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一歩譲ることが、なぜ大切なのか―『菜根譚』の「争わない生き方」

多難な世の中を心豊かに生きるには?

 好むと好まざるとにかかわらず、競争社会においては、われ先に行こうとしないと、あるいは、挙げた成果について自己主張しないと、チャンスを失い、敗者になってしまいかねません。
 しかし、自分の利益を優先しようとするあまり、まわりからの信頼を失ったり、道を踏み外したのでは、元も子もありません。

 この多難な世の中を心豊かに生きるには、どうすればよいのか?
 そのヒントとなるのが、生き方や人間関係について深く考察し、貴重な人生訓を記した中国古典の数々です。
 そこには、一歩譲ること、戦わない姿勢を見せることなどが、結果として人生にプラスに働く、といった考え方が著者自らの人生経験をもとに示されているのです。

 そういうことに役立つようにとの思いで、「争わない生き方」をテーマにしたオンラインセミナーの講師を、務めることになりました(詳細は末尾で)。
 それに関連して、先人の知恵に触れることで、心豊かに生きるヒントについて、書くことにします(書いていくうちに、考え方や取り上げる内容がかわっていくかもしれません。その点は、ご容赦ください)。

「一歩譲る」という生き方

第1回は、「一歩譲る」という生き方です。

「一歩譲る」ことの効用を巧みに説いているのが、処世訓の名著『菜根譚(さいこんたん)』です。著者は明の時代に官僚だった洪自誠(こう じせい)。

争わずに生きる、つまり「一歩譲る」ことについて語っている話が2つあるので、順にみていきましょう。

狭い小道を行くときには、一歩さがって人に道を譲ってやる。
おいしい物を食べるときには、三分をさいて人にも食べさせてやる。
こんな気持で人に接することが、もっとも安全な世渡りの極意にほかならない。

読み下し文です。

径路(けいろ)の窄(せま)き処(ところ)は、一歩(いっぽ)を留(とど)めて人(ひと)の行(ゆ)くに与(あた)え、滋味(じみ)濃(こまや)かなものは、三分(さんぶ)を減(げん)じて人(ひと)の嗜(たしな)むに譲(ゆず)る。
此(これ)はこれ世(よ)を渉(わた)る一(いち)の極安楽(ごくあんらく)の法(ほう)なり。

『決定版 菜根譚』守屋 洋著

 狭い小道を行くときにはとは、相互通行できない状態、つまり相手側とこちら側で利益が相反する状態のことです。
 そういうときには、どう対処するがいいのか?
 たとえば、多少の損失が出てもいいから、相手の事情も考慮に入れて、一歩譲る対応をすること。そのように、最良の解決策を探るのが、もっとも安全な世渡りの極意である、と洪自誠は説いています。

 もう1つの例として挙げているのが、おいしい物は分け合って食べたほうがいい、ということ。
 これは、目の前にある利益を独り占めしてはいけない、一歩譲ってシェアしなさい、ということです。
たとえば、事業などの協力者には、その貢献度に応じて利益を分配してあげる。さらにいえば、貢献の度合いが少ない人でも、それ以上のものを分かち合う。それが、もっとも安全な世渡りの極意である、ということです。

大人の解決策、まさに「争わない生き方」のお手本と言っていいでしょう。

譲っても、それ以上の見返りがある

 一歩譲るという生き方、考え方は、なにも『菜根譚』だけのものではありません。中国でも古来、そういう考え方は示されてきました。
その例として、中国文学者の守屋洋先生は、『唐書』にある言葉を挙げています。

一生道を譲り続けたとしても、その合計は百歩にも満たない。

「終身(しゅうしん)路(みち)を譲(ゆず)るも、百歩(ひゃっぽ)を枉(ま)げず」。

『唐書』―『決定版 菜根譚』守屋 洋著より

そこには、譲って失うものより、見返りとして得るもののほうがはるかに大きいという計算がある、というのです。

『菜根譚』には、一歩譲ることの効用を説いた話がもう一篇ありますので、それを次回に取り上げます。


ご縁をいただき「リベラルアーツ勉強会」の主宰メンバーに加えてもらい、
「争わない生き方」をテーマしたセミナーの講師をすることになりました。
よろしくお願いいたします。
【セミナー告知】第5回リベラルアーツ勉強会/中国古典に学ぶ 争わない生き方


なぜ一歩譲る生き方が大切なのか。利益は独占しないほうがいい―『菜根譚』と題して、前にこれに関する内容を投稿しています。


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