我が家の貧乏の歴史〜一年に100万円貯金するまで〜
支出は堅実派、在宅ワーク先生です。
こんにちは。
今回は、書いたことないことを書こうと、なんと、
やりくりのお話しですよー。
家計簿、節約、思い出………変に真面目な家族の貧乏記です
今回は、私がとても、お金がない時期のお話です。
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みなさん、一度はこんな雑誌に手を伸ばしたことはないだろうか?
★お金が貯まる!節約術!
とか
★一年で○○万円貯金した人のやりくり術!
とか。
かくいう私も、私の母も、そういった情報をかなり読んできた人間だ。
なぜなら、我が家が昔から裕福でなくお金がなかったから。
前の家は借家で狭かったし、かなり古くて、友達を呼ぶのも、先生の家庭訪問の時も、いつもたまらなく恥ずかしかった。
ちなみに私は普通科の高校出身だが、母は商業高校出身。
簿記や会計に明るいので、結婚後すぐ、母は家計簿をつけ始めた。
当時から今までのものを見返しても、よくもまあこんなに細かく、と思うほど几帳面に記録している。
が、テンプレートがコロコロ変わっており、迷走しているのが見えた。
いくら会計や簿記が出来ると言っても、出来るからこそ悩んでいるようだった。
もっと良いやり方はないか、より現金を把握するにはどうしたらいいかなど、常に模索していた。
ちなみに余談だが彼女の血液型はA。私では到底持ち得ない、こまかな作業能力には目を見張るものがあった。
子供の頃。
夜遅くまで机に向かい、ひたすら電卓とノートとにらめっこしている母の姿があった。
私は、その必死な背中を食い入るように見ていた。
私が物心ついた当時から、父の務める会社は厳しい状況で、我が家は生活に余裕がなかった。
幸い父は職人なので、職を失ったり給与滞納も無かったが、不況の波は減給とボーナスカットで押し寄せてきた。
それに対応しながら、諸々の固定費や私の教育費や、田舎の祖母への仕送りなど、当時の母は一体どうしていたのか、未だに謎と言えるほど何とかやりくりして回していた。
私も幼稚園の頃からピアノ、スイミングスクール、書道、くもん、学習塾などに行かせてもらい、とにかくその費用をどうしていたのか、本人に聞いても
「なんとかなったのよ」
と、親らしい豪快な答えが返ってくるだけ。
高校から習い事はやめたが、高校はもちろん毎月授業料があり、制服などは有名デザイナー作品で驚くほど高かったし、なにより大学受験費用と私立大の費用が桁違いだった。
とまあ、私も我が家の事情を嫌というほど知っていたので、当時からお金について色々考えていた。
お小遣い帳をつけたり、親の買い物をよく見て、どう節約するかなど、自然に目が行き覚えた。
そして、無利子の奨学金獲得のため、中学高校はかなり勉強した。
当時、友人たちは夏休みにディズニーランドに行って一泊○万使ったとか、最新の携帯電話に囲まれていたりと、裕福そうな子が多かった。
ディズニーランドがことさら苦手なので、それは何も感じずに済んたが、やはり我が家のお金の無さは他所よりひどいのかなと、様々な場面で感じることが増えた。
だからか、推薦入試で第一志望大学に合格出来た時は、嬉しかった。
そして、某新聞社から無返済奨学金を、そして育英会の無利子奨学金を受けることが出来、初めて少し親孝行できたかも知れないと思った。
しかし、我が家の貧乏はここからさらに加速する。
私が就職後2年で病を得てしまい、しばらく仕事が出来ない状態になったからだ。
今の病院に出会うまで、廃人のような生活のときもあった。
その間も車のローンと奨学金、学費の返済は容赦なくあったので、母はこの時が一番しんどい時期だったと後に話した。
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はてさて、これで終わるとだたの悲しい記事だ。
聞いていただきたいのは、私と我が家の貧乏遍歴が、今になって財産になっている、ということ。
実は、私は今の仕事を得るまで、さらにやりくりや物欲コントロールを経験。
父も母も、真面目に返済と慎ましい生活で乗り切った。 買う車も、服も、外食も何もかも、慎ましくを目指して生活した。
父は会社に請われるまま70歳まで勤め上げた。
今、あれから10年以上が経とうとしている。
今は私にも固定収入があり、また、様々なことが重なり奨学金やローンは、その後自力で一括返済した。
一括返済して知ったが、育英会からは早期返済のお礼金のようなお金がもらえた。
今私は貯金を楽しんで、毎年50〜100万円の貯金をしている。
母と最近ハマっている、ずんさんの手書き家計簿。それを同じ机でお互いに書きながら、
あと数日で決算だねとか、今月は粉飾決算でやばいねとか言って笑っている。
染み付いた節約心が、家計簿の記入作業を楽しいトピックにする魔法を持っているようだ。
私の貯金術を少し紹介すると、
各項目に予算をしっかり立てて、あまりは1円でも貯金する。
それも一週間単位で決算するので、容赦なく手元の現金は通帳に行くため、手元には常に余分な現金はない。
それが、貯金のコツ。
これらは全て、これまでのお金に対するシビアな感性が可能にしたと思っている。
もちろん人が健康に働き、給与を様々に散財しているときは、羨ましくもあったが、自分の考えを少しずつ変えた事も大きい。
遊ぶお金も健康もない時期が、とにかく長かった。
その間は、ひたすら少額のお金をどう使うか感性を磨いていたし、苦労する両親の真面目さを目に焼き付けていた。
絶対、今に良くなる、恩返しするぞ、と。
そして人生、たまたまある奇跡が起き、借りた教育ローンや車のローンは友人たちのなかで一番に返済し終わっていた。
今、アラフォーになった自分は、お金の価値について考える。
自分のための貯金はもちろんする。
けれど、いつ、どうなるか分からない両親に、やりくりしたお金の中から、少しだけれど生活費を出せるようになって、これほど幸せな使い方はないかもと思っている。
寒い冬、カーディガンを羽織りながら家計簿を書いていた、あの母の背中。
今も変わりなく、毎日その背中は家計簿と向き合って動いている。
この書き方は納得行かないとか、満足できないとか言いながら、やっぱり家計簿のテンプレートを、アップデートし続けては進化しているのだ。
両親の収入は年金に変わったけれど、父の真面目でロングランな仕事のお陰で、余裕も前よりあるようだ。
人生、真面目に生きるのも、良いことがあるものです。。。
ちなみに、電気屋さんを呼ぶのも勿体ないので、なんだか機械に強くなっている私もいる。
さあ、今年もまだまだ貯金頑張るぞ!!!
……この記事、大丈夫かな😅😅😅