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☆学級経営56☆結論のない語りがもたらすもの

学級全体に向けて教師が語るというと、何か結論のあるものを伝達したり、その語りによって達成したいねらいが明確にあったりするようなイメージをもつことが多いかもしれない。

しかし、結論のない問いかけや投げかけをする語りがあってもよいと思う

例えば、よく学校生活で話題に出ることの多い「挨拶」について。言葉や行為の起源をたどったり、挨拶をすることによって生み出される効果や気持ちについての調査・研究について調べたりすることは今や簡単にできる。そして、教師自身が「挨拶」をこのように捉えている、ということを考えとしてしっかりもっておくことで、子どもたちにその大切さを伝えることはできるだろう。

ただし、それらはひとつの側面であって、ただひとつの答えであるわけではない。また、それを聞いて子どもたちひとりひとりがどのように捉えるかも様々である。「挨拶をしよう。」という気持ちになる子もいれば、理屈ばかり話したことによって逆に挨拶への意欲を失ってしまった子もいるかもしれない。知識として「そうなんだ。」と感じるだけの子もいれば、興味・関心の心に火をつけることができて「挨拶について調べてみよう。」と思う子もいるかもしれない。この場合、「挨拶を活発にしたい」というねらいは、「挨拶をしよう。」という気持ちになる子が増えれば、ねらいに近づいたことになる。

しかし、「学び」や「思考」の習慣化という意味でこのことを捉えるのであれば、教師が「これが答えです。」というような語りをすることに効果はなくなってしまう。結論を示すことで、(心に疑問を抱く子どもも少なからずいるだろうが)この話はとりあえず完結してしまうことになる。

そのようではなく、考えること自体の価値を子どもたちが見出すことを目的にし、教師自身も思考中の考えを述べたり、それを子どもたちが聞いたりすることによって、新たな学びの視点を与えることにつながる。「現時点ではこのように考えている」とか「いろいろ調べて今は、この結論に至っているけれど、どこか腑に落ちていない部分もある」とか「これは(先生の)個人的な考えなんだけれど、みんなはどう考えるか」などと、問い、投げかけるような含みをもたせる語りがあってもよいと思う。そして、子どもたち自身が「考えてみよう。」「何でだろう?」という気持ちをもってもらうことが、次の「学び」への意欲につながっていく。

すぐに答えの出ることばかりではない。教師や大人も悩み、考え中のこともある。そんな話を伝えることも意味があるのだと思っています。


ここまでお読みいただきありがとうございました。それでは。