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流れぬ彗星〜第二部(5)「仇同士」【歴史小説】
この小説について
あの畠山次郎が帰ってくる!
「天昇る火柱」第二部の終幕から、少しだけ時を戻して…
天王寺の陣で、主君・足利義尹の来援を待ち続けていた畠山尚慶。
しかし願いは叶わず、細川京兆家の若き猛将・薬師寺元一によってその軍勢は打ち砕かれてしまう。
再び紀伊へ逃れようとした尚慶は、一体どのようにして生き延びたのか。
どのようにして再起を果たしたのか?
そして京兆家を揺るがした内訌「薬師寺元一の乱」に、どこまで関わっていたのか……?
失われた断片を埋め、畠山次郎の苦闘のゆくえを紡ぐ第二部、ここに開幕!
世に不撓不屈の将は数あれど
足利義尹、畠山尚慶の主従に勝る者はなし
~『紀和志』林堂山樹
本編(5)
十二月、やはり雪が降っていた。
水気の多いぼた雪である。高屋城本丸の広庭は、所用で行き交う者たちに踏み荒らされ、土と混ざった泥濘になっていた。
かつて自らが焼き払い、そのあと急普請で建て直させた主殿の階に、次郎は足を載せようとしている。
「思い出しまするな」
木沢左近は、唐傘の骨をたたみながら得心げにうなずいた。
「何をだ」
「雪叩きの宵のことでございますよ。思えば、あの夜から全てが始まったのです」
「そなたにとっては、そういうことになるのであろう」
「今だから申し上げますが、あれで尾張守様がまだ迷われるようなら、右京兆へお首を差し出すつもりでおりました」
「それは驚きだ。そなたが私の首を取れるつもりでおったとは」
事もなげに突き放され、左近はむっと口を結んだ。
「あの時の笛は、臙脂屋へ返してやったのか」
「むろん。だからこそ、あれだけの金子が出たのです。そればかりではなく、一つの付録もつけてもらいました」
「付録、とは」
「件の家の下女を、妻にもらい受けました」
南庇を抜け、母屋の遣戸を開け放った。上段の床飾りの前に、二つの置き畳が並べられており、右手には侍烏帽子に直垂姿の若武者が既に端座していた。
良く言えば公家様だが、のっぺりと起伏に乏しい面差しをしている。少なくとも、父の仇を目の前にした武士の顔つきではない。
「畠山尾張守尚慶」
「畠山上総介義英」
部屋の両端で一旦対座し、互いに名乗り合った。
左右には、それぞれの被官が分かれて居並んでいる。遊佐順盛、丹下盛賢、遊佐越中守といった面々である。左近もまた一座の内へ連なった。次郎はその間をずかずかと進み、上座の左手へ腰を下ろした。
朱塗りの銚子が運ばれ、めいめいの盃に酒が注がれた。先んじてそれを高く掲げてみせたのも、やはり次郎であった。
「我らはその根を同じくしながら、あまりにも長く相争わされてきた。しかし今、将軍家を私する奸賊細川政元を討つため、再び一つとなる」
「はあっ」
みなが一献を飲み干した。
林堂山樹と木沢左近の周旋により、義英が祖父義就ゆかりの誉田城に移り、高屋城を次郎へ譲ることとなっていた。若江城には、河内守として遊佐順盛が入る。
河内屋形を名乗るのは次郎、義英は誉田屋形と称することも定められた。河内は今、二人の守護を戴くことになったのである。
「尾州殿」
式三献のあと、義英は早くも上気した顔を向けてきた。近くで見ると、顔立ちにはまだまだ稚さが残っている。
「尾州殿は、我が父を恨んでおいででしたか」
「それは、総州殿が感じられているのと同じであろう」
「では、さしたる恨みもないということになります」
「左様か」
思わずのけぞり、妙な心持ちで相手を見やった。酔いのせいか、さらに目の奥が深くなっている。
「父は河内の国主として、朝敵の子として生まれた。その立場で、なすべきことをしたまでと存じます。わたくしもまた同じであると」
「ほう」
器の大きさと受け取るべきか否か、次郎はしばし考えあぐねていた。
「しかし、よくぞ当家一流のために決断なされた。その若さで、小を捨てて大を取るというのは、なかなかできることではない」
褒めたつもりだったが、相手は薄い唇を盃のふちに触れたきりであった。むしろ首を寄せ、檜扇の陰から小声で囁いてきた。
「尾州殿は、細川が恐ろしくはありませぬか」
「恐ろしい、ということはない。我らは畠山なのだ。だがむろん、人並み外れた力には、気圧されるものを感じる。肝心なのは、そこで後ろへ退かぬ覚悟であろう」
細川政元に赤沢宗益。あれらは互いの不足を補い合う、双頭の蛇なのかもしれない。
義英は、わかったようなわからぬような仕草でうなずいていた。
「尾州殿のように強くなるには、何をすればよいのでありましょう」
「そのようになられたいのか」
「武門に生まれたからには、弱いというのは気鬱なものでございます」
「気鬱。それはそうであろう」
次郎は笑みを抑え、屋根裏の太鼓梁を見上げつつ考えた。
「思うに、失う、ということではないかな。本来あるべき場所にあるべきものを戻そうとする一念が、おのれ自身の強さとなる」
「失うこと。それではやはり、わたくしには難しそうだ」
次郎は思わずぎょっとした。
国をなくし、父をなくし、事ここに至っても、まだ何も失っていないと感じるのか。
次郎は、理会しがたいものを見るような目つきで、淡々と朱盃をあおる若者を眺め返していた。
両畠山の和睦が成ったのは、実に五十余年ぶりのことであった。
赤沢宗益は姿を消し、古市澄胤も東山内へ没落して、残された大和国衆の間を搔き乱すものは、もはや何もなかった。
そこへ入り込んだのは、またしても林堂山樹である。
興福寺の学侶六方と談判し、衆徒国民和与の起請文を起草すると、布施、箸尾、十市、筒井、越智のそれぞれに呼びかけて上寧させた。
永正二(一五〇五)年二月、大和の巨頭たちは中院の極楽坊へ参集し、一人ひとり起請文に連判して春日社頭へ捧げた。
次郎自身もまた奈良へ赴き、その場に立ち会った。本殿の鳥居前に控え、神妙な面持ちで彼らの所作を見守っていた。
式次第のあとで、立烏帽子に村濃の大紋姿の次郎は、一同の前へしずしずと進み出た。
「春日大明神に誓って、大和の国衆は相和し、未来永劫国外のいかなる者にも与せぬとの由。この畠山尾張守がしかと見届けた」
五人の男たちは頭巾、露頭、烏帽子めいめいの頭を揃って下げた。
興福寺は、古市に代わって筒井を官符衆徒棟梁に任ずる意向であった。越智氏の娘が、筒井順賢へ嫁ぐ取り決めもなされていた。各地に盤踞する中小の衆徒国民もまた、後日連名する手はずになっている。
またしても古市澄胤のみを除き、大和惣国一揆は成ったのである。
「これにて河内、大和の色は塗り変わった」
今や畿南の盟主たる次郎は、堺の根城となっている木沢邸でくつろぎながら言った。
「力ずくではなく、和をもって成し遂げたのだ。紀伊、和泉、越中、能登と併せれば、かろうじて京兆家に抗することも不可能ではない」
「あとは、阿波家がどこまで善戦するかでございます」
山樹の言葉に、次郎は深々とうなずき返した。
「政元は、最近聡明丸を元服させたそうだ。さらには、野州家の高国をも猶子に迎えたという。よもや阿波勢とのあつかいはあるまい」
細川高国は、野州家の政春の嫡子である。そして、京へ置いたままになっている、次郎の妻の弟でもあった。
見知っているのは、かつての十にも足らない幼い姿ばかりだ。それが今や二十歳にもなっている。思えば、おのれはもう十年以上、京の土を踏んでいないのだ。
「主立った将は去り、兵は疲弊して、此度の戦役ではついに右京兆自らが大将となり、兵庫津まで出陣しているとのこと。白馬にまたがり、唐様の明光鎧に身を固め、烏天狗の面頬をつけて、勝軍地蔵になりきった姿であるとか」
「政元の修験狂いが、細川を滅ぼそうとしているのだ」
そもそもたった一人の跡継ぎさえいれば、このようなことにはなっていないのだ。畠山にとって、政元は最強の敵手であったが、その同じ力によって自壊しようとしている。
またとない好機を逃す手はない。
京兆家と、最大の分家である阿波守護家との戦いが泥沼と化せば、こちらから京へ攻め入ることも、周防より公方義尹を迎えることもできるかもしれない。
「次郎は、決して素志を忘れてはおりませぬ」
「は、何と」
「何でもないわ」
珍しく屈託もなく、河内屋形は声を立てて笑った。
しかし、政元はやはり政元であった。
先陣として讃岐へ上陸させた淡路守護の軍勢が、三好之長に迎え撃たれて潰走すると、すぐさま阿波へ使者を送って交渉に入った。
結果、阿波守護家の次男を養子に迎え、将軍家の一字を賜って澄元と名乗らせ、正式に京兆家の跡目とすることが定められた。
「何だと、あの男」
本膳に向かっていた次郎は、思わず塗箸を取り落とした。
「薬師寺元一が叛逆してまで求めた、いや、それ以上のことです」
相伴していた山樹は、黒衣の袂を合わせ直しながらうなずいた。
「またしても、表と裏を返しおった」
しばらく茫然として考え込むしかなかった。
いずれにせよ、細川氏の内紛はたちまち収束してしまった。合体を果たした両畠山、さらには惣国一揆を結んだ大和に対し、次の一手を打つためであるのは間違いない。
「三好に率いられた阿波勢の、思った以上の精強さに、戦うよりもおのれの兵とすることを考えたのでしょう」
「窮余の策でもって、最大の利を引き出す。あやつがずっと繰り返してきたことだ」
「ただし、これで別の目も出てきます。薬師寺とは反対に、澄之を盛り立てていた者たちが、やすやすと阿波勢を受け容れるとは思えませぬ」
澄之とは、元服した聡明丸の名である。やはり将軍から偏諱を得てはいるが、明らかに跡目を外され、一介の一門衆となってしまった。
「鬱積した不満は相当大きい。窮余の策とは、とりもなおさず無理を押し通すということ。その分だけ、あとで綻びを繕うのにも苦しむものです」
山樹の脳は、早くも次の回転を始めているようであった。
~(6)第二部最終回へ続く
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