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頭で考えすぎないで

最近頭ばっかり使って生活していたなーと気づいたのでここに備忘録として記しておく。どれだけ身体を動かしていても、頭をすごく使って動かしていたことに気づいた。頭も、脳みそもやっぱり身体の一部にしかすぎない。

【感じる、気づく】

というのは考えてできることではなくて、自分をフリーにオープンにして初めて入ってくるものなんだ、ということにも気づいた。

昨日このオンラインレッスンを受けて↓

うわ〜開放感ってこう言うことか、スッキリ〜

最後のメディテーション中は涙も。びっくり。ヨガをしていると絶対避けて通れないチャクラ。いつかもうちょっと深掘りしたいなと思っていた矢先。尊敬するメイ先生ならば、素晴らしく明快に鮮やかに教えてくれるだろうと思い申し込みしたが、やはり流石。

でね、簡単に私が今わかる範囲でチャクラを説明すると、身体って見えるし物質でしょ。心って見えないし、つかみどころのないものでしょ。でもどちらが欠けても人間じゃない。両方が調和して初めて、元気になったり、インスピレーションがもらえたり、クリエイティブに生きられる。

スピリチュアルとか目に見えない世界が得意じゃないという人だって、

「なんか嫌な予感がする」とか

「インスピレーションが降りてきた!」

とか普通に言う。なぜ嫌な予感がするのか?どこからインスピレーションが降りてきたのか?なぜインスピレーションは上がってきた、とは言わないのか。

それもチャクラの考えで理解できた。

チャクラはインド人が7万2000もの経路の数を大まかに3つ(右左真ん中)に分けた。そのエネルギーセンター(渦のようなもの)がチャクラ。それぞれのチャクラにはテーマがあって、身体の部位と紐づけられている。

私はヨガとピラティスを教えていて、ある日突然、その動きやポーズが腑におちてできるようになる経験が何度もある。

それはもちろん練習したから、というのもあるんだけど、その日の気分や、インスピレーションや、先生からのエネルギーもかなり大きかったように思う。

つまり自分だけではない、何か他の力を感じて受け取っていたということ。

それが毎日、日々頭を使って論理的に計画的に過ごすことばっかりになってしまうと、まあつまり、めっちゃ能動的にいき過ぎると、その受け取る能力や感じる能力が弱まっていくような気がして。←最近の私


論理的、計画的って素晴らしいし、私に足りないところって思いすぎていたのかもしれない。私の中にはきちんと論理的な思考も、感じる力も両方あって、最近はそれが少し封じ込められすぎていたんだな。

ヨガをしたり、ヨガを教えるときも、ピラティスを教えて練習するときも、瞑想の時も、頭で理解するのは限界があるんだな。

このチャクラのクラス素晴らしかったのでまたアーカイブを見直して、また開催して欲しいな!


yui

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