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若いんだから、もっと失敗を恐れろ、

十一月十一日

兵士とか労働者とかが、自分の苦労を不満の種にするならば、かれらに何もさせずにおくといい。

パスカル『パンセ』(田辺保・訳 角川書店)

豆腐ハンバーグ作って、パソコン開く。今しがたきゅうにWi-Fiが繋がらなくなったので、セットアップガイドを取り出し、再度接続設定した。暗号キーだのユーザー名だのパスワードだのを再入力するのに手間取った。なるほど老人がパソコンを敬遠するわけだ。きのうはコハさんと午後二時から二時間三〇分ほどお喋り。サイト売買、社会的連帯の可能性、ニート論、ゼロ円ハウス、対人援助の難しさなど話柄尽きず。グッバイしたあとは閉館までシオラン『敗者の祈禱書』(金井裕・訳 法政大学出版局)を読む。ひさしぶりに闘魂注入ビンタをもらいました。以下ノートへの抜き書き。

人間は生きることを恥とは思っていない――私は、この事実をとうの昔から知っている。人間の自信たっぷりな足取り、その探るような、それでいていささかも苦しそうには見えぬ目、直立したミミズのような傲慢な物腰、こういうものに接するにつけ、私はつねづね驚かないわけにはいかなかった。私は人間が大地に感謝の気持をあらわすのを見たことがないし、自然が季節ごとに人間に恵む果実の前に、優しい敬愛の気持をいだいてひれ伏すのを見たこともない。

教義は力を欠き、教育は愚劣であり、確信は笑止であり、理論の花は不毛である。私たちの全存在において、魂の緊張を除いて生はない。生をして無くもがなの音と化し、かくして醜悪さを神託の威厳に高めることがないならば、私たちは、いったいどんな神秘のなかに自分を葬ればいいのか。

積極的絶望を欠く宗教が私に指針をたれる幸せと来世、そして私に勧める平穏、こんなものは私には無だ。私は自分とも他人とも事物とも折り合うことはできない。神についてもまたしかり、いや神についてはなおさらだ。

永遠にとって各瞬間はなきがごときものだ。

私自身はどこにも存在しない。死によって、私はいたるところに存在する。死は私を糧とし、私は死を糧とする。私は死にたいと思わずに一度でも生きたいと思ったことはない。生あるいは死、私はどちらに熱中しているのか。

時間においてすべては虚しいと知っているのに、時間を浪費すると、どうして悔恨に襲われるのか。

ああ沢庵漬けが食いたい沢庵漬けが食いたい、ミルク色の沢庵漬けを。ネズミ花火を君の肛門に詰め込みたいんだ、ダマスカスのヴィーナスよ、私はあながち天才ではないのだから。愚民ども平伏せ。弓張り月が綺麗ですね。外はドシャ降りだ。もーにんぐおっさん。

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