【歴史小説】流れぬ彗星(11)「林堂山樹」
この小説について
この小説は、畠山次郎、という一人の若者の運命を描いています。
彼は時の最高権力者、武家管領の嫡男です。
しかし、目の前でその父親が割腹自殺する、という場面から、この小説は始まっています。
彼はその後、師匠の剣豪や、愛する女性、そして終生の宿敵である怪僧・赤沢宗益と巡り合い、絶望的な戦いを続けてゆきます。
敗れても、何度敗れても立ち上がり続けます。
全ては、野心家の魔人・細川政元により不当に貶められた主君・足利義材を救うため。
そして自分自身を含め、あるべきものをあるべき場所へ戻すためです。
次郎とともに、室町から戦国へと向かう、混迷の時代を駆け抜けていただければ幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。
世に不撓不屈の将は数あれど
足利義尹、畠山尚慶の主従に勝る者はなし
~『紀和志』林堂山樹
本編(11)
墨絵のような空から、音もなく雪が降りしきっている。
丈高い杉の黒々とした葉叢にも、竹林のあわいの笹にも、薄く白が積もっている。
ぬかるんだ小道に足駄の跡をつけながら、ゆっくりと歩いていく小柄な人影があった。
角頭巾をかぶり、墨染の裳付衣を重ねている。
村の北に佇む小さな薬師堂の舞良戸を開けると、本尊の前に額づいて小皿の水を取り替えた。
ややあって、背後の開け放しの戸口に別の人影が音もなく立ち、仄かな雪明かりを遮った。
頭巾が振り返ると、括り袴に脛巾を巻き、帯に打刀を差した若い男である。目元を隠す綾藺笠から、粉雪がはらりとこぼれ落ちた。
「どなたかな」
「林堂城主、山樹坊とお見受けする」
若い侍は、問いかけそのものには答えなかった。
「また大仰な。城と呼ぶのも憚られるほどの小館に過ぎぬよ」
「先だって周囲を歩いて回ったので、それは承知している」
ずいぶんと直截な物言いに、思わず鼻白んだ。
「とは言え、小作りではあるが随所に工夫がある。周囲の小川と堀を樋でつなぎ、水が行き渡るようにしてある。二つの虎口の先を辻のように構え、半円の馬出の先に逆茂木を植えるなど、凝り性と言う他ない」
「どなたかな」
僧形の小男は、先ほどの問いを繰り返した。
「堺で御坊の著作を一読した。守護は強兵を養い、寺社本所領を違乱することもいとわず、一国一円知行を果たすべきであると。その上で一堂に参集し衆議をなす他、天下に静謐をもたらす手立てはないと。胡乱な説である」
「細川の手の者か」
法衣の懐へ手を差し入れた。
「あまりに胡乱なため、思わず買い求めた」
若い侍は振分荷物の前から、雁皮紙の綴本を取り出してみせた。
「私の名は、畠山尾張守尚順。御坊を我が帷幄へ迎えるために参った」
僧は目を見開いてみせたが、さして驚いてもいなかった。老けているのか若々しいのかよくわからない顔だとは、昔からよく言われる。
「よもや、私のことを知らぬか」
「むろん存じている。たった一人で来たというのか」
「伴の者は待たせてある。二人きりで話がしてみたかった」
ふん、と林堂山樹は鼻を鳴らした。
「早くも大手を振り、大和ならどこでも歩き回れると思ってのことか」
林堂城は、大和国忍海郡の広野にぽつんと立っている。周囲は見渡す限りの田畑で、深い雪を頂いた葛城山地の尾根が望まれる。
河内国守護所の高屋城と、それに続く若江城の陥落により、大和でも事態が大きく動いた。
畠山義豊の与党であった越智氏は後ろ盾を失い、急速に勢威を落とすこととなった。それにより、長らく東山内の福住に雌伏していた筒井党が、大挙して国中盆地へ打って出、故地の筒井城を奪還したのである。
実に二十一年ぶりの復帰だったという。
さらには南都へ乗り込み、官符衆徒棟梁となっていた古市氏の軍勢を、猿沢池のほとりで打ち破って追い落とした。
古市氏は、大和では長らく筒井、越智に次ぐ第三の勢力を誇っていた。
当主の古市澄胤は風流、博打を愛する異才であった。細川京兆家に接近すると、統制のきかなくなった山城惣国一揆を攻め滅ぼす役割を担った。
飛鳥に盤踞する盟友の越智に代わり、奈良の近郊を抑える役割を担ってきたと言える。
しかし、婚姻さえ結んでいた越智と古市の間には、微妙なわだかまりもあったという。
「御坊が古市澄胤へ期待をかけていたのは、筆致からしてよくわかる。興福寺という権門を内側から打破し、大和一国を統べる大名になり得るやもしれぬと。だがあの者は、もはやそこから脱落したと見るべきだ」
「なぜそう言える」
「あの者の頭の中に、大和一国平均、などということがそもそもないからだ。南山城の守護代を引き受け、それが遊佐弥六によって立ちゆかなくなるや、今度は細川の軍勢を引き入れる。その行き着く先は、ただ一人の覇者の走狗でしかあるまい」
山樹は黙って相手を睨み据えていた。
奈良と興福寺を制した筒井党は、さらに南下して古市へと迫った。従う衆徒の数は雲霞のごとくだったという。
京での交際や相次ぐ戦費調達のため、奈良町から公事銭を搾り続けていた古市氏の支配は、巨大な憤懣を鬱積させていたのである。
手勢の大半を、平城山の向こうの木津へ置いていた澄胤には、これを防ぎ止める術がなかった。
風雅を尽くし唐物を貯め込んでいたという古市だったが、澄胤はためらいもなく館と城を自焼し、退路を断たれる前に逃亡してしまった。
残された町場は筒井勢によって火をかけられ、寺社や家々は破壊され、米や財貨、名物逸品、女子供までも残らず奪い去られたという。
一時の強盛と富貴を誇った古市の滅亡であった。
翌月、逆襲を狙う澄胤は手勢を搔き集めて奈良へ乱入し、白毫寺の辺りで筒井勢と戦った。
だが完膚なきまでに打ち破られ、堂宇もことごとく炎上させてしまい、南山城の瓶原へ没落していったという。
「御坊の言う、衆議による天下静謐を果たすためには、私が細川政元を倒すことがもはや欠かせない。そのために力を貸してもらいたいのだ」
「買いかぶりでありましょう。拙僧はご覧のとおり小城の持ち主に過ぎず、せいぜい大和一国の安危にしか目が行き届かぬ」
「ならばなぜ天下国家を論ずる。無闇におのれを卑下してみせることはあるまい」
「いずれにしても、すぐさま腰を上げるという気にはなれませぬな」
沈黙が垂れ込めた。山樹は顔を背け、冷たく皺ばんだ手の中の瓢箪を見下ろしていた。
「では、またいずれ参ろう。色よい返事を聞かせてもらうまでな」
「このような者に、三顧の礼を尽くされると言うのか」
答えはなかった。角頭巾がもう一度振り返ると、仄明るい戸口の向こうに、しんしんと雪が降りしきるばかりであった。
~(12)第一部最終回へ続く