欲を掻くなかれ。果てのない欲望を操るべし――『菜根譚』の「争わない生き方」
利益や名誉は、独り占めにしてはならない
「争わない生き方」をテーマにしたオンラインセミナーの講師を、務めることになりました。
心豊かに生きるヒントを、先人の知恵からいかに学ぶか。セミナーのコンテンツに関することについて、書いていきます。
取り上げる中国古典は、『菜根譚(さいこんたん)』、『呻吟語(しんぎんご)』、そして『論語(ろんご)』、『老子(ろうし)』です。
第4回は、前回に続いて、『菜根譚』の言葉をみていきます。
「争わない生き方」を貫くため戒めとして。著書の洪自誠は2つのことを挙げています。
1つは、利益やご褒美を独り占めしないこと。
もう1つは、不都合なことや不始末は、他人のせいにしないこと。
名誉は、独り占めにしてはならない、少しは人にも分けてやるべきだ。
そうすれば、ふりかかる危難を避けることができる。
悪い評判は、すべて人に押し付けてはならない、少しは自分でかぶるべきだ。
そうすれば、いっそう人格を向上させることができる。
読み下し文です。
訳者された中国文学者の守屋洋先生は、原文を尊重して「悪い評判」と訳出していすが、それだけにとどまらず、「不始末の責任」、「トラブルや都合の悪いことへの対応」といったことも、身の処し方として考えたいところです。
いっそう人格を向上させることができる。
こう訳出しているところは、人から尊敬される徳のある人に、少しは近づくことができる、といった意味合いで、とらえたいですね。
泥をかぶって責任をとる。その結末は?
ところで、組織で上り詰めていく人のなかには、目鼻がきく身の処し方がとてもうまい人がいます。いざというときに、泥をかぶらない、その責めを他人におしつける、といったことで、ピンチをうまくくぐり抜けていく。そうして、社会人人生を成功者として終えていく。
一方、『菜根譚』の教えをもとに、泥をかぶったがために、出世コースから外れてしまう。そういう不条理な現実もあるなかで、争わない生き方をどう考えていくのか。
話を戻しましょう。
利益やご褒美・名誉といったものは、自分が精一杯努力した成果として手にしたものである、というのが本人の認識かもしれません。プロジェクトや交渉事が成功したことへの貢献度は本人がいちばん大きいとしても、そこには地道な作業を積み重ねて協力してれたメンバーの目に見えない努力があったことを忘れてはいないか。
昇進やポストは、公正な競争で手にしたもので、卑怯なことはしていない、と思っていても、その過程で他人を傷つけたり、損害を与えてはいないか。
提案や異なる意見には耳を傾けているが、多忙なことが重なり、論議を尽くさず、最終的には自分の思惑で決めてしまっていないか。下手をすると、事後報告はカタチだけで、しかもそれが本人の意向というよりも、上層部からの指示で、経緯や事情を説明するのが憚られた、ということはなかったか。今回は結果オーライだったが、将来に禍根を残すようなことははかったか。
こうしてみてくると、利益を独り占めしないこと、それから、不都合を人におしけないこと、自分で責任をとることも、「争わない生き方」だといえるでしょう。
「欲を搔く」とどういう結末がまっているか
洪自誠の「八分目をもってよしとせよ」という戒めにも、耳を傾けておきたい。
何ごともやり過ぎはいけない。利益や名誉を独り占めることも含めて、「欲を搔く」とどういう結末がまっているか。
何ごとにつけ、余裕をもって控え目に対処せよ。
そうすれば、人はおろか、天地の神々も、危害を加えたり、禍を下したりはしない。
事業でも功名でも、トコトン追求してやまなければ、どうなるか。
内から足を引っばられるか、外から切り崩されるかして、いずれにしても失敗を免れない。
読み下し文です。
目の前にチャンスがあると思えば、それをとことんおいかけたくなる。
利益、地位、名誉が手に入ると、同じもの、あるいは、もっと上のものが欲しくなる。自分では「欲を掻いている」という自覚ないけれど、ちょっと振り返ってみれば、そこには、欲の塊になって突き進んできた足跡が残っている、ということがありませんか。
利益を追求するにしても八分にとどめて二分は人のためにとっておく、という生き方をよしとする。
これも最良の争わない生き方、といえるのではないでしょうか。
こまでの投稿です。
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