
いつでも今と私
時々ガツンと起こってしまうことがある。
起こってほしくないのに、誰かから言われなき苛立ちを受けてしまったり、批判を受けてしまったり。
起こることに無駄なものはある、時々。と私は思っている。起こらない方がいいこと。急に身近な人が亡くなるとか、天災。それでも、そういうことは起こるとはわかっていてもやっぱり、無駄だ、と思ってしまう。
でも起こることには意味がある、と思いたい。何かしらの意味があるから起こるんだと。
以前の私なら、何かのとばっちりを受けたり、ただ電車の同じ車両で誰かがイライラしているだけでも、そのエネルギーを何日も何日も引きずって悶々として、どうしてだろう、私が何かいけないことをしたんだろうか?と考え続けて時間が過ぎていた。
今の私なら、少なくとも、いつもできるわけではないけれど、
「何か意味があるんだろう」
「何が学べるんだろう」
と、少し距離を置いて、起こったことを俯瞰したり多角的に見られるようになった。
やっぱりショックではある。起こらなきゃいいのにこんなこと、といやーな気持ちになる。
でもこんな気持ちに支配されてもいいの?と自問できるようになった。
私が何か悪いことをしたのかな?と、自分に非があるかどうかを自問してしまうときもあるけれど、「いや違う。私は私でよい」
と方向を修正できるようになってきた。
だって、私が学んでいることは
「残りの人生そんなことを考えて過ごしたい?」
今 と 私 に集中
私 と 今 を楽しめ
人生を楽しめ
ということだと気づけるようになったから。
(見出し画像: ボケてしまったけれど、知り合いの家の花壇)