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ゴールを意識するという醍醐味

退職して最も変わったことと言えば、自分自身の意識です。
現役(正規)で働いていたときは、次々にやってくる仕事にかまけて、あるいは寄りかかって生きてきたように思います。

仕事が次々にあるというのは、他のことを考える余地がない状態を生み出します。
それを悔やんでいるわけではないですが、仕事以外のことを考える必然性はかなり低いものでした。
だから、1日が終わって寝床に入るときホッとします。
今日が終わったことへの安堵感です。

けれども、仕事がなくなった(あっても非常に責任軽いものになった)ら、寝床に入るときに何となくモヤっとした気分を覚えるようになりました。
それは、「今日1日、本当に自分のやりたいことをやれただろうか」というぼんやしとした気分です。

これは、仕事がなくなれば当然時間的にも精神的にも余裕が生まれ、自分の人生に真正面から向き合わざるを得なくなった結果だと思います。
自分の人生から仕事を差し引いた後に残るものは何か、
自分は人生のゴールにたどり着くまでの間に、何ができるのか、
何を優先すべきかという思いでもあります。

例えば、本を読むにしても必ず優先順位を考えるようになりましたし、部屋の片づけも「今、何をおいてもすることか?」などと考えてしまったりします(単に面倒くさいだけかもしれませんが)。

ドイツの哲学者ハイデガーは、人間、すなわち現存在は「気分」のもとにあるとし、その中で一番基本となるのが「不安」であり、その「不安」は「死」によってもたらされると考えたそうです。

このハイデガーの「死」について、日本の哲学者、竹田氏は次のように述べています。

「「死」は自分の絶対的な一回性を深く教える。そこで初めて人間は、「ほんとう」を生きたい、という観念を持つ。つまり人間だけが「ほんとう-偽り」という価値の秩序を持つが、それは「死」という絶対的な一回性が深く心にしみたときに現れるのだと」

竹田青嗣+現象学研究会(2008)『知識ゼロからの哲学入門』幻冬舎、135頁

私がぼんやりとした「不安」を覚え、常に優先順位を考えてしまうのは人生のゴールである「死」について自覚的になったということでしょう。

ようやく私にも、人生の本当の醍醐味を味わえるときがやってきたということでしょうか。

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