こんなにもパワフルな足という存在を忘れていた|太極拳をはじめました
今月から太極拳を習いはじめました。近くの運動施設でやっている10月〜12月の3ヶ月プログラムに参加しています。これから寒くなってくるので、その前に何か運動を始めようと思い、前々から興味があった太極拳の世界についに足を踏み入れてみたのです。
太極拳ではとにかく手の力を抜いて柔らかく動くことを促される。初日に先生から言われてなるほどな、と思ったのが、「太極拳はまず重心の移動・足の動きが先。その後に手は自然とついてくるもの」ということ。わたしの動きは手がまず先行していて、足はその後におまけについてくるような格好になっていた。これが逆だというのだ。
わけもわからず見よう見まねで先生や他の生徒さんの動きを真似るのだけれど、手の動きを追ってしまうと必ず訳がわからなくなる。「あれ、足はどうなってるんだっけ?あれ?手は?右?あ、左が前か、あちがう・・」と、動きがどんどん分解されていってしまう。
けれど、動きを全体として捉えて、重心の移動や足使い方の方へフォーカスしてみると、先生のおっしゃる通り、本当に手が自然とついてくる。「この足の運びにはこの手の動きがピッタリなんだよね」と動きながら一つ一つの所作の意味を納得させられてしまう。
そんな太極拳の魅力に圧倒されながら、わたしは普段こんなにもパワフルな足ってものをなんとぞんざいに扱っていたのだろう、と思った。ここへ行きたい。こうしたい。その意図をこれほどまでにダイナミックに叶えてくれて、こんなにも重たい体幹や頭や腕を支えながら地上との接点を力強く持たせてくれる足の働きを、わたしは忘れていたのではないだろうか、と。
太極拳ではまず体の余分な力を抜くことからはじめる。特に腕。足がしっかりと地面を捉えていくにしたがって、みるみる軽くなっていく腕を感じながら、「こんなにも柔らかく動くポテンシャルのある腕を、手指を、どれほど固めて使ってしまっていたのだろう」と思った。
二十四式の中には、相手を引きつけてはらったり、自分の胸を守りながら相手を打つ、というような武術のような型も出てくる。そこでも先生に言われてなるほどな、と思ったことがあった。
それは、「相手を遠くに求めないで」ということ。
相手を打つ時、いなす時、わたしはどうやら肘をしっかり伸ばして遠くに相手を求めてしまうクセがあるようだ。怖いと、テリトリーを広げて相手を遠ざけようとしてしまうのだろう。けれど、太極拳の場合それをしない。しっかり丹田を据えて、余計に力むことなく堂々としている。相手を引き寄せて自分のテリトリーの中でさばく。自分の力でどうにかできないことに右往左往しない。
今の自分に必要なメッセージが、動きの一つ一つの中に感じられる。今まで二十四節気の研究をしてきて常々思っていたけれど、中国の叡智は本当に素晴らしい。
写真は先生から「これみて覚えてね」といただいた二十四式の図。
なんと、間違えて経験者クラスに入ってしまったので必死についていっています。わけもわからずやっているけれど、すごく楽しい。