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天昇る火柱~第二部(1)「天狗」【歴史小説】


この小説について

 この小説は、赤沢あかざわ新兵衛しんべえ長経ながつねという武将を主人公として、15世紀末~の戦国時代初期を描く『天昇る火柱』の第二部です。

 第一部では、赤沢党の属する細川京兆家ほそかわけいちょうけは、南北から京を挟撃しようとする前将軍足利義尹あしかがよしただ、そしてその忠臣畠山はたけやま尚慶ひさよしを、からくも退けることに成功しました。
 最大のライバルが消え、畿内をほぼ制圧した京兆家が次に目指すのは、さらなる拡大への道「日本国惣知行そうちぎょう」。
 そして新兵衛にとってはさらにその先、唐船の船団を仕立てて鄭和ていわの夢を追うこと。
 しかし肥大しきった京兆家は、その当主・政元まさもとの後継をめぐって、次第に破滅の音をきしませ始める……
 果たして新兵衛の夢は叶うのか。天竺人の血を引く妻・藍紗あいしゃの行方は。そして、紀伊へ逃れた畠山尚慶は再び立ち上がるのか。
 細川政元の野望、そして新兵衛と薬師寺やくしじ与一よいちの友情の結末は……
 見逃せない第二部、どうぞよろしくお願いいたします!

本編(1)

「しかし、あの時の頼りない若党が、今や鬼の赤備えの副将とは」
 薬師寺与一は、媚びるような笑みで戯れてみせた。
 紅白の五つ石に、たちばなを染め抜いた大紋を身にまとっている。黄檗きはだの平打紐で高々と巻き立てたもとどりの先を、ばらばらと散らしている。
 腰から提げた溜塗拵ためぬりこしらえの鞘は、地に引きずりそうなほど長い。婆娑羅ばさらもかくやという出で立ちである。
「頼りない、は余計だ。与一こそ、家中随一の猛将、などというがらではなかっただろうが」
 赤沢新兵衛は苦笑しながら答えた。
 二人は肩を並べ、槇島城まきしまじょうの周りの濠に沿って逍遥しょうようしている。ちぎれ雲を浮かべた秋空は心地よく晴れ、空気は澄み渡っていた。
 二年前に養父が病没し、与一は薬師寺の家督と、摂津せっつ上郡かみのこおり守護代職を継いでいた。その居城は、巨椋池おぐらいけの反対側の淀城よどじょうである。
 京と任地を行き来する途次、東岸を回って槇島城へ立ち寄っていくことがよくあった。
 ともに洛南を守る宗益との連絡を密にしておくためと言いながら、実際は新兵衛の顔を見るためでもあるはずだった。
「ひどい天災の年ほど大きな戦が起こるものだが、今年の実りは悪くなさそうだな」
 黄金色に染まった稲野を見渡しながら、与一は胸を膨らませて息を吸い込んだ。吹きそよいでくる風の匂いも、どことなく甘い。
 ここ数年、畿内のほとんどは平穏のうちに過ぎていた。
「ひとまず静謐せいひつだ。ただ一国を除いてはな」
 新兵衛はあきれ顔でため息をついた。その国とは、他ならない大和やまとである。
 興福寺こうふくじ六方衆ろっぽうしゅうが陰に陽に抵抗を示し、衆徒しゅとに命じて宗益そうえきの残した給人を殺害させていた。奈良の辻子ずしには築地ついじ釘貫くぎぬきを立てさせ、あたかも城塞と化している。
 さらには最後の手段とも言うべき、春日かすが神木動座しんぼくどうざまで敢行していた。ただ昔のように宇治川を越えて入洛するわけでもなく、境内の内侍殿ないしでんへ移すのみで、赤沢勢にとっては痛くも痒くもなかった。
 山の楊本庄やなぎもとのしょう国民こくみんが蜂起すると、宗益はすぐさま槇島から出陣し、大和へ再征して西大寺さいだいじを全焼させた。興福寺は憤って五社七堂を閉門し、東大寺も追従したが、むろん何の実効もなく、町衆らはただ見殺しに遭うばかりとなった。
「大和坊主たちの魂は、千年経っても変わらん。難治の土地よ。そこに手を入れられるのは、宗益殿のような方をおいて他にはあるまい」
「全くだ」
 とは言え、諸国はおおむね将軍家の威勢に服していた。その力を裏付けているのは、今や他ならぬ細川京兆家であり、惣領政元の手足となって働いている内衆うちしゅたちなのだ。
「近々、また嵯峨野さがのへ遠駆けにでも行こうか」
「悪くないな。先に向こうへ酒樽を用意させておこう。桂女かつらめどもも呼んでおけばいい」
 与一の高笑いに呼びつけられたように、年嵩の小者が走り寄ってきた。あんまり慌てているためか、日焼けした折烏帽子の小結こゆいがずれかけている。
「ずいぶんな急ぎようだな、猿丸さるまる
 新兵衛は微笑を含んだが、相手は大真面目のていである。
「宇治の方の渡し場に、山伏の一団が現れて、槇島の城へ小舟をやるようにごうごうと言い張っておるんでさ。ええ、愛宕山あたごやまでもあるまいし」
 新兵衛と元一は、互いに目と目を見交わした。
錫杖しゃくじょうを打ち鳴らして、その態度の大きさったらなく。脅しつけてもてんで聞かず、異様な風体で」
「その一団の長は、烏天狗からすてんぐの面をつけているのではないか」
「左様でさあ、おかげで面相もわからず。あれッ、またよくご存じで。まるで見てきたような」
「それは御屋形様だ」
「は、オヤカタサマとは」
「細川右京大夫うきょうのだいぶ様よ」
 ギャッ、と蛙の潰れたような声を立てて猿丸は跳び上がった。

 新兵衛と与一は船着き場まで赴き、渡し舟で運ばれてくる山伏たちを出迎えた。
 鈴懸すずかけ梵天ぼんてんのついたゆい袈裟げさ、腰に螺緒らおを巻き、しろ手甲てっこういら多角たか念珠ねんじゅを掛けている。海松みるいろなが頭襟ときんをかぶり、顎の下で紐を結び留めていた。
 先頭の者は、顔の下半分が嘴で覆われ、黄色い目玉、眉を逆立てた黒漆塗の面をつけていた。
「久しいな、赤沢新兵衛尉しんひょうえのじょう
 新兵衛は舟形烏帽子の頭を下げた。
「御屋形様におかれましては、ますますご清勝のこととお見受けいたします」
「何が清勝なものか。またぞろ阿呆の公方くぼうに振り回されておるわ」
 烏天狗は首を回し、別の方角を向いた。
「与一も来ておったのか」
垂水西牧たるみにしまきの取り扱いにつきまして、沢蔵軒たくぞうけん殿と相談したき儀がございまして」
 ふん、と面の下で鼻を鳴らした。
「ずいぶんと仲のよいことだ。内々で下らぬ談判をこらすでないぞ」
「お戯れを」
 ほっほ、と手の甲で口元を隠しながら笑ってみせた。
 政元は、父勝元かつもとが愛宕権現に願を掛けて生まれたことから、長じて愛宕山白雲寺はくうんじへの崇敬が極めて篤くなった。
 修験の者たちとも深くかかわり、各地へ間者として送り込むことで、平素から諸国の様子を深くつかんでもいた。
 ついには自らも山伏の法を修するようになり、日々経文を読み陀羅尼だらにを唱え、時に廻国し諸山を巡って、勝軍地蔵しょうぐんじぞう愛宕太郎坊あたごたろうぼう荼枳尼天だきにてんに深く帰依していた。
「で、宗益はどこだ」
「わしはここじゃ、御屋形」
 ゆるく着崩した小袖姿で、胸毛をぼりぼりと掻きむしりながら、宗益がふらりと姿を見せた。左手には、血の滴る二羽の鶏の首を引ッつかんでいる。
「城主自ら絞めてかしわ鍋の支度とは、槇島はのどかなものだ。洛中とは大違いよ」
「だからこそ、何度もこんなところまで足を運ばれるのでしょうが」
「違いない。聞いてくれ宗益、公方が阿呆なのだ。おのれでは何一つできないくせに、一丁前に昵近衆じっきんしゅうなどを通して、あれこれ口出ししてきおる」
「そもそも、そんな阿呆を公方に立てたのはどこの誰です」
「違いない」
 二人は笑い合いながら、自然と肩を並べて城の方へ歩き始めていた。
 十一代将軍足利義澄よしずみは、かつて政元が義材よしきを廃して据えた者である。その父は、八代将軍義政よしまさの庶兄、堀越ほりごえ公方の政知まさともであった。
 義澄も伊豆で生まれ育ったが、わずか七歳で天龍寺てんりゅうじ塔頭たっちゅうの院主となるため上洛した。万が一の時の家督後継ともなすべく、義政の意向と伝わる。
 それが思いもよらぬ形で実現したのである。
 急遽還俗げんぞくさせられ、元服と将軍宣下せんげの儀を立て続けに執り行おうとしたが、擁立の張本で加冠役の細川政元が妙に我を張った。一日だけの管領かんれい就任は渋々受け入れたものの、烏帽子をかぶりたくないとの理由で一週間も延引したのである。
 今や二十歳を超えた義澄は、時に度外れな政元の行状を、真正面から責め立てるようになっていた。
 また、歴代将軍による寺社領保護の姿勢を受け継ぎ、守護代らが押領おうりょうを繰り返している京兆家そのものとも、対立を深めていた。
 義澄と政元は、互いに籠居ろうきょ、隠棲、政務放棄を突きつけ合いながら、その度に相手の元へ足を運んで慰留する、ということを繰り返していた。
 出家の身で京にただ一人残っていた前将軍の弟も、義澄の強い求めによって殺害されており、政元がまたぞろ別の公方を立てるという手も封じられていた。
「ほとほと、上とうまくやれぬお方だ。またとんでもないことが起こらねばよいがな」
 新兵衛は同意を求めて笑いかけたが、与一はとっくに背中を向け、城と反対の方角へ歩き去ろうとしていた。

                       ~(2)「天下」へ続く

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大純はる
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