恋愛SF『星の降る島』2章
2章 マーク
俺が目覚めたのは、知らない部屋だった。それでも、病室らしいとはわかる。白でまとめた簡素な内装だったし、ベッドの周囲に、モニター画面の付いた医療機器が並んでいたからだ。
画面には、何かのグラフや数値が表示されている。数字の幾つかは、俺の血圧や脈拍だとわかった。まるで、集中治療室だ。外が見える窓はなく、白い壁に白いドアがあるだけ。
俺は健康体なのに、いったいなぜ、こんな部屋に寝かされている?
実際には、目を開ける前に、左手でベッドの中を探っていた。そこに、レアナが寝ていることを期待して。
しかし、左手は温かな女の腰ではなく、ひんやりするシーツをこすっただけだった。俺はレアナと二人で、貴重なバカンスを過ごしているはずなのに。
彼女が買って、手入れした別荘で合流したのだ。取材の日程を調整し、何とか一週間の休暇を確保して。
なのに、なぜ病院にいる。まさか、急性アルコール中毒で運ばれたとか? ばかな。いくらレアナと一緒の休暇旅行でも、そんなに馬鹿飲みするはずがない。飲み過ぎになる前に、レアナに水をぶっかけられるのが関の山だ。
では、ドライブ中に衝突事故でも起こして、記憶が飛んでいるとか? あるいは、バーでどこかの馬鹿と喧嘩して、ぶん殴られた?
それにしては、どこも痛くない。多少、ぎくしゃくとして強張った感じはするが。ちょうど、風邪で何日も寝込んだ後のように。
ぐるりと寝返りを打って、はっとした。壁際の椅子に、のっぺりとしたカマキリ顔の、銀色のロボットが座っている。まるで、置物のように。
それ自体は珍しくも何ともない、ただの汎用ロボットだ。ここ四、五年の間に、どこのオフィスでも工場でも病院でも、雑用は大抵、この手のロボットが行うようになってきた。あちこちの軍隊でも、便利なロボット兵士として採用されている。そいつは座ったまま、男声寄りの合成音声で声をかけてきた。
「おはようございます、マーク」
この声は、よく知っている。レアナが育てた人工知能、レオネのものだ。音声は、中性的な無機質さを避けて、男性寄りに設定されているが、レオネに性別はない。性は必要ないからだと、レアナは言っていた。
もう十年も前、初めて彼女の研究室を取材で訪れた時から、レオネはこの声で応答していた。
はい、レアナ。いいえ、マーク。
ただし、その後にレアナが工場で大量生産するようになったロボットたちは、それぞれ顧客の要求に合う音声でしゃべる。女声寄りの合成音声を使う施設も多い。この最初期の合成音声を使うのは、世界各地の工場群を統括する人工知能レオネの本体のみ。
「レオネ……レアナの代理か」
「はい、マーク」
このロボットそのものは、これまでのロボットより洗練されているようなので、たぶん新型なのだろう。現在では、レオネが管理する無人工場が世界のあちこちにあり、毎月のように新製品を送り出している。家事ロボット、介護ロボット、作業ロボット、探査ロボット。
レアナは口外しないが、スパイロボットや特殊戦闘ロボットの製造も請け負っているらしい。おかげで、レアナは大富豪だ。大学教授の地位を捨てないまま、世界有数のロボット企業のオーナー社長になっている。
フリーのジャーナリストなどには、本来、釣り合わない超大物。
それでも彼女は、俺を愛してくれている。なぜだか、そうなった。そのことを、世界七不思議の一つに数えてもいい。
嘘や冗談ではない証拠に、俺は彼女の両親にも紹介してもらった。俺も彼女を、兄夫婦に紹介した。そして、驚倒された。あまりにも、格差の大きなカップルだと。
それでも、レアナは笑って言ってくれた。知性と経済力は自分が十分持っているから、男性にそれを求める必要がないのだと。
『わたしはただ、あなたの単純な性格が好きなだけ』
彼女はいつも、俺を石器時代の男のように言って笑う。悪かったな、単純で。
『ううん、それでいいのよ。単純なのは偉大なことだわ』
そして、俺の鼻の頭にキスしてくれる。
『今の世の中、単純でいられる男は希少よ』
とにかく、忙しい彼女が俺なんかのために、そんな嘘や芝居をする必要はない。俺は、俺が彼女を愛するのと同じくらい、愛されている。
ただ、どちらも忙しすぎて、結婚には至っていない。何しろ、会えるのは年に五、六回が精々というありさま。俺は調査や取材で世界を飛び回っているし、彼女は研究と事業に忙殺されている……
「ここはどこだ? レアナはどうしてる?」
尋ねながらベッドの上に起き上がると、自分が裸であることがわかった。女性看護師もしくは女性医師が来る前に、着るものをもらわないと困る。それとも医療のプロは、男の裸くらいでは困りもしないか?
カマキリ顔のロボットを経由して、レオネは淡々と説明した。
「ここは病院です。警備の厳重な特別病棟ですので、患者はあなた一人です」
俺自身は庶民にすぎないが、レアナとの関係のせいで、警護される必要が生じている。俺が犯罪集団などに拉致されたら、レアナが脅迫されることになるからだ。俺たちの関係は、特に宣伝しているわけではないが、知っている者は知っている。
「あなたは交通事故に遭って頭を打ち、意識不明のまま、しばらく眠っていたのです。わずかですが、脳内出血がありました」
そうか、やはり。
「けれど現在、治療は完了し、負傷部位はほとんど回復しています。記憶の混乱があっても、それは一時的なものです。わたしがお世話しますので、どうかご心配なく」
レオネがそう言うのなら、もちろん心配はない。レアナには怪我はなかったと聞いて、更に安心した。
「レアナが車から降りた後、車が他の車に追突されたのです」
「そうか、貰い事故か」
「向こうの怪我も軽症でしたし、仕事関係の連絡、保険などの手続きも全て済んでいます。ですから、あなたが回復すれば、それで解決です」
「すると、何も焦ることはないわけだ」
「そうです。今日、明日は、ゆっくりリハビリして下さい」
「わかった……世話をかけたな」
「どういたしまして。あなたは、レアナの大切な人ですから」
つい、苦笑が出る。特別な存在に特別扱いされるというのは、妙なものだ。俺自身は、ただの一般人なのに。
***
レアナが研究室でレオネを育てるさまを、俺は何年もかけて、詳しく取材してきた。レアナは無垢の実験体に言葉を教え、社会常識を教え、自走式の架台に載せて外に連れ出し、交換式のアームをつけて犬や猫と遊ばせ、学生たちと対話させて、少しずつ育てていったのだ。まるで、人間の赤ん坊を育てるように。
むろん、初めての赤ん坊ではない。レアナは人工の知性を育てようとして、何度も失敗していた。レオネは過去の失敗を糧にした、貴重な成功例なのだ。たぶん、育成の途中で、幸運な偶然が幾度も働いたのだろう。
そうして現在、レオネは世界最高の……類のない人工知能として、広く認められている。人間の奴隷ではない。自分で学び、成長する、意志を持つ知性体なのだ。
世界中の大学や企業が意志を持つ人工知能を誕生させようと努力しているが、これまでのところ、どんな人工知能も、レオネには遠く及ばない。レオネの中核をなす部分について、設計者であるレアナは、厳重に機密扱いしているからだ。
レオネだけがなぜ奇跡を成し遂げたのか、たぶん誰にもわからない。ただ、どこかの時点でレオネは〝自意識〟を得た。もはや、ただの機械ではない。いわば、人類の友。
もちろん当初は恐れられ、警戒されたが、レオネ自身が人類の信頼を得る努力をしてきた。月や火星の開発が本格化した時には、レオネは大きな力になってくれるだろう。
俺はバスローブをもらって付属の浴室に行き、そこで熱いシャワーを浴び、髪をごしごし洗い、頭をすっきりさせた。伸びていた髭も剃り、用意されていた服を着る。
全身、どこにも怪我などない。身動きしているうちに、手足の強張りもほぐれてきた。結局、たいした事故ではなかったのだろう。
浴室を出ると、待っていたロボットに……レオネの端末に尋ねた。
「レアナは仕事か? 俺が目覚めたことは、もう連絡したんだろ?」
彼女は忙しい。大学と会社を往復しながら、合衆国大統領の科学顧問も務めているのだ。俺などに付き添っていられないのは、当然だ。しかし、暇ができれば、連絡はくれるだろう。
「もちろん、彼女は何もかも承知しています。まず、お食事を」
通路に出るドアを通って、別室に案内された。食堂とサロンがつながった、ホテルのようなしつらえの空間だったが、この部屋にも窓はなかった。地階だからだそうだ。ただ、壁一面に山や海の風景映像が出されているので、閉塞感はない。
「最初はまず、胃を慣らして下さい」
ということで、温かいコンソメスープをもらった。胃に染み渡る旨さだ。おかげで血の巡りが良くなったらしく、ゆっくりと食欲が湧いてくる。それでも、次の料理が出るまで、しばらく待たされた。
「何日も点滴だけでしたから、急に食べると胃腸がびっくりします。お待ちの間に、ニュースをどうぞ」
風景映像の一部に、各国のニュースが出た。世界はいつもの通りだ。選挙、列車事故、野球の試合、新しくオープンした水族館。いい加減、腹がぐうぐう鳴る頃に、もう少し濃いポタージュが出てきた。
「ゆっくり、少しずつ召し上がって下さい」
とレオネがしつこく注意してくる。そのポタージュの後も、優に三十分は待たされた気がする。それからやっと、固形物が登場した。バターとメイプルシロップを添えたパンケーキ。厚いベーコン、野菜を添えたオムレツ、濃いコーヒー、果物のコンポート。
食べ終わる頃には、すっかり力が湧いていた。さあ、行動しないと。
「俺の端末を返してくれ。早く復帰しないとな」
いったい、何日無駄にしたことか。依頼された記事は、締め切りに間に合わせないと。それに、レアナにもメールを送りたい。だが、レオネは、俺に連絡手段を与えてくれなかった。
「マーク、あなたにはしばらく、リハビリ期間が必要だと申し上げました。向こう数日は、誰に対しても連絡禁止です」
ああ!?
「だが、もう元気になってる。メールくらい、構わないだろ」
「いいえ。脳の損傷は、そんなに簡単に考えていいものではありません。血圧が上がるようなことは、一切認められません。関係者への連絡、その他はわたしがしていますから、外界のことはひとまず置いて、リハビリに専念して下さい」
既に元気なのに、何のリハビリをしろと言うんだ。
「もうどこも何ともないし、頭もはっきりしてる。マラソン大会に出てもいいくらいだ」
「自分でそう感じているとしても、万全ではありません。事故の記憶は、まだ戻らないでしょう?」
確かに。いつ、どこで、どんな事故に遭ったのか、まるで覚えてない。追突事故だと言われても、他人事のようだ。だが、そんなことは、仕事に戻る邪魔にはならないだろうに。
「俺が、誰かに怪我をさせたわけじゃないだろう? 追突してきた相手も、軽症だと言ったよな?」
「ええ、入院が必要だったのは、あなただけです」
「なら問題ない。担当の医者はどこだ? 診察してもらって、退院の許可をもらう」
「焦らないで下さい。あなたは何日も意識不明だったのですから、もう数日は、ゆっくり休養しなければいけません」
レオネは頑固に言い張る。いや、おそらく、レアナから受けた指示を、忠実に守ろうとしているだけなのだ。
『マークは目覚めたら、すぐに飛び出していこうとするでしょうから、しばらく強制的に入院させておいて』
とでも、言われているのに違いない。
「わたしがお相手しますから、チェスでもいたしましょう。それとも、将棋がいいですか」
子供をあやすように、レオネは言う。
「何でしたら、賭けをしてもいいですよ。カメラでも自転車でもヨットでも、何かあなたの好きな品物を賭けましょう。さもなければ、映画でも音楽でも、好きな娯楽を注文して下さい。ただし、血圧が上がるような映画はだめです。とにかく今日のところは、この部屋でおとなしくしていて下さい」
やはり、レアナから命じられているのだ。自分がじかに医者と話して退院を認めるまで、俺をうまく世話して、閉じ込めておけと。
まあ、仕方ないかもしれない。前に一度、南アフリカの紛争地帯に取材に行った時、手違いで外界との連絡手段を失ってしまい、心配したレアナが、救出のための傭兵部隊を送り込んできたことがある。あの時は強引に連れ戻され、無茶はするなと、ひどく怒られた。
『マーク、あなたは自分の運の強さを、あてにしすぎているのよ!! 五日も音沙汰がなくて、流れ弾に当たったか、地雷に吹き飛ばされたか、どちらかの陣営に誘拐されたか、生きた心地がしなかったわ!!』
今度もきっと、俺の貰い事故のせいで、神経過敏になっているのだ。やむを得ない。数日くらいは、おとなしくしていよう。そうすれば、いずれはレアナが連絡してきてくれるだろうから。
『星の降る島』3章に続く
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?