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恋愛SF『ブルー・ギャラクシー 泉編』9章-2 10章-1

9章-2 ミカエル

 そもそも麗香れいかさんにどんな構想があるのか、ぼくにはまだわからない。ぼくのような超越体の弟子を育て、旧人類の世話をさせておき、いずれは全人類を超越化の道へ案内させようとするのか。

 それが、人類の幸福なのか。

 それとも、気に入った者だけを残して、人類を刈り込もうとしているのか。そこから、新たな理想郷を築こうとしているのか。

 今の人類が、進化の失敗作だと思っているのか、あるいは、これでいいと思っているのか。

 麗香さんがどちらへ向かおうと、ぼくには止められないが、それがリリーさんを怒らせるような方向だったら……いや、そんなことにはならないと思いたい。リリーさんこそ、麗香さんの自慢の作品なのだから。

 ぼくが麗香さんを信頼するとしたら、それは、リリーさんという個性をこの世に送り出した人だから、だ。まさか、リリーさんまで使い捨てるつもりではないだろう。

 そんなことになったら……ぼくはどうする!? 敵わないとわかっていて、麗香さんに逆らうのか!? それとも人類社会に見切りをつけて、他の銀河へ逃げ出すのか!?

「リリーさま、お夕食のご希望を伺いたいのですが」

 セイラに呼ばれて、リリーさんは気軽に立ち、厨房についていった。その間、庭を眺められる和室に残ったヴァイオレットさんは、ぼくに白い顔を向けて言う。

「わたし、あなたには謝らないわよ」

 そう口にするだけ、敵意は和らいでいる。ぼくが年に一度か二度の逢瀬だけで我慢していることを、それなりに評価してくれているからだ。

 ぼくも、うっすら微笑んで言う。

「あなたに謝ってもらう必要は、ありません。ぼくがリリーさんを愛することは、誰にも止められませんから」

 リリーさんを害する者がいれば、ぼくが間に合うように発見して、対処する。あえて攻撃させてから潰すか、未然に潰すかは状況次第。

 リリーさんが市民社会の英雄でいられるように、時々は危険が降りかかった方がいい。それを華々しく撃退すれば、世間は歓喜する。だが、命を失うような本当の危険は防ぐ。それが、麗香さんに与えられたぼくの使命。

 今ではもう、ただの人間に戻りたいとは思わない。人間が進化の階梯を遡り、海の魚に戻りたいと思わないのと同じこと。

 たった一つの肉体に依存して生きるなど、あまりにも運任せで恐ろしい。

 麗香さんに選ばれて、幸運だったのだ。

 このまま数百年、数千年が過ぎれば、ぼくも超越体として生き続けることに疲れてしまい、永眠したいと願うかもしれないが、まだ当面はこのままでいい。

 人類社会を裏面から操ることは、知的なパズルのようなものだ。いつか、人類そのものに関心を失うまでは……

10章-1 ダイナ

 どうしよう。

 最近のあたしは、シレール兄さまが怖い。

 姿が見えないと寂しくて、そわそわする。夕方になって兄さまが帰宅してくれると、とても嬉しいのに、近付いてこられると、全身の産毛が逆立つようで、飛び上がって逃げてしまいたくなる。

 食事だけは何とか一緒にできるけれど、その後、ダンスをしようと誘われると、忙しいとか、疲れているとか言い訳して、三回に一回は、自分の部屋に逃げ込んでしまう。

 嬉しいのに、あまり嬉しすぎて、疲れてしまう。

 いい加減、変に思われるわ。

 いいえ、とっくに変なんだけど。

 あたしの部屋のクローゼットには、兄さまから贈られたドレスや宝石が溜まっていく。白や金色やクリーム色、エメラルド色やミッドナイトブルーや漆黒のドレス。真珠のネックレス、翡翠のイヤリング。あたしには勿体ないくらい、美しい品々。

 それらを見る都度、ため息が出る。すぐ近くにある泉の部屋には、もっとたくさん、贈り物が積み上げられているはずなのよ。黒髪の美人に相応しい品が。

 比較しちゃいけない。向こうは恋人、あたしは妹。

 兄さまはただ、忙しい仕事の合間に、平和な家庭生活を楽しんでいるだけ。

 あたしが変に意識しすぎて、勝手に煮詰まっているのよ。

 考えてみたら、あたし、男性とまともに付き合ったことがない。これまで、仕事を覚えるのに懸命で、そんな余裕はなかった。それに、特に惹かれる男性もいなかった。仕事で接触した誰かに口説かれても、平気で断っていた。唯一、ボーイフレンドと呼べそうなルディとは、何千光年も離れたままで、それを特に寂しいとも思っていなかった。

 いつも、内心で、シレール兄さまと比べていたからだ。

 兄さまの方が教養がある。視野が広い。冷静で頼もしい。料理も上手。

 あたしの男性の基準というものが、兄さまなのだ。泉もファザコンだったらしいけど、あたしもそうだということね。

 問題は、シレール兄さまが血のつながった父親や兄ではなくて、もしかしたら、恋愛対象になりうること。

 だから、全身の皮膚が敏感になってしまって、兄さまがたとえお休みのキスをしようとしただけでも、硬直してしまう。それに……もし、もしも、額や頬以外にキスされたらと想像しただけで、苦しくなってしまう。考えまいとすると、余計、変な想像をしてしまう。

 そんなこと、起こるはずがないのに。兄さまの手が、あたしの肌を撫で回すなんて。兄さまがあたしの上に覆いかぶさって、全身にキスを降らせてくる、なんて。

 なのに、いったん考えてしまったら、癖になってしまったみたい。兄さまといる時でも、その不埒な空想が浮かんできて、慌てて視線をそらせたり、脈絡のない話を始めて兄さまを呆れさせたり。

 あたしがこんな、お馬鹿な娘だなんて、兄さまが知ったら、きっと呆れるわ。いえ、まさか、見透かされていたり、しないわよね? そんなことだったら、いっそ消えてしまいたい。

「あたし、きっと欲求不満なのね。だから、頭に血が昇って、ろくでもないことばかり考えるんだわ。まともな交際相手がいないからよ」

 ミカエルに通話して訴えたら、栗色の髪の美少年に、軽く笑われた。

「何も変じゃありません。生きている限り、心は動きます。ぼくもそうですよ。リリーさんの姿を見るだけで、平常心がなくなります。胸はどきどき、頭は真っ白。埒もない空想をしてしまって、自分で落ち込んだりもします」

 へええ。そうなのかしら。それとも、あたしを慰めるために、わざと言ってくれているのか。

「ミカエルって、いつも冷静に見えるけど……」

「そりゃ、努力して平静なふりをしますからね。ヴァイオレットさんに、いま以上、憎まれたくないですし」

 そうよね。ミカエルは姉さまたちの平和のために、身を引いたんだもの。大変な自己犠牲だわ。

「それ、辛いでしょ……わかるわ。あたしも、紅泉こうせん姉さまに甘えすぎると、探春たんしゅん姉さまに怖い目で見られたもの。探春姉さまって、ちょっと病的というか……紅泉姉さまに依存している感じがするわよね」

 無理もないけれど。身近にあんな闘士がいたら、並みの男なんか、案山子にしか見えないだろう。

 ミカエルは、清らかな微笑みで言う。

「恋愛というのは、ほとんど病気ですよ。でも、生きていくのに、それがないより、あった方がいいですね。それに、誰かがリリーさんを愛するのは止められないですよ。あんなに素敵な人なんですから」

 ミカエルはとうに紅泉姉さまと探春姉さまの本当の名前を知っているのに、知り合った頃の呼び方を変えていない。それは自分が、あたしたちの一族ではないからだという遠慮のためらしい。

 助手として認められて、麗香姉さまの近辺で暮らしているのだから、もう、そこまで遠慮しなくていいのに。

 でも、そういうところが、紅泉姉さまに愛されるところなんだろうな。緑の目の美少年は、いつも穏やかで理知的だ。

「それもこれも全て含めて、ぼくは幸せなんだと思いますよ。リリーさんの生活圏の隅にいられる。いつでも想っていられる。そういう相手がいるってことは、奇跡的なことだと思いませんか?」

 そうだけど。

 あたしは、ミカエルのように悟りを開いていない。

 シレール兄さまには、いずみがいるのよ。何年も続いている恋人が。

 月に一度か二度、今日は泉が来ると、兄さまから知らされる。その日、あたしはセンタービルに泊まるようにして、湖畔の屋敷には近付かない。秘書仲間とバーで飲んだり、話題の映画を見たり、プールで泳いだりして、なるだけ頭を空っぽにする。

 二人が一緒にいる姿を想像すると、頭がぐらぐらして、おかしくなりそうだから。どんな風にキスするの。どんな風に愛し合うの。一晩中、手足をからめて眠ったりするの。

 思わず、壁に頭を打ち付けてしまって、自分で呆れることがある。

 ダイナ、あなた、どうかしてるわよ。

 いっそ、ここを出て、夢の王子さまを探しに行ったらどうなの。どこか他の違法都市に、運命の相手がいるかもしれないでしょ。市民社会かもしれない。出会ったら電気が走って、運命の相手だとわかるかもしれない。兄さまに対する気持ちは、幼稚な独占欲だったと悟るかもしれない。

 でも、シレール兄さまから離れる決心は、とてもできない。

 そんな決心、したくない。

 あたしが遠く離れている間に、兄さまがどこかの組織に狙撃されたり、爆弾で吹き飛ばされたりしたら、どうするの。

 まあ、あたしがいても、そんな事件を防げるとは限らないのだけれど。少なくとも、防衛艦隊を鍛え上げたり、警備部隊の様子を監視したりはできるのだから。遠く離れてしまうより、まだしも心は安らかだわ。

   『ブルー・ギャラクシー 泉編』10章-2に続く

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