見出し画像

夜なかなか眠りにつけないのは、日中のやり残しがあるから。

雑記を書けない病克服のために、さぁ、今日も夜な夜な雑記を書いてみようじゃないか。今宵は、産後ずっと悩んできた「夜になると頭が冴えてしまうという」現象について、わたしが考えたこと。


娘が生まれたあたりからだろうか。わたしはなぜか夜になると頭が冴えてしまう、という症状に悩んでいた。産後はホルモンバランスの変化もあるし、赤ちゃんを育てている時ってまぁこんなものかな?と思っていたけれど、娘が大きくなって夜まとまって寝てくれるようになってもこの症状は改善しなかった。むしろ、年々悪化していくような気さえしてきた。

さすがにこのまま睡眠負債を抱えて生活し続けるのはまずいだろう、ということで、わたしは重い腰をあげて産後の睡眠負債の解消に乗り出した。


自分が日々つけている日記を見返した。まずは日中の生活から入眠の妨げになっているような要因を洗い出す。

カフェインのとりすぎだろうか?
お日様を浴びていないせい?
スマホの見過ぎ?
運動が足りないのかしら?
…..

カフェインを抜いたり、朝日光を多めに浴びるようにしてみたり、デジタルデトックスをしてみたり、太極拳やヨガを初めてみたり。思いつく対策は色々やってみたけれど、かえってだんだん眠ることがストレスになってきたので、「眠るために」それらをやることをやめてしまった。

その後、夜寝る前にリビングでダラダラとネットサーフィンをしていた時に「はっ!」とすることがあった。

父からも母からも「あなたは本当に寝ない子だった」とよく言われる。確かに、母子手帳の初めの方のページには「昼夜逆転」とか「寝ない」という親たちの叫びにも似た言葉が綴られていた。あぁそうだ、わたしは昔から寝つきが悪かったよな…と父や母に言われたことを振り返っているうちに、わたしが赤ちゃんの頃寝る前の習慣になっていたあることを思い出した。

「あなたって、寝る前に全部のものに挨拶をしないと寝ない子だったのよね」と時々母はわたしに言う。

わたしが赤ちゃんの頃、夜、あまりにも寝ないものだから父と母と交代で車に乗せて、近所をぐるぐる回っていたそうだ(本当に頭が下がるよ、お父さん、お母さん)。そして近所のホームセンターに行くのだ。そこにはわたしが気に入っていたパンダのイラストが描かれた看板があって、そのこに挨拶をするまで寝なかったらしいのだ。パンダだけではない。公園のキリンさんの滑り台だとか、家の中にあるぬいぐるみだとか、ありとあらゆるものに挨拶をしないと寝れなかったらしい。両親は大変だったと思うが、わたしは日中、自分が愛着を持って接していたもの一つ一つ挨拶しないと眠れないという性分だったようだ。


頭は疲れているのにダラダラと目的もないネットサーフィンがやめられない夜。そんな子どもの頃のエピソードを思い出しながら気がついたことがあった。

わたしが夜眠れないのって、「日中のやり残し」があるからではないのだろうか——。

わたしはきっと、スマホを見たくて今ここでこうしているわけではない。わたしは「一人で静かにホッとする時間が欲しかった」。ただそれだけなのではないだろうか。日中にそれが叶わないから、夜こうしてうめ合わせをしようとしているのでは…?

そう仮説を立てて、次の日から、わたしは日中の自分に「一人で静かにホッとする時間」をプレゼントしてあげることに決めた。カフェでゆっくりお茶をしてもいいし、本屋さんで立ち読みしてもいいし、ヨガをしたり瞑想をする時間をとってあげてもいい。公園をゆっくりお散歩するのでもいい。

そんなこんなで、夜に雪崩こむ「日中のやり残し」を一つずつ丁寧に自分に聞いてあげていると、ある日「眠い…」と思って自然に体を布団に向かう日が現れた。こんなのいつぶりだろう、と思いながら眠りにつく。夜が夜として帰ってきたのだ。

それはきっと、昼が昼として輝いているからだ。
そんな日は「あぁ、今日はよく頑張った」とか「今日はいい日だった」と自然と口にしている。

いつもそういう夜が訪れるわけでもないけれど、いつもそんな夜にするために頑張っているわけではないけれど。

「今日はいい日だった」
そう自然に口にできる夜を噛み締めて噛み締めて、夜眠りにつくのがわたしはとても好きだ。


明日からの一週間にもそんな夜がありますように。
おやすみなさい。

いいなと思ったら応援しよう!

まつばらあや|リビングアトリエ
生きていく場、暮らしの場、すべてがアトリエになりますように。いただいたサポートはアトリエ運営費として大事に活用させていただきます!

この記事が参加している募集