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その先に保証がなくても信じるか?

もし想像と違う一面を知ったとき、「裏切り」と思った時点で「信じる」はニセモノに。

これを言い換えると"期待"です。
(もちろん、明らかに人を傷つける行為などがあれば裏切りです)

わたしは今年に入ってすぐ、2つ目の新たなコミュニティに入会しました。
環境を移動することは、人間関係を1から創る努力をするということです。

それぞれの相手に関する情報は十分に知らないし、時間をかけて関わることで情報量こそ増えてもすべてを知ることは絶対にない。

ただ、それでも選んだのは…
血の巡りを感じながらインプットとアウトプットをする未来の自分が浮かんだから。

もちろん、これはただの想像とも言えます。
しかしここで重要視しているのは、不確実性を受け入れる覚悟を持つこと。
もし信じていたものと違う現実があっても、選んだ自分の意思により起きた現実でもあるという認識を持つこと。

つまり、相手を責めるだけで完結させず、自己責任と受け入れる覚悟を持つこと。
このようなマインドを育てることで、考えなくてもいいことを考える時間浪費を抑えられると見込んでいます。

信じることは、誰かが示す"真実"という解釈を鵜呑みにするんでなく、自分と重ね合わせて追求するためのインプット時間を創り、一点集中すること。

当然そこにも自分の解釈を加えますが、その上で継続的に追求することにより、解釈の枠を広げたり高くできたりするはずです。
(そう自分自身に言い聞かせるように)

わざわざこの作業をしなくても周囲との共存は可能ですが、わたしは時間にこだわりたいので、面倒であってもこの作業を続けます😼

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トモ@noteクリエイター3年目
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。 ”サクセスストーリーの創作”はこれからも続きます!