SF小説『ボトルペット』3章 4章
3章 スーリヤ
砂漠の向こうから、砂煙を上げて、何かが来る。また、あいつらだと思って、無駄とは思いながら、反対方向の砂漠に逃げた。オアシスから遠ざかるようにして、砂丘を登り、滑り降り、また昇り、滑り降り……
前にもこうして逃げて、でも、すぐ捕まった。わたしは徒歩だけれど、向こうは駱駝に乗っているから。
でも、今度は、駱駝ではないものが……何か四角い、見たことのないものが追ってくる。それはわたしに追いつくと、止まった。その四角いものの上から、誰かが飛び降りる。
それは、見たことのない人……あのいかつい男たちとは、全然違う人だった。だって、男じゃない。わたしと同じように、ふくらんだ胸をしている。着ているものは、ひらひらした柔らかそうな布だ。
「怖がらせて、ごめんなさいね」
その人は、優しい声を出す。
「あなたはスーリヤでしょう。わたし、あなたを迎えにきたの。可哀想に、もう何年も、こんな所に置き去りにされていたのね」
何が起きているのか、わからない。わたし、夢を見ているのだろうか。
「あなたを苦しめていた男たちは、逮捕されました。もう二度と、あなたに悪さをすることはありません。わたしはね、あなたのような、置き去りにされた子供たちを助ける仕事をしているのよ」
その人の言っていることは、よくわからなかった。でも、その人の乗り物……車というのだそうだ……その車に乗せられて、砂漠をどんどん進んでいくと、前方に緑の並木が見え、その向こうに広がる青いものが見えてきた。
空より濃い、深い青。
そして、その青が、世界の向こう半分を占めている。わたしは息ができないくらい、苦しくなった。
これは、何。
これは、何。
ああ、でも知っている。どこかで知っていた。これが、海。見たこともないのに、なぜわかるのか。
「あなたは初めてね、海を見るのは」
優しい人が言った。
「でも、あなたたちは、深層に汎用の基礎知識を植えられているの。だから、意識さえすれば、理解は早いのよ」
何だろう。急に目が覚めたかのように、色々なことが浮かんでくる。港。船。追ってくるイルカ。喜ぶ観光客。まるで、目の前で見ているかのようだ。これが、わたしの中に眠っていた知識!?
「まず、海辺の町に落ち着きましょう。そこには、あなたと同じような子供たちが集められているの。それからみんなして、海の向こうに行きましょうね」
4章 リュス
朝になると、外に出て畑の世話をしたり、罠に獲物がかかっていないか、森の見回りに行ったりする。
水は、川から汲んでくる。薪は拾って、指し掛け小屋に積み上げておく。ジャガイモと卵でパンケーキを焼き、おじさんが持ってきてくれたジャムを塗って食べる。蜂蜜の巣箱からは、甘い蜜が取れる。川に仕掛けた罠に魚が入っていれば、焼いて食べる。岩塩は、森の中に取れる場所がある。
ここで暮らしていくことに、不自由はなかった。贅沢はできなくても、困ることはない。寒い冬はなく、厳しい暑さもない。ただ、圧倒的に霧の日が多いだけだ。霧が深かったり、小雨が降ったりしている時は、家の中にいて暖炉の炎を見ていればいい……
自分の日記を見返しても、ほとんど意味がなかった。同じような日課の繰り返し。おじさんが来た時だけ、新しい知識が増える。もっとおじさんに勉強を教わりたいが、おじさんはいつも、すぐに引き上げてしまう。ここに来ていることを、人に悟られないように。
背後にそびえる山脈は静かで、戦争の気配などないように思えるが。あの向こうに行ったら、大砲が町を壊しているのだろうか。それにしては、難民が来る様子もない。
もしかしたら、ここは、呪われた土地だと思われているのだろうか……だから母さんは、ここを目指して旅をしてきたのだろうか……でも、おじさんは易々と山を越えてくるように思えるけれど……それは、馬があるからなのだろうか……秘密の抜け道を知っているからなのだろうか……
うたた寝をしていたらしい。はっと気がついて、椅子から立った。何かおかしい。外が明るすぎる。小屋の扉を開いて、前庭に出た。まぶしい。空が晴れている。これまで何年も、たまに少ししか見えなかった青空が、空の大半を占めている。
霧の谷が、こんなに晴れ上がるなんて。
その空のどこかから、バラバラと、豆を板にぶつけるような音がした。空から何か、黒い塊が降りてくる。回転する羽を持つ乗り物。それは、林の向こうに降りたようだ。
びくびくしながら様子を見に行ったら、川べりの野原に何かが居座っている。黒く大きなもの。その何かから、人間が降りてきた。
おじさんではない。知らない男。軍服ではない服を着ている。格子模様のシャツと、紺色のズボン。若くはない。年寄りでもない。おじさんと同じくらいの年齢か。
「やあ。きみがリュスだね」
片手を上げて挨拶し、にこやかに近付いてくる。どうしていいか、わからない。ぼくは母さんと、おじさんしか知らないのだ。
「きみのおじさんは今、病気で入院していてね。わたしは医者仲間だ。彼に頼まれて、きみを迎えに来たんだよ」
突然のことで、頭が混乱する。病気。入院。
「重い病気なんですか」
もし、おじさんまでが死んでしまったら。ぼくは、世界に一人ぼっちだ。
「いやいや、そんなことはない。単なる盲腸炎だ。それよりも、戦争が終わったんだよ。だから、もう隠れていなくていいんだ。わたしと一緒に、あのヘリコプターに乗ろう」
まさか。信じられない。おじさんは、この戦争はずっと続くと言ってた。もしやこの男は、ぼくを兵隊に取るために来たのでは。きっとそうだ。連れていかれたら、もう逃げられない。
「いやです。どこへも行きません。ここがぼくの家ですから」
すると男は、困ったような、悲しそうな顔をする。
「ずっとここに一人きりで、寂しいだろうに」
戦争に行くよりましだ。でも、おじさんがもう、来てくれないのだとしたら。おじさんは、ぼくを隠していた罪で、刑務所に入れられたのかもしれない。
『ボトルペット』5章に続く