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人生の通奏低音がずっとほしかった|二十四節気のおすすめ映画『日日是好日』

(画像:日日是好日HPより)

二十四節気を感じるおすすめの映画があります。森下典子さんの人気エッセイを映画化した『日日是好日』。

世の中にはすぐにわかるものと、すぐにわからないものの二種類がある。
すぐにわからないものは、時間をかけて少しずつわかってくる。


求める夢はなかなか叶わず、就活に挫け、失恋、そして家族の死。さまざまに起こるドラマティックなイベント。それとは対照的に描かれる、淡々と毎年毎年同じように繰り返される季節とお茶の席での営みが印象的でした。

10代の後半20代あたりに迎える強いアイデンティティクライシス。
「この世の中の何者もわたしを支えてはくれない」。
今まで通りに生きていくことになんの価値も見出せなくなり、ともすると鬱病を経験するようなその時期は、元々一人前の人間として生きていく上での大切な通過儀礼でした。

例えば、ネイティブアメリカンなどではその時期を迎えた若者にはビジョンクエストという儀式が用意されます。たった一人で森や洞穴の中で飲まず食わず寝ず、つまりは死を疑似的に体験させるのです。そして、孤独の中から「自分とは何か」を見出す。また日本ではその時期に入った若者には茶道や花道など、道の世界に入らせ、外の社会への適応から自らの内なる導きに方向性をシフトさせる風習があったといいます。

今、個性や自我を強めることにフォーカスが当たっている時代に生きる私たちにはなかなかそういう機会が与えられていないけれど、こういう映画を見たときに心の深層部がくすぐられる感触を得るのはきっと、DNAの中に入っている「ある時からはじまる道を見出していく感覚」に触れるからなのでしょう。

そして、こういう時代だからこそ、それぞれがそれぞれのやり方で道に入る感覚を見出さなくてはならないのかもしれません。


茶道の場面では二十四節気の用語がたくさん出てきます。

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(画像:映画『日日是好日』HPより)

この映画の面白いのは、目まぐるしくうごめく日常と、いつも変わらずそこにある茶道の世界が対照的だが調和しながら描かれていくところ。変わっていく中で変わらないものがある。変わらないものがある中で変わっていくことだってある。という感覚。それは、わたしが二十四節気についての発信をする上でとても大切にしている感覚とまったく同じものです。

日常生活は目まぐるしく変わっていく。だけど、いつもそこに通奏低音のように存在する二十四節気というもに触れた時、深いところで支えられているようなとても安心する感覚が戻ってくるのです。

樹木希林さんのインタビューも好き。

『皆さんもそれぞれの生活の中に、ふっとお茶じゃなくても他のことでも、長く続けているものって趣味っていうかな。そこへ行くと自分をあまり無理しなくてもふっと置ける場所っていうのは作っておくといいかもしれませんよ!っという感じですかね。』

今世界がものすごい勢いで変容を遂げる中で、ともするとその流れに飲み込まれてしまいそうになる時があっても、二十四節気について発信するときは内側がしんと静まり返って、その流れとはまったく関係ないところに自分が存在している。そのような感覚に入るのです。

わたしは茶道はちょっと体験した程度で素養が深いわけではないのだけれど、きっと茶道をされている時、人は毎度毎度こういう神聖な感覚に触れているのだろうな、ということはわかる。その神聖さに触れるためにあぁいう練り込まれた型があって、それをなぞる時、感覚が研ぎ澄まされていくのを覚えるのは先人たちが毎度神聖さをそこに見出した足跡みたいなものに触れるからなのだろうなぁと。

まるでものすごく美しい通奏低音を聴いているようだなぁと。

そして、あぁわたしはこういう通奏低音を求めていたんだなぁとはっきりと気がついたのです。自分を深層から支えてくれる感覚。深く耳をすませばいつでも静かにはっきりと鳴っていて、たとえ上の部分が動揺しようともどこからでも始めることができる、という安心感。

そういうものをずっとわたしは求めていた。

物心ついた時からわたしはどこかで「自分を支えてくれるものなんて何にもない」というアイデンティティを持っている子どもでした。仕事でも学校でも友人や家族、親との関係でも自分を深いところで支えてくれるものなんて何もない、と思いがちでそれを見出したくて悩むというタイプだった。けれど、二十四節気に出会って、やっとその自分が求めていたものを見つけられた気がしたのです。

そして面白いことに。
二十四節気で生活をしてみると地球に支えられているような感覚になって、芋づる式に、あの時だってこの時だって、わたしは仕事や学校、友人、家族、そして親にも支えられていたじゃないか、と気づくようになってきました。

わたしはずっと通奏低音が欲しくて探していた。
だけどそれはわたしが気が付かないだけで、ずっと近くで鳴り響いていたんだな。二十四節気と茶道の世界を通じて、そんなことを再確認する映画でした。


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