恋愛SF『ブルー・ギャラクシー ジュニア編』2章-3
2章-3 アスマン
しかし、頭をさすりながら、何だかひどく懐かしい気分になった。おふくろにもリザードにも、こんな真似をされたことはないのに。
リザードは冷静な書斎派で、俺にはいつも、静かに話をするだけだった。辺境の現状について。組織の運営について。部下たちはみんな、その静けさを恐れていた。リザードが冷静なまま、冷徹な判断を下すのを知っていたからだ。
でも、この女は最初から、ずんずん俺に踏み込んでくる。まるで、そうすることが当然のように。誰に対しても、こうなんだろうか。それとも、俺は特別なんだろうか。
そして、そのリリーに対して、俺はどう名乗るべきか。
本当の名前は、ごく親しい間柄だけで使うものだと、おふくろに言われて育った。おふくろのリナという名も、組織内の一部でしか知られていない。対外的には、別の名前を名乗っている。リリーはある程度、信用していい相手だと思うが、今はまだ、本当の名前は言いたくない。
「俺は、ジュニアでいいよ。あんたたちにとっては、シヴァ・ジュニアなんだろ」
するとリリーは、長い金褐色の髪を後ろに払って言う。
「別にあんたを、シヴァの代わりにしようとは思ってないけどね。あんたはあんたで、一族の役に立ってくれればいい。というより、それ以前に、あんたが何をしたいかによるんだけど。ジュニア、あんた、将来の夢とかあるの?」
俺が将来、何をしたいか? それはまだ、よくわからない。そもそも、俺に選択肢なんて、あるのか?
辺境では、戦って勝ち残る、それしかない。どうやって戦うか、その方法を探ろうと思っていただけだ。
「俺はずっと《フェンリル》の中で育ったんだ。おふくろは、リザードの部下だから。俺としては、組織の中で出世して、いずれはナンバー2になる……つもりだった。これから《フェンリル》に戻れるなら、の話だけど。もしかしたら、独立の方向に行くかもしれない、とも思ってた。リザードのことは尊敬してるが、永遠に部下で満足かと言われたら、そうでもない」
空はもう暮れて、暗い紺碧になっていた。その中に、無数の星が輝き始める。あの星の海のどこかにおふくろがいるのだが、俺がここにいることを知らせる術はない。
やがて、リリーが言う。
「じゃあ、ジュニア、とりあえず、あたしとヴァイオレットの下で修行をしなさい。それが一段落したら、次を考えましょう」
一緒にホテルへ戻りながら、俺は確認した。
「リリー、あんたたちも、俺の父親の居場所を知らないのか?」
「そう。ずうっと捜してはいるんだけど、見つからないの。あたしとしては、きみが何か知らないか、期待していたんだけどね。でもまあ、少なくとも、きみの母親と出会った時には、生きていたんでしょ」
……ろくでもない男だ。せっかく気にかけてくれる一族がいるのに、音信不通のまま、宇宙のどこかをさすらっているなんて、ひねくれすぎではないか。おふくろも決して、いい思い出を持っていないようだし。
「おふくろは、何も教えてくれない。教えたくないみたいだ」
それともまさか、どこかで死んでいるとか、囚われの身になっているとか。
「言いたくない事情があるんでしょうね。別にいいわよ。生きているなら、いつか会えるでしょう」
いつか、俺が一人前の男になったら、どんな男だったのか、おふくろに教えてもらうことができるのだろうか。それとも、親父本人に出会うことができるのだろうか。
余計な期待はしない方がいい、と思った。父親がクズでも、どこかで野垂れ死にしていても、俺は俺で生きていくだけだ。今は、リリーに出会ったことを幸運として、修業していくしかないだろう。
***
夕食のために食堂に降りて、驚いた。リリーは青紫のロングドレスで、ヴァイオレットは淡い金色のドレス。二人とも宝石のネックレスを巻いてイヤリングを下げ、それらが、絞った照明の下できらきらと輝いている。
誰か客でも来るのかと、あたりを見回してしまった。リリーが苦笑して言う。
「ジュニア、あんたの部屋にもディナージャケットがあるから、着替えてきなさい。今度から、夕食は正装でね。それが、一族のしきたりだから」
昨夜は部屋で食べたから、わからなかった。どうやら、旧家みたいな一族らしい。
俺のところでは、おふくろがいつも忙しかったからな。わざわざ夕食のために着替えるなんて、なかった。たまに、リザードに招かれての会食の時だけ、正装したくらいだ。俺がそういう格好をすると、おふくろが涎の垂れそうな顔をするので、閉口したものだった……あんな顔で迫られたら、男は逃げるだろ、そりゃあ。
急いで着替えてきて、夕食の席に着いた。ナギが何体か静かに動いて、給仕をしてくれる。俺に見えない所でも、警護とか雑用とかで、複数のアンドロイドが働いているのだろう。
叔母さんたちは赤や白のワインを飲んだが、俺のグラスに注がれたのはレモン水だった。いずれ成人したら、酒の飲み方も教えてやるという。
「あんたの肉体は、もうアルコールの悪影響を受けないと思うけど、精神の方は、まだ子供だからね。酒を習慣にするのは、もっと後でいい」
とリリーが言う。それは別にいい。リザードからも、早いうちに酒を覚えるのはよくないと言われていたし。
食事の間は、普通の世間話だけだった。中央の何とか議員がどうしたとか、どこの会社が合併したとか、新たな工場を建設したとか。話題は幅広く、あちこちに飛んだ。市民社会で流行りの仮装パーティとか、サバイバル・ゲームとか。
市民社会のことは、よく知らない。中央でヒットした映画は、辺境でも話題になるから見るが、それだけだ。学校とか遊園地とかお祭りとか、特にうらやましいとは思わない。どうせ行けない場所に憧れたって、意味ないだろう?
しかし二人とも、市民社会に詳しいらしい。古株の議員が引退して後継がどうだとか、どこの会社の経営が傾いているとか、学界で話題の新説とか、軍の人事がどうとか、見てきたように語る。
……もしかしたら、辺境で独立して生きるためには、中央のことにも詳しくないといけないのかもしれない。確かにリザードからは、教養が大事だと言われてきたし。知識が足りないと、判断に困る局面がしばしばあるという。それならこの二人は、その面でも見習うべき存在なのかもしれない。
もっと個人的な会話になったのは、デザートが出てからだ。
「ジュニア、修行が一段落したら帰してやってもいいけど、《フェンリル》は違法組織の一つに過ぎないよ。有力組織ではあるけどね。もっと広い世界を見たくないの?」
とリリーが言う。
「世界なら、見てきたよ。リザードのお供で、あちこち回った」
開発途中の地球型惑星とか。建設中の小惑星工場とか。組み立て中の戦闘艦とか。
「でも、きみが見たのは辺境だけでしょう」
「当たり前だろ。中央には入れないんだから」
「なぜ当たり前なの?」
俺は最初、リリーが馬鹿なのかと思った。人類の文明は何百年も前に二つに分裂して、それぞれ独自に繁栄している。子供でも知っていることだ。
人権を守る市民社会。何でもありの辺境。
人体改造を認めない市民社会。自分で自分を進化させていく辺境。
奴隷制度を認めない市民社会。バイオロイドを製造して使い捨てる辺境。
二つの世界は相容れない。市民社会は辺境を軽蔑し、辺境は市民社会を汚染する。しかしリリーは、その現状に疑問を持てと言いたいらしい。なぜ、文明は分裂したままなのか。融和は不可能なのか。
――そんな難しい話、夕食時にするのかよ。
しかし、何も考えていない子供だと思われるのは悔しいから、精一杯の返答をした。
「……例外がいるのは知ってる。〝リリス〟だろ」
悪党狩りのハンター。辺境生まれの強化体なのに、なぜか市民社会の側に付いた。彼女たちの活躍を元にして、しょっちゅう新作の映画が作られるから、厭でも知ることになる。
女のペアとして描かれることが多いが、映画によっては女三人組のこともある。それに、物静かなアンドロイド美青年のお供が付いている。そう、そこにいるナギのような奴……
「辺境生まれなのに、連邦政府に雇われてハンターをやってるなんて、どこの物好きか知らないけど。リザードが、何回も仕事を邪魔されたことがあるって……」
俺は危うく、デミタスのカップを取り落とすところだった。
女たちのコード名は、リリーとヴァイオレット。リリーは長身の美女で、戦闘の天才だという。パートナーのヴァイオレットは、小柄で可憐に見えるが、冷静な作戦参謀だとか。
俺は古風なランプの明かりの下で、まじまじと目の前の二人を見た。宝石のイヤリングをきらめかせ、和やかにデザートを楽しんでいる二人組を。
「あの……?」
「やっと、わかったらしい」
リリーがリキュールのグラスを持ったまま、微笑んでヴァイオレットに言う。
「相当、鈍いわね」
と冷ややかなヴァイオレット。むかっときた。仕方ないだろ。〝リリス〟の実像は不明で、映画は脚色されまくりなんだから。映画じゃ、ヴァイオレット、あんたは、毒物を使うプロだって役回りなんだぜ。敵の拷問もしてみせるしな。
「本当に、あんたたちが〝リリス〟なのか!?」
実際は、どうなんだろう。映画より怖いなんてこと、あるんだろうか?
「サインが欲しい?」
と、自慢げににやつくリリー。くそ、力が抜けた。だったら、俺を捕まえられても不思議はない。リザードだって、認めている。辺境で一番戦闘経験が豊富なのは、〝リリス〟だって。
「それじゃ、俺の親父も、あんたたちと同じ側なのか……市民社会の味方?」
そうだったら、ちょっとは親父を尊敬する……かもしれない。
「それはわからない。シヴァは若いうち一族から出ていって、それきりだから」
とリリーは言う。やはり、あてになりそうもない奴だ。甘い期待なんかしたら、後で幻滅するだけだろう。
「でも、生きているなら、あたしたちの味方になってくれると思うよ。シヴァはね、子供の頃、ヴァイオレットが好きだったんだ」
この冷たい、気取ったフランス人形みたいな女が!?
「どこがよくて、好きになったんだ!?」
するとリリーが青い目でこちらを睨みつけたので、俺は慌てて背筋を伸ばした。ほんの一瞬だけだが、冷たいレーザーを照射されたかのようで、リリーの怖さを垣間見たと思う。呑気そうな態度は……ただの上っ面だ。
「失礼しました、お師匠さま。取り消します」
おかげで、拳固を受けずに済んだらしい。
「よろしい。ヴァイオレットも、あんたのお師匠さまだからね。勉強を教わるんだから、いい子にするんだよ」
よくわかった。どちらの女も、怒らせたら怖いということが。ふざけているように見えても、あるいは澄ましているように見えても、戦闘を繰り返し、悪党を殺しまくってきたことは同じなのだ。
しかし、それにしても、ヴァイオレットは食事の間中、ほとんど俺に話しかけてこなかったが。あからさまに、俺を嫌っていないか?
俺の疑問が顔に出たのか、リリーが苦笑して言う。
「子供の頃のシヴァは、よくヴァイオレットに意地悪してたからね。虫や蛙を投げるとか、ドレスに泥団子をぶつけるとか。まあ、男の子にはよくあることでね。好きな女の子に、振り向いて欲しかったらしい」
くそ。なんて馬鹿な子供だったんだ、俺の親父は。好きなら好きで、もっと違う態度があるだろう。花を摘んでやるとか、雨の時に上着をかけてやるとか。
「俺は、違うよ。わざわざ人に、泥団子をぶつけたりはしない」
そこで、ヴァイオレットが冷ややかに言う。
「ただ、繁華街で暴れ回るだけよね」
ほら、やっぱりだ。俺を嫌ってる。
リリーが笑って言った。
「それは、あたしも散々やったことだよ。力試しをしたいんだ。ジュニアにはこれから、あたしが正しい力の使い方を教える。そうすればきっと、役立つ男になるはずだ」
ほっとした。嬉しかった。この人は、俺に期待してくれている。すごいじゃないか。天下の英雄が、俺のために時間を割いてくれるんだ。
「そう願うわ。さもないと、わたしたちが責任をとって、この子を始末することになるでしょうから」
俺が凍りついているうち、ヴァイオレットは優雅に席を立った。
「ごちそうさま。おやすみなさい。また明日ね」
『ブルー・ギャラクシー ジュニア編』2章-4に続く
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