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ありすぎる悲しみは身体を冷やすけれど、自分と周りを温める力にも変えられる-秋土用の感情養生-


2020年10月31日。現在、秋の土用真っ只中です。


ゆるくデジタル・デトックスをしている影響か、インスピレーションを受け取ることが増え、自分の中で扱いにくい感情だった悲しみについての理解が進んでいます。今号では秋の感情・悲しみについて書いてみました🍁


悲しみは後天的に育んでいくもの

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(出典:yoga generation

五行の考えでは各季節+土用にそれぞれ対応する感情があると考えますが、秋は悲しみの季節です。

悲しみという感情は行動として表現されるまでには他の感情よりも時間がかかります。恐れや怒りは感情を想起してから瞬時に人を行動に駆り立てますが、それは危機から瞬時に身を守るために先天的に持って生まれてきた感情だからです。恐れは危険なものからすぐさま逃げることを促し、怒りは自分を守るために戦うためのエネルギーを一瞬のうちに凝縮させます。
一方で悲しみは、後天的に育てていく感情であり、共感力とともに育組まれるものです。目の前の世界を身体全体でしっかりと味わい、共感していく体験の積み重ねによって悲しみの感情は育っていくのです。


悲しみも怒りも恐れもだれかと愛をわかち合うためにある

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しかし、悲しみには人間の行動を止める作用があるため、人間は本能的に悲しみを避けようとします。行動を止めておかなくてはならないのは人間にとって危険なことだからです。ゆえに、人間はなかなか悲しみを持ち続けることができません。感じきれなかった悲しみは凍結され「恐れ」という冷たい地中へ一時的に保存されます。ただ、もしその悲しみがしばらく取り出せなかったとしても決して行方不明になることはありません。「怒り」が悲しみのある場所を教えてくれるからです。

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悲しみが刺激されると、人は突発的に怒りを覚えます。
怒りは二次感情、悲しみは一次感情といわれ、今まで私は怒りのことを悲しみを守る存在だと思っていました。悲しみが刺激されて生命に危機が及ばないように守っているのだ、と。
でも、怒りは悲しみを凍結状態から解放し、恐れという冷たい地中から外へ出する役割があると最近感じはじめています。春に冬の大地の冷たさを打ち破って生命が芽吹くように。


秋の自然の力を借りてみよう

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人間は悲しいと涙を流しますが、それは凍結した悲しみが他者からの愛に触れ、解け出しているのです。涙を流した後は、身体が芯からほっこりと温かくなりますが、それは他者からの愛に呼応して自分の中の愛という熱源に気がついたからでしょう。まるで、今まで気がつかずすすと埃だらけだった体内の暖炉が、再び日の目をみるときがきて身体を温めてくれるかのように。

愛はなかなか複雑な形をして、時にはそのままの形で味わうことが難しいことがあります。そんな時、人は愛を悲しみという形で凍結します。一見ネガティブに捉えられがちな反応ですが、逆にこう考えることもできないでしょうか。

自分だけでは味わえない愛を誰かと一緒に愛を分かち合うために「恐れ」という感情に守ってもらっている。見失わないようにきちんと「怒り」という目印をつけて、いつかその愛がわかり味わうことができるその時まで、愛を寝かせている。

現代社会は「喜び」という感情に少し依存的で、悲しみや怒りや恐れという感情を容易に覆い尽くそうとしてしまう風潮があるように感じます。しかし、四季には夏だけではなく春も秋も冬もあるように、悲しみも怒りも恐れも全て味わってこそ、深いところにある愛に触れられるのではないでしょうか。

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もし、どこかの感情に偏ってしまった時は、土用の「土」がバランスをとります。土の時期が対応する感情は「思」ですが、土は全体のバランスを欠くことがないように、人を立ち止まらせ、内省へ向かわせ、全体性を取り戻させる働きがあります。人が深い愛を感じながら生きていけるように。土用の意味はここにあります。

そして、秋の土用の意味とは、悲しみを感じ切り愛へと変わるのを「待つ」ことにあります。

悲しみを感じるには待つことが必要ですが、効率を求める現代社会では待つという行為が不足しがちで、なかなか悲しみを感じ切って涙として愛の解凍を待つまでの時間をもてません。
また、悲しみを感じ切ることはとても勇気がいることです。
ここまで書いておきながら、私自身はなかなか深い悲しみに浸る勇気が持てません。そんな時、私は自然の力を借ります。

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外へ出て秋の空気を吸って、紅葉した木々や乾燥した空気が美しく見せてくれる空の中に哀愁を見つけます。その中に、自分の身体の中と響くものを見つけたらしばらくじっとしてみます。そうすると、とても優しくとてもささやかに、心の中で何かが溶けて流れ始めるのを感じます。

この秋の土用には、ちょっとだけ手や足を止めて、ほんのひととき秋の美しい自然の中に身を委ねてみてはいかがでしょうか。


冷蔵庫の中を整えるように悲しみを整えよう

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恐れを冷凍庫に例えると、現代人の冷凍庫は味わいきれなかった悲しみでパンパンで、ものすごく冷えています。現代「冷え」に悩む人が多いのも、このことと関連しているのでは、と理学療法士として整形外科クリニックで働いていた頃感じていました。

冷えを訴える方の治療していく過程で身体が緩んでくると、様々な感情が戻ってきて涙を流される方が多くありました。それはまるで身体の芯にあった何かが溶けていくかのようでした。そうなると、患者さんは症状が改善したり、もしくは症状を気にしなくなり症状そのものと一緒に生きていこうと腹をすえ、身体の芯から熱が戻ってきます。患者さんの身体を触るとポカポカと暖かく、不思議なことには施術者である自分の身体も同じように暖かくなっているのでした。

お互いにあたたかさを感じるようになると、私は「あぁ、もうこの方は大丈夫だ」と思うのです。この方はもう、自分で自分を癒していける力を見つけたのだ、と。身体を冷やしていた悲しみは溶けた時に自分と周りの人を温める力になるのです。

悲しみは現代社会ではどうしても抑圧されやすく、現代人の冷凍庫はすぐにいっぱいになってしまいます。でも、冷凍庫へ入れずに冷蔵庫へ入れて、鮮度がいいうちに美味しくいただくという方法もありますよね。

悲しみには、鮮度のいいまま味わうものと時間をかけて保存することで美味しくなるものがあると思っています。必要に応じて冷凍室から冷蔵室へ移したり、冷蔵室から冷凍室へ移したりできること。それが悲しみとの健全な付き合い方なのかなと、先日冷蔵庫のお掃除をしながら感じていました。


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ありすぎる悲しみは身体を冷やすけれど、それはいつでも自分と周りを温める材料に変えることができます。

冷蔵庫が綺麗だとお料理が楽しくなりますよね。もし悲しみという扉を開けたら、ぜひ中を覗いてみてください。そして、今の自分にとって旬なもの・自分や家族が喜ぶものを見つけてみてください。悲しみが自分という身体にとってのちょうど良い温度を作る力になり、自分と自分の周りの人を温める熱源となることをきっと実感できるはずです。

秋の土用も残すところあと一週間ほど。日ごとに寒くなってきて、段々と鍋が恋しくなります(食いしん坊でごめんなさい)。
今日はハロウィン。そして、秋で最後の満月です。たっぷりと秋の哀愁に浸りながら来たる冬を心待ちにしている私です。Happy Halloween🎃♪みなさまも素敵な満月の夜をお過ごしくださいね。


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