「私は他人に好かれるために存在しているのではない」とお前はレタスを炒めながら言った、
十一月十四日
午後十二時四一分。全盛期のカブレラのホームラン集を見てから、ネスカフェゴールドブレンド、チンしたご飯にライトツナフレークをかけて醤油をかけたもの。昨日と同じだからコピペした方が早かったか。「人生」をコピペで埋めることが出来たらどんなに楽か。死ぬまでの残りの日々をぜんぶ「以下同文」で済ませたい。酒がまだ残っている感じがする。でも気持ち悪さはない。飲む時間を決めて、あとで熱いほうじ茶を飲むといい。ゆうがた雨降らないみたいだから三時までにこれ書いて古書店に行きたい。サッカレー『虚栄の市』の原書が欲しい。本の書き写しをまた始めるつもり。斎藤元彦のことが気になる。斎藤元彦のことを考えないようにすればするほど気になる。「シロクマのことだけは考えるな」の実験みたいになっている。来年から奨学金の返済がはじまると考えただけで気鬱が強くなる。酒の量を減らすしかないのか。来年から本はもう買わない。どっちみちこれいじょう買い続けると足の踏み場がなくなる。部屋が書庫になってしまう。本のために俺があるんじゃなくて俺のために本があるんだ。「思い出のアルバム」を聞くと涙が出てくる。いまのところ「セナ様に抱かれたい」を唱える回数に上限は設けないつもり。「senasamanidakaretai」はいずれ世界中で唱和される日が来るだろう。意味など知らなくてもいい。セナ様とは誰かということも知らなくてもいい。ただこれを唱えてさえいれば救われる。幼稚園児のころ、まさか自分がしょうらい教祖になるとは思わなかった。まじ波乱万丈。もうそろそろ雲古が出てほしい。一時間半後には出発だから。
小室直樹『日本人のための憲法原論』(集英社インターナショナル)を読む。
誰かが激賞していたので読んでみた。こんなに「過激」で濃い憲法入門書があるか。あらゆる学問分野の成果が詰め込まれている。著者は憲法の歴史をたどるなかで、「憲法は権力を縛るもの」ということを繰り返し強調しているが、このごろはそういう基本中の基本をあえて無視しようとする政治家が増えてきた(はじめから知らない可能性もなくはないけど)。そういう人たちはたぶん憲法を「国民を縛るもの」にしたいのだ。国家権力(リヴァイアサン)はその気になれば何でもできる、ということを知らない国民も増えてきた。人間の歴史とは「権力制御の試行錯誤の歴史」でもある。権力というこの巨大怪物を暴走させないようにするにはどうしたらいいか、ということに過去の人びとは知恵を絞りまくって来た。政治思想の古典(ホッブスとかモンテスキュー)にはそうした格闘の痕跡が生々しく、僕なんかは開くたびに感動してしまうんだ。こんにち、「権力は必ず腐敗する」なんて聞かされても、たいていの人は、「まあそうだろうね」として思えないだろうけど。日本人はだいたいにおいて「お上」を信用しすぎるようだ。誰かが逮捕されるたびテレビや新聞はすぐにその「容疑者」を罪人のように扱う。「メディアは捜査機関のリークを垂れ流している」といった言説がどこまで正しいかはともかくとして、凡庸な会社員記者らが警察や検察を「安定した情報源」として頼っていることだけは確か。そろそろ昼飯にする。ご飯チンして、小松菜と油揚げを炒める。幾多郎はいつでもパパスママス。俺のGスポット。様々な巡礼地。