見出し画像

恋愛SF『ブルー・ギャラクシー サマラ編』4章-1

4章-1 シレール

 二人の娘が車で引き上げていくのを、ぼくはバスローブ姿で二階の窓から見送った。確かに、仕事だけは再開しなくてはなるまい。年輩者たちに、だいぶ負担をかけてしまっている。

(動き出すきっかけを、自分でも待っていたのかもしれないな……)

 口より手が早い紅泉こうせんに、好感を持つのは難しいが、それなりに活を入れてくれたといえる。

(死ぬなら潔く死ね、生きるならしゃっきりしろ、それは確かにもっともだ……)

 後追い自殺、というのも、まるきり考えなかったわけではない。しかし、生きる意味を失った時に、あえて死ぬ意味も見つけにくいのだ。

 時間が経てば腹は減る。喉は渇く。トイレにも行きたくなる。入浴しないのも気持ちが悪い。ただ生物的な本能に従っているだけで、ずるずると時間は過ぎる……

 確かに、サマラが見ていたら、ぼくを殴りたいだろう。そして、苦笑できる自分に感心した。

 こうして少しずつ、傷は風化していくというのだろうか……

 ***

 割り振られた仕事は、するようになった。といっても、まだ皆に気を遣ってもらっているらしく、一人でできる事務作業や、遠隔で済む監督業務が多かった。

 都市の統合管理システムを通じて指示を送れば、誰かと顔を合わせなくても過ごせる。警備や保守管理の実務は、アンドロイド部隊が問題なくこなせるのだ。

 人間の部下との面談や、他組織との折衝のような、神経を使う対人業務からは外された。以前の仕事量からすれば、三分の一以下だろう。

 気怠い半隠居状態が続き、それに慣れてしまった。紅泉こうせん探春たんしゅんは中央星域と辺境とを行き来して、悪党狩りのハンター稼業に忙しくしている。

 あの二人は、二人でいれば幸せで、無敵なのだ。

 同性の従姉妹同士で人生が完結するというのは、幸福なのか、それとも不幸なのかわからないが……

 季節が幾つも過ぎ、木々は裸になり、曇天に小雪が舞うようになった。違法都市にも四季があるのは、人間が飽きやすいからだ。衣替えをしたり、季節の行事を楽しんだりしないと、退屈すぎるのだろう。

 ぼくもまた、独り暮らしの中で、それなりのリズムを刻んでいた。毎朝、決まった時間に起きて、午前中に仕事を片付け、午後には散歩や運動をし、夜は読書をする。

 その声に気がついたのは、歴史書をめくりながら、ぼんやりと暖炉の火に当たっていた時だった。室内が寒いわけではないが、冬は炎を見るのが好きなのだ。

 外の木枯らしの中に、猫の泣き声のような声が混じる。錯覚かと思っていると、また聞こえる。

 おかしな話だ。庭の端から先は森林なので、鹿や猪や山猫などが迷い込むことはあるが、大抵は警備システムが追い払う。山猫が、仔猫でも生み捨てたのか。

 ぼくは立って、テラスから中庭を見渡した。闇の中、テラスの端に、見慣れない籠のようなものがある。中に、何か動くものが詰まっているようだ。

 血の気が引いた。

 まさか。そんなはずは。

 だが、慌てて駆け寄って確かめても、やはりそれは、生きた赤ん坊だった。ふかふかした緑の毛布に包まれて、涙で濡れた顔を赤くし、か細い泣き声を立てている。

「いったい何なんだ!!」

 ぼくは両手で籠を持ち上げると、急いで室内に運び込んだ。暖炉の前の、一番暖かい場所にそっと置く。いくら布にくるんでおいても、冬の夜ではないか。こんな小さな赤ん坊を戸外に放置するなど、一族の者たちは何を考えている!!

 人の気配と暖かさに安心したのか、泣き声はいったん収まった。赤ん坊は大きな目をきょろきょろさせて、新たな居場所を探るかのようだ。

 他でもない。最長老が新しく作った赤ん坊だろう。

 噂に聞いていた通り、くるくるの赤毛に緑の目をしているし、そもそも一族の者でなければ、警備厳重なこの屋敷の敷地に入れるはずがないのだ。たとえ、アンドロイド兵士が運んできた赤ん坊だとしても。

 しかし、文句をつけるのは後のことで、とにかく温め、ミルクを飲ませるなり、おむつを替えるなり、世話をしなければならないだろう。

 ところが、いったん離れようとした途端、赤ん坊がぐずりだした。最初はひくひくと、しゃくりあげるようだったが、やがて、火がついたようにけたたましい声になり、新しい涙を流し、全身をつっぱらせて反り返る。

 ぼくは背中に火がついたような気分になり、慌てて手を伸ばした。

 眠いのか? 空腹なのか? それともおしめか?

 そっくり返る赤ん坊を籠から取り出すのは、時限爆弾を扱うかのように恐ろしかった。こんなに小さいくせに、むずかる勢いはすごい。下手をしたら、手の中から取り落としそうだ。

 絨毯の上で、前開きの服をそっと脱がせ、まずおしめを確かめる。

 生まれて初めて、女性の局部を明るい光の中で見たことになるのだが、何らかの感慨を覚えるゆとりはなかった。おしめは吸水性だろうから、おしっこだけなら不快感はないはずだ。

 やはり。ミルクしか飲んでいないだろうに、緑色のべとべとしたものが噴出している。

 とっさに浴室に走り、タオルを湯で濡らして戻ってきた。噴出が終わるのを待って、赤ん坊の尻を拭き、別なタオルで下半身を包み直す。

 いや、これでは、ずるずるほどけてくる。上から服を着せるとしても、何かで留めなくては。ピンの類は危ない気がする。たとえ、安全ピンという名前であってもだ。書斎に、粘着テープか何かなかったか? いや、ネクタイを紐代わりにするか? しかし、締めすぎたら危ない?

 悩みながらあれこれ動き、ようやく赤ん坊に服を着せ直して、ほっとした。気がついたら、服の胸元に刺繍で文字が入っている。ダイナと読めた。これが、この子の名前なのか?

   『ブルー・ギャラクシー サマラ編』4章-2に続く

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集