天昇る火柱~第二部(5)「莫逆」【歴史小説】
この小説について
この小説は、赤沢新兵衛長経という武将を主人公として、15世紀末~の戦国時代初期を描く『天昇る火柱』の第二部です。
第一部では、赤沢党の属する細川京兆家は、南北から京を挟撃しようとする前将軍足利義尹、そしてその忠臣畠山尚慶を、からくも退けることに成功しました。
最大のライバルが消え、畿内をほぼ制圧した京兆家が次に目指すのは、さらなる拡大への道「日本国惣知行」。
そして新兵衛にとってはさらにその先、唐船の船団を仕立てて鄭和の夢を追うこと。
しかし肥大しきった京兆家は、その当主・政元の後継をめぐって、次第に破滅の音を軋ませ始める……
果たして新兵衛の夢は叶うのか。天竺人の血を引く妻・藍紗の行方は。そして、紀伊へ逃れた畠山尚慶は再び立ち上がるのか。
細川政元の野望、そして新兵衛と薬師寺与一の友情の結末は……
見逃せない第二部、どうぞよろしくお願いいたします!
本編(5)
水面下で繰り広げられる暗闘を感じながら、三ヶ月が過ぎた。
またしても唐突に、宗益は政元から赦免され、上洛を促された。表向きは、薬師寺元一の執り成しによる、とされていた。
「ここまで来ると、もはやわけがわからん」
途上で伏見の廃寺へ立ち寄った宗益は、蒙古馬の鞍上で首をひねっていた。
「どうも此度のことは、理屈ばかりでは解せない、愛憎のゆえでもありそうです」
「愛憎か」
毛のはみ出た鼻から息を抜いて笑った。
「しかしそれだけに、もつれれば何が起こるかわかりませぬ。自分もお供いたしましょう」
「いや、わからなければこそ、お前は別の場所にいた方がよい」
「父上」
万が一のこともあり得る、とでも言いたげな調子に、新兵衛は色をなした。
「大丈夫だ。わしを討てる者などこの国にはおらん。まあ、とくと御屋形の話を聞いてくるわい」
気を揉みながらも、義父のごつごつとした背中を見送るしかなかった。
ところが、それを最後に宗益からの連絡は途絶えた。
一月が経ち、二月が過ぎた。それでもやはり、張り詰めた沈黙が続くばかりである。
「宗益様はどうも、京兆屋敷の内にはいらっしゃるようです。毎日山のように肉が運び込まれますからな。しかし警固は厳重の極みで、入り込むことはできません。外出も全くされておらぬようで」
洛中へ潜り込ませている、猿丸からの報告であった。
「座敷牢にでも入れているか。しかし、力でねじ伏せて出てこられないということは、父上も半ば了解の上なのであろう」
宗益は、政元のすぐそばにいることで様子を窺っているのだ。何かが起こるのを待っている。そしてそれを起こす者は、恐らく薬師寺与一……
九月、ついにそれは起こった。
細川一門、阿波守護家の反乱である。
執事の三好率いる軍勢が、隣国讃岐の要所をたちまち攻め落とすと、船団を仕立てて淡路へ渡海する構えだという。
畠山尚慶、筒井党も、時を同じくして蜂起した。それぞれ堺、奈良へと軍勢を進めたのである。そして薬師寺元一もまた京を脱し、淀城に籠もって兵を挙げた。
「こういうことだったのか」
新兵衛は親指の爪を噛んだ。ほぼ同時に、宗益から密書が届けられた。
槇島へ向かったが、既に守りを固められており復帰は果たせなかった。筒井党の攻勢に耐えかねて、古市澄胤は和睦を図ろうとしている。それを止めるため、自分はもう一度大和へ行く、とのことであった。
新兵衛は単身、淀へ馬を飛ばした。ぬるい秋雨がそぼそぼと降っていた。
淀城は、巨椋池が淀川へ流れ出す口、中洲小島が集まる納所の地に立っている。
それぞれの流れが天然の濠をなし、小高い土手の上に郭を設けた姿は、さながら槇島城と双子のようだ。
館の周りにびっしりと櫓を立て、曇り空に橘の旗を翻して、守りの備えも万全の様子だった。
北回りで下ってきた新兵衛は、目前の葛野川を渡りかね、馬の手綱を引きながら大音声に呼ばわった。
「薬師寺与一。赤沢新兵衛が参ったぞ。聞きたいことが山ほどある。顔を出して答えぬか」
ややあって、正面の渡しから小舟が出された。そこへ乗り込み、腕を組んで仁王立ちしているのは、縹色に雲龍模様の小袖を着流した若武者であった。
舟は岸までは着かず、川の中ほどで艪を止めた。露頭に高々と茶筅髪を結った与一は、薄く微笑んでいた。
「何を笑っている」
新兵衛は、怒りに震える両目で睨みつけた。
「何って、楽しいのよ。こんなにも全てが、おのれの思い通りに動いていることがな」
肩をすくめ、かぶりを振りながら鼻で笑った。
「まことに、公方の差し金で動いたのか」
「違うな。公方が俺の差し金で動いたのだ」
「本気で当家を裏切ったのか」
「俺は何も裏切ってはおらん。足利も、細川もな。ただ主の代替わりを、ほんの少しばかり早めてやろうというだけのことだ」
「やはり力をもって、阿波守護家を京兆家に取って代わらせようというのか」
上下の奥歯を擦り合わせ、ぎりぎりと音を立てた。
「これでは細川も、畠山の二の舞になってしまうぞ。そんな簡単なことがなぜわからん」
「その種を蒔いたのは、政元本人だ。もはや京兆家の終わりを避けられない時に、日本最強の我らが、なぜ没落した公家の下などにつかなければならん」
九条家から来た聡明丸の母と、将軍義澄の母は、ともに武者小路家の娘で姉妹であった。政元としては、次代の公方と管領、さらには堀越公方をも従兄弟同士にすることで、後難を排したつもりであったろう。
だが今や、聡明丸は廃嫡を噂され、義澄と政元の政策は軋轢を生じ、堀越公方は庶兄に簒奪され滅ぼされた。度し難い人の企てによって一つ一つがねじ曲がり、裏目に出てしまっている。
「俺だって、元々は何者でもなかった。生まれや血筋などが、そんなに大切なことか」
与一はただ冷笑を浮かべ、こちらを見つめ返していた。
「安富や香西などは、いずれ好き勝手に主を操れると思っているようだが、そうはいかん。今の公方と政元の間柄を見てみれば、それは明らかであろう」
新兵衛とて、大きく思いが違っているわけではないのだ。なのになぜ、相争わなければならない。
「畢竟、あれは家よりも天下よりも、おのれのことしか考えられない男なのだ。抜きん出た才知があるぶん、余計始末が悪い。我ら凡人とは、到底相容れぬ者よ。もはや充分に役目は果たされたゆえ、陸奥の恐山にでも隠棲いただくのがよい」
大将としての政元、家督としての政元、修験としての政元。それらがてんでばらばらで、一つになっていない、と与一は責めたいのだろう。
「父上はいかがした。お前が讒訴したのか」
「宗益も、言わば政元と同類よ。しかもあの二人、余人には測り難いつながり方をしている。いかにして、あれらを引き離すかが難事であった」
「見え透いた讒言ごときで、御屋形様が謀られるとも思えぬがな」
「だが実際に、宗益は監禁された。この戦いに、あの男が出てこないことが肝要だったのだ。政元と宗益は鏡の両面で、異能の者同士なのだ。だからと言って、我らも唯々諾々と引きずられてばかりというわけにはいかん」
元一は、舷の内側へ引き込もうとするように、岸へ向かって身を乗り出し、たなごころを差し出してきた。
「お前とて、決して向こう側の人間ではあるまい。あの者たちに合わせていたのでは、やがて無理が積み重なり、いつか必ず破滅してしまうぞ」
「俺はただ、父とともにいたいだけだ」
「宗益を切り、我らに投じよ。新たな政権で鬼の赤備えを率いるのは、新兵衛、お前自身だ」
固く瞼を閉じて馬首を返すと、川の流れに背を向けながら、一目散に駆け出した。
「新兵衛。俺はいつまでも待っておるぞ」
訴えかけるような友の呼び声が、いつまでも耳の奥にこびりついて離れなかった。
~(6)第二部最終回「与一」へ続く