ネガティブ思考は世界を救う、チョベリバ光線炸裂、「世の中カネ」と考えるのはバカの専売特許、クジラの極小肛門、アメジストの宴、しみったれた赤毛猿の群れ、
九月三十日
午後十二時十分起床。ゾウがワニを踏み殺す動画を一〇分みてから、情熱価格の燻製ナッツと緑茶。こんにちわん、ありがとうさぎ、たのしいなかまが、ぽぽぽぽーん。いやまだ眠いんだよ。あなたを思い出す、この店にくるたび。そうまだ眠いんだ。歌わないとやってられない。さいきんようやくエアコンなしでも過ごせるようになりました。秋は夜散歩がいちばん気持ちいい季節です。俺が「秋」というたび「あき竹城」とか駄洒落を飛ばしてきたあの汚いデブいまごろどうしてるかな。「M男とS子がそれぞれ卵を二個買い、どちらかが一個の卵を相手のコメカミにぶつけました。卵はぜんぶで何個残っているでしょうか。なお卵の値段は一個三〇円とする」。ゲゲゲの鬼太郎のアニメみたいわ今。小津安二郎もみたい。ついでにチャージマン研も。
鮫島浩『朝日新聞政治部』(講談社)を読む。
新聞はもうよれよれのオールドメディアだなとつくづく思う(いまさら?)。まだテレビの方が影響力あるんじゃないのか。なかでも朝日新聞の凋落ぶりはすさまじい。死にかけのゾウを見ているよう。上層部になればなるほど事なかれ主義の保身体質が強くなる。ザ・官僚制。安易な一般化はよくないが、どこの大組織でもそんなものなのかもしれない。著者はかつて朝日新聞のエース記者だった人であり、本書はいわば「内情暴露本」。栄光からの転落は彼が「吉田調書」報道の担当デスクだったころに起こった。「吉田調書」とは福島原発事故当時の所長だった吉田昌郎の証言記録。慰安婦問題における「吉田証言」とは別物である。紛らわしいったらありゃしない。二〇一四年に朝日新聞は非公開とされていた「吉田調書」を独自に入手し「スクープ」を出したが、のちにそれは「誤報」として取り消され、結果的に社長は引責辞任した。「保守・右派メディア」からの「朝日バッシング」が過熱化したのはそのころ。そのちょっと前に池上彰のコラムが掲載拒否されるという出来事もあり、それが火に注がれる油となった。著者はこの「誤報」騒動のなかで記者を見殺し(生贄)にした会社への憤りを隠さない。巨大言論機関の限界を見る気がしますよ。だいたい新聞社がオリンピックのスポンサーなんかに名前を連ねるんじゃねーよ。朝日新聞社が「夏の甲子園大会」を第一回(一九一五年)から主催していることはよく知られている(ちなみに「春の甲子園大会」(センバツ)は毎日新聞社主催)。玉木正之が再三述べている通り、これは実に由々しき事態なのだが、「たかが高校野球じゃん」ということなのか、あるいは「触らぬ神に祟りなし」ということなのか、スポーツとメディアのこうした伝統的な癒着関係に批判的ジャーナリズム精神を向けようとする人はまことに少ない。そんなものはもう新聞社ごときには求めてないけどね。おまえはもう死んでいる。
さあ昼飯。緑茶を濃くし過ぎて利尿作用がハンパない。図書館いくのちょっと遅らせるか。