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吠えろ神犬、俺の遺影にはジョージア・オキーフの花瓶がよく似合う、ペクチン・ショウモナイト、下品な女ほど下品な男を遠ざける、

十月十日

デカダンの意義は、それが根底に於て真摯だといふ一点に存する。そしてその悲哀も苦痛もすべて、そこから生じてくる。

種田山頭火『白い路』生の断片(春陽堂書店)

午後十二時十四分。賞味期限切れの干し芋、紅茶。干し芋の表面に吹いている白い粉は糖分が結晶化したものです。カビでも覚醒剤でもありません。ある富裕男性のコンパ二オンロボットの「私」がスクラップ工場で潰されるというSF的で悲しい夢を見た。爪が長いのが不潔に見えるのはそれが鼻クソをほじったり亀頭周辺の感じる部分を刺激したりするのに便利そうに見えるからかもしれない、とさっきチンコいじりながら考えた。布団のなかにいるあいだのほうが俺の頭は冴えている。きのう午後五時、野々市ブックオフではなくてうつのみや香林坊店へ行った。さいしょはたしかにブックオフへ行くつもりで歩いていたのだけど、三分もすると、「やっぱ遠くて嫌だな、しかも最近サンダルと相性が悪いし」と思い、計画を変更した。「なんとなく嫌だな」と思うのは心身がそれを避けようとしているからなのでやらないほうがいい、9.11のときに何となく嫌な予感がして出社しなかった人は命が助かった、とかいうややスピリチュアル的臭いのする言説に俺は懐疑的だけど、「何となく嫌なことはやらないほうがいい」という結論にはその通りだと言っておきたい。うつ病と見紛うばかりの二日酔い的ダルさも歩いていると少しはマシになった。犬をベビーカーみたいなものに乗せて散歩しているババアを見た。バカの取り締まりだな。

出羽町、旧金澤陸軍兵器支廠前、

買った本は、『天明俳諧集』、デイヴィッド・ヒューム『自然宗教に関する対話』の二冊。どっちもまだ催されていた古書市で。しめて600円。エンツェンスベルガー『意識産業』と矢作俊彦『あ・じゃ・ぱん』も欲しかったけれども予算の都合上買えなかった。天明期の俳諧はわりと面白いものが多いので分厚いものを買えてよかった。

酒ゆるすくすしも見へて夕すゞみ

あけ烏

なんて情趣があって良い。くすしとは医者のこと。解説によると、夕涼みをしながら禁じられている酒を飲んでいると医者がやってきて、「まあ今夜はよかろう」と縁台に腰掛けるそんな感じ。衆院が解散されたらしい。投開票日は今月の27日。もちろん俺は知的未熟児だから選挙権なんて行使できない。ところで投票所ってなんであんなに間抜けな顔ばかりなんだろうね。「自分も無責任な大衆の一人だ」っていう自覚が少しでもあるのかな。総選挙もオリンピックと同じレベルの衆愚イベントにしか思えない俺はたぶん愚民のなかの愚民。俺としてはセナ様の独裁がいい。セナ様が全権を掌握して「国の象徴」にもなったとき、俺ははじめて愛国者になれる。殉国の覚悟も持てる。セナ様のためなら命もいらない。全世界を敵に回しても戦い続ける。きょうはもう書くことないわ。スマホのメモに「菱川師宣の《見返り美人図》を見て《見返りブス図じゃん》と即座に反応できる小学生はたぶん大物になる」「俺も都会に染まったな的なことを言いたがる人間は例外なく凡庸な自己陶酔のなかにあるので無視すること」「就職活動は本当に現代版の通過儀礼と言えるのか」「世の中が自分に合わせてくれるというマインドセット(子供)、世の中に自分を合わせなければいけないというマインドセット(大人)」「石破氏が政界を引退するときに、普通の爺さんに戻りたい、と言って笑いを取る可能性」とある。そろそろ飯食うわ。新聞読んだりもしたいから。おとつい買った割引き納豆ね。そういえば昨夜ひさしぶりに鶏の胸肉を焼いて食った。七月下旬のカンピロバクターあるいはサルモネラによる感染性胃腸炎で七転八倒して以来。今夜も出来れば食べたいね。パン粉を絡ませて焼いてみたいんだ。料理の達人。愛だけを残せ。愛だけがあればじゅうぶんだ。衆生の因果律。アガペー許可局。ナオコ研。

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