トラッキーのきまぐれ

元小学校及び中学校校長 今は自由人。学校の先生がほんのちょっと元気になる言葉を探してい…

トラッキーのきまぐれ

元小学校及び中学校校長 今は自由人。学校の先生がほんのちょっと元気になる言葉を探しています。老害にならない程度に、発信しようと思っています。阪神タイガース大好き。ときどきタイガースネタあり。書くこと大好き老人。

マガジン

  • リンゴがリンゴであるために 子どもの今に寄り添う

    年々厳しくなる学校現場の先生方に贈る、ほっこりしたメッセージが中心です。ちょっと視点を変えてみたい人にぜひ読んでもらいたいと思っています。

  • 評論風フィクション「学校教育史-近未来編-」

    現代の学校教育にはさまざまな課題が、長い間解決されないままになっています。今すぐにでも本気で改革を進めなければ、この作品にあるような学校が現実に現れるかもしれません。最悪のシナリオを避けるために、敢えて最悪のシナリオを書いてみました。

最近の記事

子どもの「没頭」について

 教育支援センターに来る子どもたちを見ていると、大人から見れば「何のために、そんなことをしているの?」と、感じる行動にしばしば見かけます。   例えば、意味もなく(と大人には見える)土を掘り返したり、コンクリートの塊を金づちで叩いたりします。 土を掘り起こすときは、土の中の生き物を探すという目的がある場合もありますが、コンクリート片を金づちで叩いているのは、何かを作ろうとしているわけではありません。 叩いてコンクリートを割っていく、その作業そのものを楽しんでいるだけなのです。

    • 視点を変えて

      有名な「ルビンの壺」の図というのがあります。 これは、最初壺のように見えていたのに、視点を変えると、二人の人間が向かい合っているように見えてくるという図です(その逆もあり得ます)。 たしかに、同じものを見ても人によって見え方や感じ方が変わることは日常的によく経験することです。 このように視点を変えて見ることは非常に大切ですが、逆の場合はどうでしょう。 つまり、同じ視点から違うものを見た場合です。 例えば、下の図のように円柱体と円錐体、そして球体という三つの立体に対して同じ

      • 保護者対応の基本的姿勢 

        最近「カスタマーハラスメント」(顧客や消費者からの悪質なクレームや要求を受けること)が話題になっています。東京都では、全国初の「カスタマーハラスメント防止条例」(カスハラ防止条例)が制定され、2025年4月1日から施行されることになりました。 学校でも、保護者対応(クレーム対応)が教員の大きな負担となっており、教員不足の一因だとも言われています。 保護者からの要求がすべてクレームなのではありませんが、どう考えても理不尽と思えるものも少なくありません。 そこで今回は、大阪教育

        • 草引きをしながら 

          教育支援センターは、敷地内にはかなり草が生えていました。 そこで、子どもが来ていない時間に少しずつ草引きをするのが日課になりました。 この草引きが意外と面白いのです。 根っこまでスポッと抜けたときの心地よさはちょっとスカッとします。 また、私たちは十把一絡げに「雑草」と呼んでいる草たちも、それぞれに形や育ち方が違います。 例えば、表面に出ている葉は小さいのに根が数メートルもある草もあります。 また、見えないくらいの細い茎をひょろひょろと高く伸ばしているのもあるかと思えば、

        子どもの「没頭」について

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        • リンゴがリンゴであるために 子どもの今に寄り添う
          50本
          ¥500
        • 評論風フィクション「学校教育史-近未来編-」
          9本
          ¥500

        記事

          子どもにも教師を「さん」づけで呼ぶことを許しませんか

          私の勤務する教育支援センター(以下、センター)に来る子は、私たち支援員のことを「先生」と呼びます。 そこに何の違和感もないようです。確かに、支援員の2人は元教師ですから、「先生」と呼ばれても別段問題はありません。でも、センターは、学校ではありません。先生と呼ぶ必要はないのです。 センターに赴任したての頃、通所してきた男の子に「私のことを名前で呼んでもいいよ。何ならニックネームを考えてよ。」と言ったら、その子は「えっ、先生でいいんじゃないの?」と意に介しませんでした。 むしろ

          子どもにも教師を「さん」づけで呼ぶことを許しませんか

          新卒者にとって教職の魅力は本当に減退したか?

          全国に広がる教員不足は深刻です。 先日、他県に勤務する知り合いに聞いたところ、学級担任する教員が不足しているため、複数の特別支援学級を同時に受け持っているそうです。 その人は正規採用ではありません。 教員不足の主な原因としては、主に以下の4つが考えられます。 (1)大量採用された世代の定年退職の補充のために採用者数が増えていること (2)少子化により民間企業も人材不足が深刻で、教職以外の道を選ぶ人が増えたこと (3)長時間労働や部活動指導など「ブラック」な職場環境と見なされ

          新卒者にとって教職の魅力は本当に減退したか?

          「不登校になれない」子どもたち

          将棋の名人に「将棋における最善の手は何ですか」と質問したら、どういう答えが返ってくるでしょうか?  おそらく名人はこう答えるでしょう。 「局面によります」と。 そうです。 「最善の手」は、今、ここでの局面によって決まるのであって、すべての局面に通用するものではありません。 不登校対応も、すべてのケースにあてはまる「最善の手」はありません。 それぞれの子が個々に違った個性や人格を持っているわけですから、「最善の手」は、それぞれの子どもによって異なりますし、周囲の状況や本人の心

          「不登校になれない」子どもたち

          「見守り隊」の絶大なる効果

          犯罪心理学が専門の出口保行氏によると、小中学生の登下校時に地域の人が旗を持って立って安全に配慮してくださる、いわゆる「見守り隊」は、犯罪を未然に防止するために絶大なる効果があるそうです。 以下、山口氏の講演(兵庫大学エクステンション・カレッジ講座「確証バイアスという罠」2024年10月5日)で聞いた話です。 「見守り隊」の効果と言えば、まず思い浮かぶのは、交通事故や不審者から子どもを守ることでしょう。 例えば、下校中の小学生に不審な人が近づいてきたとしても「見守り隊」の人が

          「見守り隊」の絶大なる効果

          為すべき「使命」 

          芥川龍之介の『河童』という小説に、河童の赤ちゃんが母親のお腹の中から出てくる直前に、父親が「お前はこの世界へ生まれてくるかどうか、よく考えた上で返事をしろ。」と大きな声で尋ねる場面があります。 河童は生まれたくなければ生まれることを拒否できるというわけです。 人間には河童のような選択肢はありません。 私たちは自分の意志とは関係なく生まれてきました。 私たちは普段、様々なことを自分の意志で選択し、決断しながら生きていますが、生まれるということだけは誰一人として自分の意志で決め

          為すべき「使命」 

          インクルーシブ教育について

          2022年に実施された「通常の学級に在籍する特別な教育的支援を必要とする児童生徒に関する調査」(文部科学省)によれば、「通常学級に在籍する小中学生のうち、『知的発達に遅れはないものの学習面又は行動面で著しい困難を示す』とされた小中学生の推定値は8.8%」で、2012年に行った調査の6.5%と比較すると、2%以上増えています1)。 そのため特別支援学校や校内の特別支援教室に在籍する子どもも増えています。 ここ10年間(平成24年度から令和4年度)で見ると、16.4万人から35

          インクルーシブ教育について

          教育支援センターから No2 「居心地のいい場所」以外の役割

          教育支援センターは、不登校の子どもにとっての安全安心な居場所であることが重要です。 私たち支援員もできるだけ子どもたちが、安心して本来の自分を出せる場となるように工夫しています。 そのかいあってか、このところ利用者が増え始め、通ってくる子どもたちもそれぞれに自分の時間を過ごしています。 なかには「ここ(センター)に来るのが楽しくて仕方がない。」という子もいます。 私たちはそういう子どもの声を聞くたびに、うれしくなります。 でも、時折感じるのです。 センターは、「居場

          教育支援センターから No2 「居心地のいい場所」以外の役割

          教育支援センターから 庭の土とこどもの「いのち」

          小学校3年生の彼は、いつもより1時間も早くセンター(教育支援センター)にやって来た。 その顔を見て、きのう私(支援員)に「俺、先生が好きやから」と、ささやくように言ったのを思い出す。 彼と出会った最初のころは、とても無口だった。 センターに来ても、あらかじめ母親と15分とか30分とか時間を決めてきていた。 母親が彼を置いて帰ろうとすると、即座に「嫌だ」と引き留めた。 最初にセンターに来た日、私はいなかったが母親の後ろに隠れて玄関をまたぐことさえできなかったそうだ。 それ

          教育支援センターから 庭の土とこどもの「いのち」

          最多安打でも4番打者でもバントで走者を送る、がむしゃらさがほしい

          9月11日甲子園でのベイスターズ戦。 劣勢の中、森下の1点差に詰め寄るソロホームランで球場の奮起ががらりと変わり、その直後に同点に追いつき、7回表は村上の気迫あふれるピッチングで無得点に抑えた。 その裏、無視1塁。代走植田。打者近本。 近本、植田ならダブルプレーはないと踏んだのか、そのまま打たせて結果はダブルプレー。 どうしても勝ちたいと思うなら、ここはリーグ最多安打の近本であっても送って好調クリーンアップにつなぐ手はなかったのか。 せめて、セーフティバントするか、エン

          最多安打でも4番打者でもバントで走者を送る、がむしゃらさがほしい

          教育支援センター支援員のジレンマ

          校外教育支援センター(以下、センターとする)は、基本的に、不登校及びその傾向のある子どもの「安心・安全」な「居場所」として自治体(教育委員会)が設置しているものです。 最近では「校内教育支援センター」の設置も進んでいますが、それでも学校に行けない(敷地内に入ることができないなど)子は、担任などに勧められて通所しています。 言うまでもなく、不登校の子というのは学校に何らかの抵抗感や諦め、時には恐怖などの感情を抱いています。 だから、センターはできるだけ学校を感じさせない空間

          教育支援センター支援員のジレンマ

          「ああ、雨が降ってるなあ」って思うこと

          雨の日のことを「天気が悪い」と言います。 考えてみればこれはおかしな話です。 災害級の大雨の場合は別にして、雨が降るということは100%悪いことではないはずです。 それでも私たちは、雨が降ると「今日は傘を持ってこなかったから、帰りはかなり濡れるだろうなあ」とか、「なんとなく鬱陶しい気分になって嫌だなあ」と考えてしまいます。 高校生の時、国語の先生が、 「雨の降る日は、ああ、雨が降ってるなあ、と思えばいいんですよ」 と教えてくれたことがあります。 目の前に起こっているこ

          「ああ、雨が降ってるなあ」って思うこと

          学校に必要なのは「探す」なのか、「捜す」なのか?

          ざっくりとした言い方で申し訳ないのですが、「探す」というのは何がそこにあるのかわからない状態で何かを発見しようとすることで、「捜す」とは、見つけようとするものがはっきりしているときに用います。 例えば、「探検」に「探」が使われるのは何かはっきりしないけれども新しい発見を求めているからです。 また、犯人を見つけようとするときに使う「捜査」に「捜」が使われるのは、必ずどこかにいる犯人を見つけようとしているわけです。 さて、学校では「総合的な学習の時間」が設けられていて、そこ

          学校に必要なのは「探す」なのか、「捜す」なのか?