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わたしも「めんどくさい」存在
関わる人の見方によってはそうなるんだろうなぁと思います。
ある日、AIにこう質問しました。
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「自分が無難であれば・・」
そう憧れた時期がありましたが、それは何の色味もなく、ただ生物として存在しているだけに。
嫌われずに済むだろう…しかし、嫌われないようにというストレスを長引かせることに気づいてからは、可愛気ゼロの自分軸でいるも無難な他人軸でいるも結局は同じところに位置する。
要するに、100%安全な生き方は存在しないということです。
無難にこだわるうちは、自分(の中にいる他人)に集中しすぎて、実際の他人(が持つ思考や感情)を受け取れない。
物理的には共存しても、自ら進んで孤立することを選んでいる。
わたしはずっとこうして生きていたんだなと、
だいぶ時間が経った頃に理解しました。
ただ、本当に合わないと思う人には無理に近づかない。
誰とでも上手く付き合えるほど優れてはいないと理解した上で、誰と関われば自分もその誰かも一緒に喜べるのか?
ここをじっくり考える時間は、わたし自身も変わらず持ち続けたいところです。
とにかく、人によっては自分も「めんどくさい」の該当者。
反省ゼロは問題ですが、自己成長の可能性を伸ばす理由になるだろうと考えます。
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