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愚人を相手にするときは「お前が言うな光線」と「だからどうした光線」を有効に使うこと、と自称賢人のお前は言った、

十月十一日

人間は、単に想像にすぎないものを、本当の気持ととりちがえる場合が多い。そこで、回心しようと思いついただけで、はやくも回心したものと思い込む。

パスカル『パンセ』(田辺保・訳 角川書店)

午前十一時五一分。ドンキのポテチ、紅茶。くしゃみ二発。寝覚めはいいほうである。酒飲まなかったからか。あまり認めたくないけど。ともあれ熱いホウジ茶あるいはルイボス茶だけでも長い夜を乗り越えられることが分かったのは大きい。一か月後には「まだ酒なんか飲んで消耗してんの?」とか言ってそうな俺。「アディクションはきほん醜い」という思いはやはりある。俺はほかの誰よりも「みっともないこと」を嫌うから。「美しくないこと」を嫌うから。他人とはその尺度がじゃっかん違うかもしれんけど。自分や他人に何かをやらせようとするならその気質に合った合理的な方法を考案しなければならない。沈没船ジョークというのをいま思い出した。船が沈没しかかっているのに全員分の救命ボートがないことに焦った船長は乗客を海に飛び込ませるために何を言ったか。アメリカ人には「飛び込めばあなたは英雄ですよ」、イギリス人には「飛び込めばあなたは紳士ですよ」、ドイツ人には「飛び込むことは船の規則です」、イタリア人には「飛び込むと女にモテモテですよ」、フランス人には「飛び込まないでください」、日本人には「もうみんな飛び込んでますよ」。誰が考えたのか知らないがよく出来てる。酒を止めさせるのも同じ。「酒を止めろ、このままだと廃人だぞ」なんて一様な「脅迫」で誰もが酒を止めるなら禁酒外来や自助グループなんてそもそも必要ないんだ。禁酒を促すにしても相手の性向は無視してはいかん。人生色々酒飲みも色々で、「魔法の言葉」なんてありえない。相手によっては、「もう止めるなんて言わず好きなだけ飲んでください、お金が足りなかったら貸しますよ」とか言う方が有効かもしれない。アルコール依存症においては「飲んではいけないと思えば思うほど飲みたくなる」という面もあるから。とはいえ私は言葉など少しも信用していない。というかほかの酒飲みのことなんてどうでもいい。俺が心配しているのはいつも自分のことだけだから。きょうは言葉が出方がかなり悪い。フレーズがカタマリのまま「脳裡」に浮かばない。ちょっと無意味な言葉ならべて脳の言語中枢を柔らかくするわ。早漏オリンピック。「高市よりはマシか票」が流れ込んで勝った石破。断食祭り。三島の生首。キングオブ桜田ファミリア。没落の腹切り娘。アイロンマスク・エンドレス公開処刑、底辺ロンパリ男珍走団加入、イケメンタルクリニック。もう生きているのが嫌になったよオイラ。だるいっすよ。このだるさの十分の一でさえ常人には耐えられないだろう。

島村恭則・編『現代民俗学入門 身近な風習の秘密を解き明かす』(創元社)を読む。
むかし筑摩書房の柳田国男全集を買ったくらいだからもともと民俗学には興味があったんだ。でもいつのまにか哲学研究のほうに向かっていた。「見えてそこにあるもの」よりも「見えてそこにあるものをそうあらしめているもの」に惹かれてしまったんだ。そういえば小学生のころ、コンクリートブロック塀の「透かし」が何種類もあることに「興味」を持ち、そのひとつひとつを写真に撮ったりして「自由研究」としてまとめたことがある。しぶいね。俺たぶん民俗学のセンスあるわ。「なぜこんなものがあるのか」「なぜこんなことが行われているのか」「これはどのようにしてこの形となったのか」「これはいつ誰によって広められたのか」といった観点で世の中を眺めてみれば興味が尽きない。学校の二宮金次郎像、祠、石灯籠、街中のオブジェ、越中ふんどし、修学旅行、泣き相撲、病院に飾ってある絵、獅子舞、小便小僧、新内閣の集合写真、ドライバーの注意喚起のための「飛び出し坊や」看板、古い民家によく貼ってある「天の国は近い」みたいな看板、裸祭り、阪神優勝時の道頓堀ダイブ、モーテル、ラブホテル、銭湯の番台、五七五スローガン、軍国美談、一つ目小僧、野獣先輩、書店によくある著者サイン本、「日本すごい」系番組、こけし、高校生のリュックなんかに付いている缶バッジやぬいぐるみキーホルダー、電車の中吊り広告、、、ああもうキリないわ。もうそろそろ飯食う。今日は三時には図書館に入る。けちぇらっちょりーべん。神々の恥骨。ちゃんころ合戦。

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