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「不登校になれない」子どもたち

将棋の名人に「将棋における最善の手は何ですか」と質問したら、どういう答えが返ってくるでしょうか? 
おそらく名人はこう答えるでしょう。
「局面によります」と。

そうです。
「最善の手」は、今、ここでの局面によって決まるのであって、すべての局面に通用するものではありません。
不登校対応も、すべてのケースにあてはまる「最善の手」はありません。
それぞれの子が個々に違った個性や人格を持っているわけですから、「最善の手」は、それぞれの子どもによって異なりますし、周囲の状況や本人の心の状態によっても「打つ手」は変わってきます。

最近では不登校に関する情報が社会にあふれ、書籍もたくさん出版されていますが、そこに書かれていることがその子に合っているかどうかはわかりません。
私は、将棋に「最善の手」はないと述べましたが、実は、将棋には「定跡」というものがあり、囲碁には「定石」というものがあります。
これらは、昔から研究されてきて最善とされる、決まった指し方や石の置き方のことを言います。
今では、「物事をするときの、最上とされる方法・手順」1)という意味で広く使われています。けれども、「定跡(定石)」と言えども万能ではありません。特に日々変を続ける人間ならなおさらです。

さて、不登校現象を語る際にもうひとつ重要なことは、「『不登校になれない』子どもたち」の存在です。
奈良女子大学 生活環境学部教授・臨床心理相談センター長、伊藤美奈子氏は、学校に対して「過剰適応」状態になって「ストレスや抑うつ、自己不信」に陥りながらも登校を続けている子たちが増えている」と警告しています。

過剰適応とは「個人の内的な欲求を無理に押さえてでも外的な期待や要求にこたえる努力を行うこと」で、こういう子は、「ぎりぎりの状態で登校しているが、突然破綻し、息切れ的に不登校になることもある」3)と伊藤氏は指摘します。

不登校現象は、学校に対する違和感を行動に移した子どもたちによって起こっているのかもしれません。
そう考えると、何かしらの行動にさえ移せないで、もがいている「過剰適応」の子の方が心配になってきます。
でも希望はあります。

私たち(保護者、教員及び支援員)は、目の前の子どもを(不登校であるかどうかに関係なく)まるごと一人の「人格」として認め、すべての子どもたちへのかかわり方――つまり、新たな不登校を生み出さないかかわり方――を子どもたちと共に考える姿勢さえあれば、少しずつであっても、きっと状況は変わっていくと思います。

そして、そのときそのときの「最善の手」を考え続ける、その姿勢は必ず子どもたちに伝わると思います。

1) https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%AE%9A%E7%9F%B3/

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