恋愛SF『ブルー・ギャラクシー ジュニア編』3章-2
3章-2 紅泉
そうやって離れ小島で三か月ほど過ごしてから、あたしたちは中央に戻った。
いや、本当は辺境が故郷なのだが、もう長いこと市民社会で過ごしているので、すっかり中央星域での暮らしに馴染んでしまっている。
あたしたちはジュニアを同行し、司法局のハンター管理課に頼んで、彼の市民登録をしてもらった。仮の名前で架空の経歴をでっち上げ、市民社会で自由に動けるようにしてもらったのだ。特例だが、〝リリス〟の見習いということにしたので、それが通った。
「だからあんたには、仕事を手伝ってもらうよ」
と言ったら、ジュニアはあっさり承知した。あたしたちと暮らすようになってから、市民社会を知りたくなってきたそうだ。映画やニュースで見るだけでなく、自分で実際に、市民社会を歩いてみたいと。
司法局に頼まれた潜入捜査を一つ片付けると(資金力のある私立病院で、違法な不老処置の生体実験を行っていたのだ。気持ちはわかるが、それをしたかったら、まず法律改正から始めなければならない)、あたしはジュニアに、グリフィンの懸賞金リストに載せられた女性政治家、ライサ・レイン議員の警護役を命じた。
「えっ、俺が一人でやるのか!? 師匠の補佐じゃなくて!?」
ジュニアも最初は驚き、戸惑ったが、
「あんた、いつまでも、使い走りで満足なの?」
と冷たく言ったら、腹をくくったようだ。ジュニアには潜入捜査の時のバックアップをさせたので、司法局との連携という基本動作は、一応、身についているはず。あとは、実地で鍛えるのみ。
むろん将来的には、ハンターを仕事に選ばなくてもいいのだが(それどころか、もっとましな仕事を探すべきだが)、世間知らずの坊やには、これもまた、いい経験になるはずだ。
最高議会の一員であるレイン議員には、これまで通常の護衛チームが付いていたのだが、先月、その警備をかいくぐった刺客がいて、危機一髪の危ない目に遭ったばかり。そこで司法局としては、しばらく警備を強化することになったのだ。
もちろん〝リリス〟に依頼された仕事だが、あたしたちが仕事の一部を弟子に任せても(あたしたちが監督する態勢でいれば)、司法局に文句を付けられるいわれはない。文句を言ってくるようなら、任務そのものを返上するだけだ。あたしと探春は、少し離れてジュニアの仕事ぶりを見守ることにする。
「紅泉、男の子に女性の警護は無理よ」
と探春は反対したが、そんなことはない。シヴァは女扱いが弱点だった。この子は、そういう弱点を持たない方がいい。幸い、母親に甘やかされて育った坊やだ。どうしたら年上の女性が喜ぶか、怒るか、ちゃんと心得ている。
「いいこと。仕事なんだから、あんたの感情は引っ込めておきなさい。二十四時間、ひたすら番犬に徹すること」
とジュニアに厳しく言い渡した。その上で、警護対象のレイン議員には、こう話した。
「男だと思わなくていいです。あなたの犬。ただの番犬。だから、着替えの時でも、お風呂の時でも、部屋の隅に置いておいて大丈夫です。眠る時も、ベッドの足元で転がしておいて大丈夫。殺しても死なないくらい頑丈だから、休憩も休日も要りません。注意散漫になっていたら、水をぶっかけても、蹴り飛ばしても結構です」
横に立って聞いていたジュニアは、不満げな仏頂面だったが、散々、躰に教え込んだので、師匠に逆らわないという覚悟はもうできている。黙って議員に頭を下げた。よろしい。
「まさか、ベッドの足元で寝かせるなんて……いくら、あなた方の弟子でも」
と品格ある女性議員はためらう。黒髪をきちんと結い上げ、背筋のぴんと伸びた、五十代のベテランだ。違法組織とつるむ企業を発見しやすいよう、法改正をしようとして何年も活動している。先鋭的ではないが、着実に前進するタイプなので、貴重な存在だ。
「もちろん、衝立てくらいは置いてもいいですよ。外出先でトイレに入る時でも、ドアのすぐ外で待たせて下さい。何か失敗したら、頭を叩いて躾けてくれて構いません」
彼女は不安げにジュニアを見た。図体は一人前で、地味なスーツを着せてはいるが、顔はまだ幼い。表向きは、飛び級で大学を卒業した若手捜査官という触れ込みである。
「ミス・リリー、あなたが護衛して下さるわけにはいかないの?」
その要望はもっともだが、あらゆる任務にあたしと探春が当たれるわけではない。実際、こちらには、すぐ次の仕事が回ってくるはずだ。司法局はほとんどいつでも、厄介な案件を抱えている。
「あたしたちも、弟子を育てなければならないんです。いつか、あたしたちが死んだ時、あるいは引退した時、次の世代の準備ができていないと困る。どうか、新米を育てるのに協力して下さい」
それで、レイン議員は納得してくれた。さすが、懸賞金リストに載る人物だけのことはある。
「じゃあ、頼んだよ」
あたしは口を堅く結んだジュニアの肩を叩き、探春と共に、レイン議員のオフィスを離れた。これから毎晩、ジュニアの報告を受けることになる。もしも彼のミスで議員の命が失われたら……あたしたちの責任というわけだ。
「可愛い弟子と離れて、寂しいでしょう」
探春が苦い口調で言った。それはそうだが、ジュニアは小さな子供ではないのだから、あたしがずっと連れ回す必要はない。
「本人のためだよ」
自分一人になって、真剣に考えればいいのだ。この宇宙の中での、自分の立ち位置を。進むべき方向を。
辺境の宇宙を支配する〝連合〟の最高幹部会は、市民社会の弱体化を図るため、有力議員や軍人や科学者など、各界の重要人物に懸賞金を懸けている。その懸賞金制度の統括者はグリフィンという名で知られているが、そういう特定の人物が存在するのか、単なる持ち回りの役職名なのか、依然としてわからない。
ただ、これまであたしたちは、そのグリフィンにそそのかされた暗殺者やテロリストと、しばしばぶつかってきた。ジュニアもまた、そういう連中と戦う中で、自分を鍛えていくだろう。
***
ジュニアはそれから毎日、付ききりでライサ・レインの護衛役を務めた。出会う人間を全て警戒し、常に議員の盾となる位置にいる。彼女の口に入る食べ物は、自分で検査するか、毒味するかする。
議会にも、政財界のパーティにも、視察旅行にも付き添う。オフィスでも、出先でも、休日でも、休みなく警護を務める。毎晩、あたしたちに報告を入れる。
使い走りとして、ナギを二体付けておいたから、それでまず不自由はないはずだ。
もちろん、通常の護衛チームも、その外側に付いている。議員の行く先は二重、三重に調査され、警戒される。遠距離からの狙撃や、爆弾、毒ガスなどに対処することは、彼らの領分だ。
彼らの警備網を突破する刺客がいても、最後にジュニアが仕留めればいい。彼の戦闘センスは文句ない。小石一つ、テーブルナイフ一本で、大抵の敵は止められる。周囲の市民に巻き添えを出さないように配慮できたら、なおいい。
まあ、それはもっと経験を積んでいくうちに、注意できるようになっていくだろう。
そういう日々の中、レイン議員はとある大学に呼ばれて、講演会を行った。ジュニアは初めて大学のキャンパスを歩き、学生たちの楽しそうな様子を眺め、その活気に感動したらしい。夜になってあたしに報告してきてから、ぼそりと言った。
「俺、いつか、大学に行けないかな」
「へえ?」
「少しでいいんだ。数か月とか」
「おやおや、ずいぶん遠慮深いこと」
通話画面越しに、あたしはからかった。
「可愛い女の子でもいたかな?」
「そんなんじゃない」
ジュニアはぶすっとしているが、いいことだ。何か、したいことができたのなら。
「いいよ。この仕事が終わったら、好きな大学に通えるように手配してあげる。何年いてもいいよ。それも修行だからね」
司法局も、厭とは言うまい。むしろ、貴重な戦力と考えるはず。
「本当か!?」
浅黒い顔が、はっきりと明るくなった。そこは、シヴァよりずっと素直だ。母親に愛されて育ったからだろう。
「あんたにわざわざ、嘘なんかつかないよ。で、何を勉強したいの?」
「う、まだわからない。これから考える。でも、大学に入りたいんだ。学生になりたい」
「まあ、専攻は途中で何度変更してもいいからね」
そこで、あたしは彼に約束させた。大学では、辺境生まれの強化体だと知られないように振る舞うこと。全力疾走はしない。塀を飛び越すほど高くは跳ばない。三階の窓から飛び降りない。素手で石を割らない。三人前食べることは、まあ、仕方ない。
「努力するけど、もし、知られたら?」
「あんたが信頼できる友達数人になら、知られてもいい。尊敬する先輩とか、先生とかでもいい。友達に秘密を守ってもらうのも、あんたの力量だからね。でも、噂になるようだったら、逃げるしかなくなる。同じ大学に長くいたいのなら、用心すること」
ジュニアは真剣な顔で頷いた。この子にとって一番いい勉強は、友達を作ることだ。恋をして、失恋するのもいい。辺境ではできない経験をしてくれたら、それが、あたしたちにできる最上の贈り物ということになる。
「ここまではしっかり務めてるようだから、上出来だ。この調子で頼むよ」
と褒めてから通話を終えた。近くにいた探春は、複雑な顔をしている。
「確かにここまでは、よくやっているわ」
「少しは見直した?」
と笑いかけると、真珠のイヤリングを揺らして、つんとしてみせる。
「元々、優秀な子だとは思っているわ。シヴァの遺伝子は、お姉さまの設計ですもの。ただ、どこまで続くか、わからなかっただけ。ちやほやされて育った男の子に、たいした忍耐力があるとは思えないもの」
探春としては、かなりの高評価だ。
「忍耐できるかどうかは、目標次第だね。あの子は何か、これっていう目標が欲しいんだよ。あれだけの頭脳と体力があったら、何でもできるもの。それを無駄にするより、何か、ましな目標を見つけた方がいい。違法組織で幹部になるより、もっと面白いこと……世界のためになるような」
「正義の味方?」
あたしは笑ってしまう。
「それは望まないよ」
それがましな生き方かどうか、わからない。もっと賢い生き方が、他にあるだろう。
でも、邪悪に立ち向かうということは、誰かがやらなければならないことだ。無駄でも戦う。あきらめない。個人はいずれ死ぬが、人類はもっと長く続くのだから。
あたしたちが戦う姿を、下の世代が見てくれたら、きっと何か感じてくれるだろう。
「あの子、あなたを尊敬しているわ。このまま〝リリス〟の仲間になりたいと言うかもしれない」
「そうはならないよ。大学できっと、何か見つける」
彼がいずれ、自分で母親に告げればいいのだ。俺は、自分で自分の道を選ぶと。
『ブルー・ギャラクシー ジュニア編』4章に続く
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