂訳)
・2019年に読んだ本を信仰の話といえば…で思い出して再読
・パスカルの(キリスト教的な)潔癖さとアリサの潔癖さは通じるところがありそうと思っていたら、めちゃくちゃパスカルの引用があってびっくりした しかも地の文とかじゃなくて作中の人物がパスカルを愛読している そんなことあるんだ……
『狭き門』(光文社古典新訳文庫)読み終わった
— ゆりいか (@yutaihaku) July 11, 2024
解説にアリサの信仰にひそむニヒリズムという話があって、彼女は神を通して別のものを世に見ていたと考えるとなるほど確かに腑に落ちるところがあるなと
そうしてみると確かにパスカルも、神への信仰を通して人間に対する不信を見ていたともいえそうだしなと、不思議に思えるほど色とりどりの引用を横目に見ながらね……
— ゆりいか (@yutaihaku) July 11, 2024
狭き門にロアネーズ嬢宛の手紙の一節もあるし、メモリアルもあるし、病の善用を神に求める祈りもある なぜこんなに多彩なんだパスカルだけ 私にこんなに都合のいいことがあっていいのか
— ゆりいか (@yutaihaku) July 11, 2024
前にもちらっと書いたけど中条さんの「『狭き門』における信仰は愛より小さな問題にすぎない」という読み方は個人的にかなり腑に落ちるところがある
— ゆりいか (@yutaihaku) July 13, 2024
作中の神の扱いってなんというか随分一面的で、愛を描くための装置にするためにそうしたと考えるとしっくりくるのよなhttps://t.co/zEcnn1cD9E
深い河(遠藤周作)
・読むしかないと思った
・これの前に映画「沈黙(2016)」と短編集『秋のカテドラル』から何作か読みました 「黒い十字架」が好き
・割と初めの方に、作中人物が聖書をたまたま開いたページに載っていたという体で(パスカルも引いていた)苦難の僕が出てきて、苦難の僕だ…と思いながら読んでいたら、その下味が最後まで効いていてよかった 章立てにも思いっきり使われているしな
・神のことを「玉ねぎ」と読んで会話をし続ける二人が作中にいて、当初は「えらいとんちきが始まったのにツッコんでくれる人が誰もいない助けて」などと思っていたけど、読み終える頃にはすっかり慣れて自分も(深い河関係なく)真似したくなった 何だかんだで便利なのだこの呼び名、不思議なことに
・教会で説教を聞くようになって、自分にとっての神ってなんだろうって考える機会ができたタイミングでこれを読めたのはよかった
・ちょうど直前に「ぬいぐるみを抱きしめるのって神に祈るみたいだな」という発見が自分の中であったので、作中の童話作家の、幼少期から今に至るまで人には話せない孤独を打ち明ける相手として過ごした動物たちを神にたとえるくだりで膝を打った
・個人的に神を信じることと(例えば)仏教式の葬式をやることは排反しないと思っているから、そういう意味では大津が言う「ユダヤ教徒にも仏教の信徒のなかにも(…)神はおられる」というのに割と近いというか、それがやっぱ日本人的な考えなんだろうな 大津はそれでめちゃ怒られてるけど
……という感じで、信仰について体感に合う部分が多く、頭にすっと入ってきて面白かった 作者がずっと問い続けてきたであろう「日本人とキリスト教」の「答え」をいきなり読んでしまってよかったのかという気持ちにならなくもないけれど