天昇る火柱~第二部(2)「天下」【歴史小説】
この小説について
この小説は、赤沢新兵衛長経という武将を主人公として、15世紀末~の戦国時代初期を描く『天昇る火柱』の第二部です。
第一部では、赤沢党の属する細川京兆家は、南北から京を挟撃しようとする前将軍足利義尹、そしてその忠臣畠山尚慶を、からくも退けることに成功しました。
最大のライバルが消え、畿内をほぼ制圧した京兆家が次に目指すのは、さらなる拡大への道「日本国惣知行」。
そして新兵衛にとってはさらにその先、唐船の船団を仕立てて鄭和の夢を追うこと。
しかし肥大しきった京兆家は、その当主・政元の後継をめぐって、次第に破滅の音を軋ませ始める……
果たして新兵衛の夢は叶うのか。天竺人の血を引く妻・藍紗の行方は。そして、紀伊へ逃れた畠山尚慶は再び立ち上がるのか。
細川政元の野望、そして新兵衛と薬師寺与一の友情の結末は……
見逃せない第二部、どうぞよろしくお願いいたします!
本編(2)
「摂津、丹波、讃岐、土佐、三河、阿波、備中、伊予、和泉、淡路。これが我ら細川一門の領国だ」
新兵衛が本丸館の座敷へ赴くと、政元と宗益は畳の上に絵図を広げ、互いに背中を丸めて覗き込んでいた。
「わしが抑えている山城、大和、河内もそこに加わります」
主人はまだ面を外していない。烏天狗と山男が額を寄せ合っているさまは、さながら魔道の会合である。
「武田の若狭、六角の近江、赤松の播磨と美作、備前も含めてよかろう。駿河には今川もおるな。龍王丸の後見につけてやった伊勢早雲庵は面白いぞ。見事に堀越公方を攻め滅ぼしおった」
堀越は将軍義澄の実家だが、庶兄の茶々丸によって簒奪されていた。それを独力で討ち取ったのが、伊勢氏の早雲庵宗瑞なる者であった。
「伊豆一国を鎮め、相模の小田原にまで出張っているという話ですな」
「関東管領の内輪揉めにも首を突っ込んで、搔き乱しておる。いずれあれが関東一円を治める日も来るやもしれぬな」
政元は、とんでもないことをさらりと言ってのけた。
「越後の上杉と長尾、丹後の一色、山名に斯波。この辺りの向背も気にかかるが、差し当たって敵となるのは、やはり紀伊と越中の畠山、越前の朝倉か」
「となると、周防へ逃れたという前将軍の出方次第ですな」
「大内介か」
烏天狗は、百衣の腕を胸の前で組み合わせた。
「豊後の大友が家中の騒動を収拾したので、背後を衝かせてはいる。しかし、応仁の時分の政弘という例もあるのでな」
前将軍義尹は、近江で六角氏に大敗を喫したあと、かねてより誼を通じていた西国の大大名、大内氏の元へ逃れていた。
防長二ヶ国を中心に領国を広げ、九州の豊前、筑前守護も兼ねて、高麗や明国との交易もさかんに行っている。その富強ぶりは、打ち続く戦乱で荒廃した京を超えるとさえ言われていた。
かつて先代の大内政弘が、遠路大軍を率いて上洛し、敗北寸前の西軍を盛り返すなど、中央の政局とも深くかかわっていた。
「しかしほとほと、あきらめの悪いお方ですな」
宗益は鼻腔に太い指を突っ込み、白毛を抜いて涙を浮かべていた。
「仮にも公方を称する者を、戦場で討ち取るのが忍びないだけよ。誰もそのような汚名を着せられたくはあるまい。流れてこられれば、放逐するわけにもいかん。それで八方が迷惑しておる」
義尹を匿っていることが知れると、政元は帝へ奏請し、現当主の大内義興へ治罰の綸旨を下させた。それに呼応して、周辺の武士たちが大内領を搔き乱していた。元より大した力ではないが、当面の足止め程度にはなっている。
「当家にとって最後の敵になるとすれば、それは西国をまとめ上げた時の大内よ。だが、まだ今しばらくの間は動けまい」
政元はふいに顔を上げ、広く裂けて尖った嘴を、新兵衛の方へ向けてきた。
「ここからさらに領国を増やしていくには、将も兵もまるで足らぬ。赤沢新兵衛尉、そなたにも近いうち、一軍を率いる部将となってもらうぞ」
「は」
頭を下げながらも、二人の話の根元にあるものを、今一つ掴みきれていないという気がした。
「一つ、伺わせていただきたく」
「何だ」
「東へ西へ、まことに気宇壮大なお話のようですが、御屋形様がこの戦の果てに目指しておられるのは、一体どのようなことでしょうか」
「日本国惣知行」
目玉の覗き穴の向こうで、薄い瞼をしばたたいていた。
「そのあとは、天下の富を費して大船団を仕立て、遠海の旅でもいたそうかの」
新兵衛は、我知らず頬が火照ってくるのを感じた。
おのれの夢は、まだ終わっていない。それどころか、しっかりとその途上に立っている。まだ何者でもなかったころに思い描いた未来は、確かに実現できるものなのだ。自らの手で選び取ってきた道が、それを切り拓いた。
そしてきっと、藍紗の抱いていた願いともつながっている。
「長経、この絵図を見て、お前ならどう考える。次にはどのように動くべきだ」
宗益が指さした檀紙の上には、色分けされた木彫りの駒がいくつも載せられていた。黄色が細川一門、赤が宗益自身を表しているのであろう。
「どの者も、戦場においてはさして恐るるに足らず。ただ一人きりを除いては」
新兵衛は腕を伸ばし、紀伊、という文字の上の青い駒を、指先で弾き飛ばした。
「畠山尚慶。我らは総力を挙げ、いち早くこの者の首級を挙げるべきかと」
三人は三様の眼差しを見交わし、心得顔でうなずき合った。
~(3)「嵐山」へ続く