見出し画像

【第一部・最終回】天昇る火柱(12)「勝利」【歴史小説】


この小説について

 この小説の主人公は、赤沢あかざわ新兵衛しんべえ長経ながつねという男です。
 彼は、信州の小城に庶子として生まれ、田舎武士として平凡な一生を送るはずでした。
 しかし彼には、二十歳近くも年の離れた兄がいました。
 兄は早くに出家して家督を放り出すと、諸国を放浪し、唐船からふねに乗って明国にまで渡ってゆきました。
 そして細川京兆家ほそかわけいちょうけ内衆うちしゅとなり、やがて畿内のほとんどを征服することになります。
 神も仏も恐れぬ破壊者、赤沢沢蔵軒たくぞうけん宗益そうえき
 その前に立ちふさがるのは、魔王・細川政元まさもとへの復讐に全てを捧げる驍将ぎょうしょう畠山はたけやま尚慶ひさよし
 弟にして養子の新兵衛とともに、赤沢宗益の運命を追いかけていただければ幸いです。
 どうぞよろしくお願いいたします。

本編(12)

 細川政元からの返答は、「大和一国切取り次第」とのことであった。
 これで赤沢勢の大和侵攻は決した。
「行くぞ。寝とぼけた奈良坊主どもを、無間地獄の底まで叩き落としてくれよう」
 宗益の号令一下、千騎に及ぶ赤備えの武者が槇島城を出陣した。
 木津の北のこまで古市澄胤と合流すると、これを水先案内人として、歌姫うたひめから佐紀さきの丘を越えて大和へ侵入した。
 筒井党の超昇寺ちょうしょうじ宝来ほうらいら地下人が迎え撃ってきたが、これをたちまち揉み潰すと、秋篠城あきしのじょうを落として足がかりとした。
 そこから近隣の西大寺さいだいじ喜光寺きこうじへ出撃して火をかけ、手向かいもしない僧たちを殺して財物を奪い取った。
 さらに奈良へ向かって東進し、道行きの法華寺ほっけじにも乗り込もうとしたが、馬上の古市澄胤が慌てて静止した。
「お待ちあれ。光明こうみょう皇后のご創建になる総国分尼寺そうこくぶんにじでございますぞ。何卒お手控えくだされ」
「そのような者は知らぬな」
 宗益は鞍上で手綱を放し、首の後ろで指を組んでいた。
「そろそろ連中にも、女をあてがってやらねばと思っていたところだ。髪のない者ばかりであろうが」
 澄胤は、目に見えて怖気を震っていた。
「大乗院門跡の妹御が入寺されております。何卒お手控えを」
「だから、そのような者は知らぬ」
 うるさそうに目を細めて睨みつけた。
「修羅になりきれぬなあ、澄胤坊。そのいは、またいつの日か、官符衆徒の棟梁に返り咲きたいという下心からであろう。筒井より弱者でありながら、さらに筋目に縛られていたのでは、どうやっても勝てはせぬぞ」
「まあ、父上。興福寺にもまだ使いようはあります」
 見かねた新兵衛が割って入った。
「恩を売るためにも、澄胤殿の仰る者ばかりは、見逃してやってもよろしいのでは」
「長経、それはお前が澄胤に恩を売るためであろうが」
 宗益は横目で苦笑してみせた。
「まあよかろう。委細は古市に任す。ただし門跡の妹以外の退去はまかりならぬ。そして今晩我らはあの寺を借りて宿営いたす。これ以上は動かぬ」
 澄胤は真っ青な顔色でうなだれていた。

 翌日、筒井党を盟主とする衆徒国民の一揆が、早くも破れたという報せが届けられた。
 飛鳥あすか多武峰とうのみね妙楽寺みょうらくじが興福寺と決裂し、越智氏もこれに従ったというのである。
「前門に敵を迎えながら、内側で責をなすりつけ合っている。古今、滅亡する者どもの振る舞いは変わらん」
 宗益は、さして面白くもなさそうに言い捨てた。
 機を逃さずに赤沢勢が奈良へ進撃すると、筒井、十市とおちらは一戦も交えることなく逃げ散っていった。閉門して素知らぬ顔を決め込む興福寺を尻目に、赤沢勢は坊舎へ押し入り、町場に火を放って略奪の限りを尽くした。
 ただし金堂や五重塔を焼かなかった見返りとして、莫大な礼銭と兵糧の拠出を求めた。古市澄胤が間に入り、寺門へ強いてそれを認めさせた。
 数日間乱妨狼藉をほしいままにしたあと、代官を残して赤沢勢は奈良を出立していった。
 行く先はさらに南である。刃向かう衆徒国民を蹴散らしながら国中を縦断し、跡地に給人きゅうにんを配していった。大和一円を占領して細川氏の属国とし、自らその守護代たらんというわけである。
 高田川など三つの川が合流する長河庄なががわのしょうで、大和四家の一つ箸尾はしお氏の軍勢をさんざんに打ち破り、これを放逐した。
 さらに南西へ進んで二上山城にじょうざんじょうを猛然と攻め落とすと、ついに河内の背後を脅かすに至った。
「よい仕事ができたのう、長経」
 土くれに埋もれた石地蔵の頭へ足を掛けながら、宗益は黄色い歯を覗かせた。
「まことに」
 新兵衛も、満ち足りた微笑とともにうなずいた。
「あとは、とくと同輩どもの働きぶりを見物しようではないか」
 
 同じころ、淀城に詰めていた京兆家内衆の主力が出陣し、淀川の左岸を南下し始めた。その数三万を超えたという。
 河内十七箇所で畠山義英を迎え入れ、摂津欠郡へ入ると、薬師寺元一、長忠の兄弟と合流を果たした。
 三ヶ月にわたり対陣してきた畠山尚慶は、頼みの綱の前将軍義尹を失い、もはや京まで攻め上る術をなくしていた。
 残る手立ては、集結した細川方の主力を撃破し、せめて河内を保った上であつかいに持ち込むしかない。
 二十日の朝、薬師寺元一勢の突撃によって戦端が開かれた。
 畠山尚慶は、全軍で天王寺を出てこれを迎え撃った。
 彼我の兵力差は数倍である。いかに尚慶が勇将であっても、劣勢で孤立した側の士気はあまりに脆かった。
 大軍によって次第に押し包まれ、河内勢、越中勢の陣立ては瓦解して、殲滅されるのを待つばかりとなった。
 尚慶はわずかな馬廻りとともに脱出し、天王寺まで逃げ帰ると、要害を自焼じやきして紀伊へ向かって没落していった。
 一説には、絶望のあまり剃髪していたとも伝わる。

「畠山尚慶とは、いかなる者なのでしょう」
 新兵衛の口元から白い息が昇る。
 朝まだきの冬空に、羽ばたくような雲が広がっていた。摂津を指す西のかなたは、まだ夜の消え残りが紺青色こんじょういろにわだかまっている。
「一体何のために、あそこまでして戦い続けるのか」
「復讐の鬼」
 そばに立つ宗益は、丸太のような筋張った腕を組み合わせていた。
「その目は、取り戻せない過去ばかりを見据えておる。わしとはまるで正反対の男じゃ。命尽きるまで、無能者の流れ公方のために戦い続けるつもりじゃろう。詮無い生き様よの」
「ふむ」
 新兵衛は、得心がいったようないかぬような思いでうなずいた。
「しかし、この世ではそういった者が一番怖い」
「怖い?」
「おのれを疑うことがないゆえにの」
 そういうものか、と感じながらも、一つの問いが頭をよぎった。
「父上は、ご自分を疑われることがあるのですか」
 するとこちらを見下ろし、ニンマリと歯を剥いて笑んでみせた。
「やはりない。つまり、わしもあれと同じくらい恐ろしい者ということじゃ」
 さもあろう、という気がした。露ほどもおのれを疑っていたならば、あのような所業など繰り返せるはずがない。
「紀伊という逃げ場所がある限り、あの男は必ずまた生きて戻ってくる。その日まで我らはせいぜい、勝利の果実を味わわせてもらおうぞ」
 からりとした哄笑が生まれたての空に響き渡り、いつまでも殷々と消え残っていた。

               〜「天昇る火柱」第一部【古市風雲編】完


次回より引き続き、第二部【京兆内訌編】をお送りいたします。
みなさま、どうぞよろしくお願いいたします。
                              大純はる

いいなと思ったら応援しよう!

大純はる
チップをいただけたら、活動資金にあてさせていただきます。 どうぞよろしくお願いいたします!