テキストは心を映す鏡
このnoteのまっさらなテキスト。
それと向き合う時間は、既に日常の一部として定着しています。
ただのテキストから、そのとき感じる心を映す鏡に。
散らばるものをひとつずつ掬い上げ、言語に変えて、ひとつの作品に仕上げる作業は、
わたし個人の命を輝かせる理由になります。
エネルギーは多く使います。時にそれをストレスに感じることもありますが、
個人的には、成長痛という良い意味でのストレスであると解釈。
結局は、それも含めて楽しい思い出と化しています。
こうして自分だけの言葉を並べ、画像を貼り、最後はチェックしての投稿。
"心で感じたことが誰かの目に入る"
そしてスキというリアクションをいただき、時々コメントという言語を使ったリアクションをいただくことも。
画面の向こうにいる誰かの目に映る記事は、自分(その人)の心を映す鏡になってるだろうか?
スキやコメントは、その鏡に映る景色が同じ、または近いということだろうか?
こんな感じで、自分の思いが誰かの心に届くだろうかというドキドキはありつつ、それを超えるリアクションをいただくと、創作にワクワクも追加されるので、こだわりの毎日更新を今後も続けたくなります。
時々自分の過去記事を読みますが、やはり拙さや配慮不足と思う点がいくつもあり、恥ずかしいなと思うことも。
それを覆い隠したければ編集を・・と言っても、否定マインドがまだ強かった当時のわたしをさらなる否定で掻き消してしまうので、敢えてそのままにしています。
いつの時期も頑張っていた。
この生きた証は、綺麗であろうとそうでなかろうと、当時のままの状態で残すこと。
ここに大きな価値があるのでは?と、個人的にはそう考えています。
各フォロワーさんの過去記事を読んでみて、やはり現在との違いというものを知ります。
「あの当時はこんなことがあったのか」
「こう思ったのか」「あの当時があってここに繋がるのか」など、いろんな発見があります。
そのようなひとつの物語を味わう時間を、
これからも届けたい。
プロフィール文の「止まらない毎日更新」の言葉通りに。
もちろん、無理はしません。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
▲大好きなフォロワーさんのひとりである、RaMさんの画像を初めてお借りしました。
いつか使いたいなと思いつつ、書いた記事のイメージに合う自信がありませんでした。
ここにきてようやく載せたことに、
ひとりホッとしています。